真選組滞在三日目。
人の気配で目が覚めた。
「そろそろ起きろィ。俺が土方コノヤローに怒られてもいいんですかィ?」
聞き覚えのある声で瞬時に目が覚め、布団ごと転がるように離れた。
「なんで部屋の中にいるのっ?」
「なんでって覚えてないんですかィ、二人の熱い夜を」
まったく身に覚えがない。寝ている間にそんなことをされては忘れようもない。強く睨みつけると肩をすくめられる。
「冗談の通じないお嬢さんだ」
「出て行きなさいっ!」
「へいへい」
沖田を追い出し、ハンガーにかけておいた薄いグレーのパンツスーツに着替える。今日の帽子は、と選んでいたらいきなり襖が開いた。
「あ」
どうやら間違えたらしい。昨日、かなり迷惑をかけたので、とりあえず普通に挨拶を返す。
「おはようございます、土方さん」
「…何してんだ?」
「帽子をどれにしようかとおもいまして」
長着姿で火のついていない煙草を咥えていた男はいつも不機嫌そうで、小さく舌打ちした。朝っぱらから、ついてない。
「あんた、帽子被ってて耳は痛くねェのか」
「引っ張られたり、ジロジロと見られるよりはマシです」
黒のベレー帽を手に取り、いつものように耳をしまう。と、それを取り上げられた。
「何するんですか」
引っ張られるのかと気持ちだけ身構えて睨みつける。
「今日は大人しくしてろ。ケリはついたんだろ?」
そういったはずだよなと言われ、奥歯を噛み締める。この言い様は、気がついていると言うことだ。
「行動の制限をされる覚えはありません」
「いいから、大人しくしてろ。一日でも寝た方がマシだろ」
「帽子を返しなさいっ」
昨日のように飛び上がって対処するのは危険なので、言うだけに留める。これでも生まれたときから「お嬢様」をやっているので。自分の言葉に威力があることはわかっている。
だけど、土方には全然聞かなかった。
「寝てろ」
「いや」
「てめぇ、いいかげんにしねぇと押し倒すぞっ」
「そんなことをしたら、死んでやる!」
「っ」
やりかねないと思ったのか、やっと土方は引いてくれた。大人しく返された帽子をしっかりと被り直す。
「気の強ぇお嬢さんだ」
「褒め言葉ととっておきますよ」
障子を開けて外へ出る。そのまま食堂へ向かう。
「今日はどこへ行くつもりだ?」
「どこでもいいでしょ」
「よくねぇよ。あんたが怪我ァすると俺らの責任問題になる」
後ろをついてくる男は足跡も気配もない。自分の危機察知能力は通用しない。
そして、オジサマはたしかに昨日ああいったのだ。自分が怪我をすれば確かにこの組織を潰してしまうかもしれない。ここが潰れるのは構わないが、自分のせいでというのでは寝覚めが悪い。
「この私に動くな、というの」
自然と足が止まる。
「たったの一週間だ」
後ろから聞こえる声はひどく面倒そうだが、それは許せない言葉だった。
「私に、一週間も暗殺者の影に怯えて過ごせというの」
「だから俺らが護るって言ってんだろーが」
そんな言葉は信用できない。
「私はね、私を傷つけた奴を許してあげるほどお人好しじゃないわ。すべての要因を取り除かなければ納得できない。安心できない。どんな手を使ってでも、相手を抹殺しなきゃ気が済まないのよ」
男はまっすぐに私を見る。目を見ればその人がわかると言うが、その人の目は、ここの人達の目はひどく真っ直ぐで光に満ちていて、汚い世の中の渡り方を知ってしまっている自分には眩しすぎた。
「私は誰も信用しないわ。信用して、裏切られて殺されるなんて真っ平だわ」
生まれてから、一度ぐらいは誰かを信じたことだってあった。だけど、帰ってきたのは裏切りと、死。一命を取り留めたけれど、あの時から誰かを信用するのはやめようと思った。自分には誰も味方などいないのだと、すべてを遠ざけた。
「同感だな。俺も裏切られるのは真っ平だ」
伸びてきた腕に後ずさる。
「俺はあんたも信用してねぇ。あんたが、ケリをつけたってことも、な」
腕を掴んで引きずられる。
「なっ」
「でもな、そんな怪我でうろちょろされちゃ、こっちも迷惑なんだよ」
無理矢理引きずられ、どこかの部屋へ投げ込まれる。そこには、寝ぼけたままTVを見つつ、身支度をしている近藤がいた。
「俺らは信用しなくても構わねぇ。けどな、怪我されちゃ迷惑なんだよ」
「トシ!? 女の子に乱暴しちゃだめだってっ」
土方との間に入ってくれる近藤は、大丈夫かと気遣ってくれる。わかっている。この人たちはきっと信用して良いのだ。だけど、だからこそ信用してはいけないのだということもわかっている。
「怪我人は大人しく寝てろ」
「いやだっつってんでしょ!」
「寝・て・ろっ」
「ねぇ俺、無視? 完全無視なの?」
「「うるさいっ」」
あ、やばい。騒いだら、くらくらしてきた。頭を振り、回るのを抑える。
「そんなんじゃすぐにまたぶっ倒れんだろ」
「関係ないわ、よ」
気持ちが悪い。
「後はまかせて、お嬢さんは寝てな」
「そう、いかない、わ」
頭がぐらぐらする。吐き気がする。目の前が暗くなる。これは、貧血?
