病気だって聞いて、心配したんだ。本当に。春霞はいつも無理をしているように見えるから。
春霞の弟が通してくれた部屋は、なんだかお前らしくて。視線を移していくと、ベッドから見覚えのある髪色が覗いてて。近づくと、眠り姫の春霞がいた。
汗で乱れた髪や、熱で赤く上気した頬が、いつにない色気を見せていて。掛け物を掛けなおしてやりながら、眠りつづける俺の、俺だけの姫を心底愛しく想った。
「はづき…クン?」
潤む瞳が開いて、虚ろに俺を見やった。春霞は無意識に微笑んで、幸せそうにまた眠りについた。呼び方が初めて会ったときのように戻っているのは、その頃を夢に見ていたということなのか。あの、再会した小さな教会の夢を。
「葉月」
乱魔ノ開けられたドアに、慌てて俺は振り返った。両手いっぱいにモノを持っている状態じゃ仕方ないのだろうが、病人のいる部屋を蹴り開けることはないだろう。
「しっ」
「わりっ…んじゃさぁ、ねえちゃんのタオル替えといてくんねぇ?」
俺の返答を待たずに、透明な水を湛えた容器を押し付けて、ドアが静かに閉まった。お前の弟、イイ根性をしている。
起こさないようにそっとタオルを退けると、春霞は微かに身じろぎした。取り除いたタオルが考えていたよりも熱くて、水に浸けるとひんやりとした氷が寄ってくる。それを2、3個タオルにくるんで一度絞り、氷だけを水に戻す。そうして、氷の冷たさだけがタオルに残った。
春霞の額の汗ばんだ髪を避けるとき、軽く触れた手がすごく高い熱を伝えてくる。
「…気持ちイイ~…」
聞こえた声に驚いて、手を引くと、やっぱり春霞は寝たままで。
「起こした、か…?」
問いかけには静かな寝息しか聞こえてこなかった。俺がタオルを乗せてやると、春霞は陽だまりの猫みたいだ。あの体育館裏の仔猫みたいだ…。
風邪は他人に移すと早く直ると云う話が頭を過った。お前の知らない間に、俺がその風邪、もらってもいいか? マネージャーは怒るかもしれないけど、春霞が苦しんでいるのをこれ以上見るくらいなら…。
起こさないように息を止めて、春霞にゆっくりと顔を寄せる。その口唇に触れるか触れないかの位置で、携帯が鳴った。音を切り忘れていた自分の携帯電話の着信音に驚いて、俺は急いで部屋を出た。
「…は、い」
声が上ずらないように、努めていつもの調子で電話に出る。誰だろう。
「今日、仕事があること、わかってるのかしら?」
マネージャーだ。あ、仕事…今日、撮影だった。
「あ、はい」
「ならいいわ。いつものスタジオに皆集まってるから。急いでね」
用件だけいうと、勝手に切られてしまった。まだもう少しここにいたい気持ちが半分。頼まれた仕事を放り出した場合のスタッフに対しての謝罪が半分。…「いつものこと」で片付けられるか。でも、電話出たから準備、してるだろうな。
「仕事?」
「あぁ。でも…」
「でも?」
いつのまにか、傍らに春霞の弟がいた。目元なんかは春霞に似てるけど、性格は正反対みたいだ。彼は猫みたいに目を細くして笑った。
「ま、終わってから、また来いよ」
春霞と同じ、すべて見透かしたような瞳で云われると、なんでか逆らえない。追い出されるように仕事にいったけど、上の空がバレて、少し、休憩をもらった。そうして、その足で撮影現場を飛び出して、俺は春霞の元へと急いでいた。
先に来たときより、お前は安らかに眠っていて、タオルももう取ってあった。夢に微笑む春霞を見て、自然と俺も微笑んだ。なんで春霞の笑顔はこんなに俺を幸せにさせるんだろう。春霞の笑顔が俺にとって最高の宝石…。
ゆっくりと開いた瞳には、いつもの生気が戻っていて。やっと俺は安堵した。
「ふわぁ~。よく寝た…。もう寝てるの、飽きたな…。こういう時、誰かお見舞いに来てくれると、天使に見えるのに…はぁ~」
「独り言、長いな」
俺といるときもよくしゃべるけど、1人でもよくしゃべるんだな。他の女はうるさいだけだけど、春霞のは…嫌じゃない。
「わぁ!珪くん!?…いつから、そこにいたの?」
「…10分くらい。弟がいれてくれた」
そういうと、何か悪いことでもあるのか、困ったように春霞は問いかけてきた。
「…あの、もしかして、ねてるとこ、みてた?」
「ヨダレたらしてた」
「…ホント?」
「ウメv
掛け物を引き上げて、顔が半分も隠されてしまった。俺、悪いこといったか?
「………」
お互い黙り込んでるのって、今は少し居心地が悪い。いつもはお前がずっと話してくれてるってこと、改めて実感してしまう。
「…顔、少し赤いな。熱あんのか?」
いつもいつも一生懸命な春霞。なんでそんなに頑張るんだろう。どうして俺といてくれるんだろうなんて、今まで考えもしなかった。
「ううん。もう平気。あっ…」
手、勝手に動いてた。あの時より本当に下がっているのかとか、今も無理しているんじゃないかとか。いろいろ考えたけど、なんだろ。そんなのどうでも良くなってた。
「…こうすると、気持ちいいだろ? 俺、手、冷たいから」
まだ少し高いけど、ほとんど下がってて、やっと俺は安心できた。
「…な?」
「…うん」
素直に肯く春霞の笑顔はいつもより柔らかくて、その笑顔に俺のほうがとろけてしまいそうだ。
「じゃあ、俺、もう行く」
「もう帰っちゃうの?」
俺も行きたくないけど、スタッフも待ってる。それに、春霞はやはり少し無理している気がする。人に気をつかいすぎる春霞の優しさのせいだ。
「撮影、抜けてきたんだ。戻らないと、そろそろバレる」
俺を気遣ってくれた休憩時間分、今度はもう少し真面目に仕事するか。
「そうなんだ…あっ、お見舞いありがとう」
「…早く、よくなれよ」
帰り際、春霞の額に小さなオマジナイをかけてやる。
風邪が俺に移って、春霞が元気になるように。
主人公に会うために早めに学校に行くようにしたのに、行ったら風邪で休みと知って、
午後からの早退を早めて見舞いに来た葉月。という設定。(長っ)
てゆーか、本当に学校に行ったことになるのか、ャ撃ナ。
(2002/08/09)