「私は一人だって、生き抜いて、やるんだ、から」
簡単に死んでたまるものですか。
どれだけ強がっても体はついてきてくれなくて、私はそのまま倒れてしまった。
熱で魘されるアルトの額の手ぬぐいを新しく取り替える。すぐにぬるくなってしまうので、ほとんど三十分おきには換えなければならなかった。
「近藤さんはこのお嬢さんを見ててやってくれ」
「そりゃ構わねぇけど、トシはどこへ行くんだ?」
「っ、仕事に決まってんだろっ!」
いつも苛立っているが、今日はまた特別だ。倒れたアルトを俺に押し付けると、そのまま行ってしまった。怪我のせいで熱を出しているのだと気がついたのはその後だ。
松平のとっつぁんから多少の事情は聞いていたがこの人は考えていた以上に強情だ。
「かなりの無理をしてるんだが俺が手を出しても掴みやしねぇ。そういうお嬢さんなんだよ」
「昔、信頼していた家庭教師に殺されかけたことがあったらしくてな、そいつがないことばっかり嬢ちゃんに吹き込みやがって、今じゃ誰も信用できなくなってる」
「おまえらを見込んでたのみがある。どうか、あいつを救ってやっちゃあくれねぇか」
「代わりと言っちゃあなんだが、おまえらの多少のやんちゃにゃあ目をつぶってやるよ」
一見、強請っているようにも聞こえる取引だったが、とっつぁんの目はそうは言っちゃいなかった。ただ、この人が心配なのだと言っていた。
「アルトちゃん、おまえさんは気がついてないだけのようだがな」
熱で魘されている彼女の額にまた新たに冷たい手ぬぐいをのせてやる。その一瞬だけ、彼女は表情を和らげる。
「自分で考えてるよりもたくさん、護られてるんだぜ」
本来なら、箸が転げても笑う年頃だというのに、大人に混じって眉間に皺を寄せて仕事をこなして。種族の特異性としたって、それはあまりにもひどい状況だと思った。
強がってこちらを見る目は真っ直ぐで、真っ直ぐすぎて傷ついていた。
「…近藤さん」
「総悟か」
振り返らずに言うと、年若い友人は隣に座り、心配そうに彼女を見つめた。
「俺ァ何も知りまやせんけどね、少なくともこの人はこのままじゃァいけねぇ気がするんでさァ」
総悟は彼女を見て何を想い、何を考えているのか。それは俺にはわからない。
「俺はあの時のあの顔を、もう一度見てみたいんでさァ」
「あの時のあの顔?」
「ここに初めて来たとき、門をくぐる前に笑ってやがったんで。おそらく、とっつぁんの背中を見て」
深く考えながら、総悟が立つ。
「俺ァ、そいつがまた見たいんでさァ」
「どこにいくんだ?」
「こいつが行こうとしてた場所」
「無茶ァすんじゃねぇぞ」
「わかってまさァ」
彼が消えた後も彼女はずっと魘されていた。仕事は放って遊んでやがる総悟が何を考えているのかわからない。だが、どこへと聞いたときのあの決意した声はどんな顔をしているのかも、何を考えているのかもわかっちまう。
滅多に真面目に仕事をしない友人が何を考え、どんな報告を持って帰ってくるのか、少し楽しみだ。
かすかに彼女の口が開閉し、何かを呟く。そして、閉じた瞳から涙が溢れたので、その上に濡らした手ぬぐいをおいてやった。
「今日ぐらいは誰かを頼って、休んでもいいと思うぜ。アルトちゃん」
声は届いているのか。かすかに持ち上がった耳はすぐに垂れ下がってしまった。