ケンカの原因なんていつも些細なことで、私がいつも先に謝って、葉月があやまって、仲直りのキス。そんなお決まりのパターンで終わるはずだった。
卒業してから、私はよく撮影を見に行った。誰と共演しても葉月はいつも通りで、ときおり私をみて微笑む瞬間がベストショットだって、マネージャーもカメラさんもスタッフもぼやいてた。
あの日もそんな日常が繰り返されるはずだった。
「春霞ちゃん、よくきたねぇ~」
「ここに座ってくれる?」
用意された椅子はいつもの暗がりではなく、撮影のよく見える位置で。
「葉月ちゃんはこっちね~」
そこからは葉月がとってもよく見えた。
「…すぐ、終わるから」
ココロなしか、葉月の顔が厳しいものに変わっている。そんな顔をさせる相手モデルは誰だろうと、興味をもった。
「葉月ちゃん~そんな顔してると~カノジョが心配するでしょ~?」
それはカメラマンにも伝わったようで、葉月は取り繕った笑顔を私にむける。でも、かなり無理してるのがよくわかる。全部を抜きにしても、スタッフ全体の様子がおかしいことに、私も気がついてはいた。
「今日、何かあるんですか?」
「え? 別になにもないわよ?」
マネージャーに聞いても、この人から何かを聞き出すのは難しい。
いつもの葉月はこんな顔しない。もっと柔らかく微笑むヒトが今日はどうして――。
「すいませ~んっ」
スタジオの扉が開いて、悠然とその女性は入ってきた。私から見てもすごく魅力的で、自信に満ちていて、悔しいくらいに悠然とした挑戦的な悠然とした笑みを向けてきた。私がよく読む流行誌の表紙を飾っているモデルだ。
「やっときたわね」
マネージャーの呟きとため息よりも、さっきの微笑が気になる。この時、本能的にいやな予感はしていた。葉月はいつもよりもさらに憮然としているのに、彼女はそれに気がつかないみたいだ。
「まさか、また、お仕事できるなんて思わなかったわよ~っ、そんなに私に会いたかった?」
なに、このヒト。あなたより、葉月のがずっとずっと美人なんだから!
撮影が始まってからは、二人はプロのモデルなんだと実感した。二人がどんなことをしても絵になっていて、普段の葉月とは全く違っていて。でも、普段一緒にいるのは私で。
そりゃ~私は…そんなに美人でもないし…頭も良くないけど…。
「…春霞」
努力して…、努力しないと葉月に釣り合わないけどさ。
「おい、春霞」
「うぁっ!? 珪クン?」
なんで、さっきまでカメラの前にいたんじゃないの?
肩越しに相手モデルが怒っていて、それをスタッフが慰めているのが見える。
「撮影中によそ見するな」
「え? ずっと珪クン見て…」
「余計なことも考えるな」
う…っバレてる。
「葉月ちゃ~ん」
カメラさんが呼んでるのに、葉月は私の手を引いた。
「葉月」
マネージャーの冷たい声に、何故か葉月は動きを止める。いつもは気にしないのに。
「今日は、コレ終わってからね」
「……」
「気持ちはわかるけど、堪えて」
なんだろう、この会話。葉月、嫌なのかな。
「…待ってろ」
額に軽くキスを残して、葉月は撮影に戻った。私には何がおこってるのかさっぱりわからない。
「東雲さん、何がおこってもここを動いちゃダメよ」
マネージャーを見上げると、言い表せないくらい厳しい表情で撮影も見守っている。スタッフからも緊張した空気がさらに張り詰めて、息が苦しくなりそうだ。
「春霞ちゃん、もうちょっと笑っててくれるかな~?」
何故かカメラさんから私に指示が飛んだ。条件反射で笑う私に、彼は黙って葉月たちを指した。
なにが、おこるのよ。
「じゃあ、いくよー」
また、何事もなかったかのように撮影は始まったけれども、さっきの不可解な指示はなに?
「…東雲さん、この撮影はあなたにかかってるの」
唐突にマネージャーが話し出した。
「あなたはどうして葉月を好きなの?」
内容も唐突だ。
「葉月はこのとおりの人気モデルよ。付き合っても辛いことばかりじゃない?」
「そんなことありません!! 珪クンは…珪…は…」
「でも、とても大切にされてるわね。羨ましいくらい」
マネージャーの見たこともない笑顔と聞いたこともない優しい言葉に、私のほうが惑わされる。
「あなたといるときのほうが、あなたが笑っているときのほうが葉月はとてもイイ顔をするわ。
東雲さんが一番好きな葉月の顔ってどれ?」
私が…一番好きな…?
「そう云う顔をしてて」
一番…好きな……珪クン。
女性モデルが私に挑戦的に微笑んだ。なんだとか、どうしてとか考える間もなく、ソレは起きた。
「はい!撮影終了!」
目の前に何が起こったのか、私は理解できなかった。
「…東雲さん、もういいわよ」
今、あのヒト、何したの? 珪クンに触れて…、で触れて、た。
「…やっぱり、あの女…っ」
「気をつけていてもダメね。キス魔だし、あのモデル」
「…もう、こんな仕事、いれんな」
「はいはい。金輪際、彼女との仕事はいれないわ。…でもよく堪えたわね」
「…これから、殴りにいく」
二人の会話も右から左にすり抜けていく。
「それより、こっちが先じゃないの?」
感情が全部、凍結されたみたいだ。
「春霞」
「…珪クン」
「ごめん」
「モデルさん、殴っちゃダメだよ」
――女の子、殴っちゃダメだよ。
「…春霞」
なんで、抱きしめられたのかもよくわかんなかった。なんとなく、顔の筋肉だけが引きつったように笑ったままだった。
「俺のこと、嫌いになった?」
なんで?と目だけで答える私の手を、葉月は強く握り返す。
「だって、さっきから…なんでもない」
何か云いかけてやめたのはわかったのに、聞き返す気力もない。
家までの道程が、こんなに長く感じたのは初めてだ。隣に葉月がいて、手も握っていてくれるのに、すごく遠く感じた。これが、答え。
「珪、クン」
「なんだ?」
家の前で、私はそっとその手を放した。
「…しばらく距離おこう」
そのまま言い逃げて、玄関まで一気に入りこむ。
「春霞!? まて!!」
玄関に鍵をかけて、戸を背に座り込んだ。
「春霞…! 春霞…っ!?」
ドア越しに痛いほど、葉月の気持ちが伝わってくる。
「どうして? せめて、オレにっ…!」
何で今日、私、撮影に誘われたのかな。言い訳ぐらい、して欲しいのに。
「…珪クン、私といて、どう?」
涙は零れてこない。今、泣いちゃいけない。葉月は私が泣いてるの、好きじゃないから。そんなの、反則だから。
「…春霞?」
「無理、してない?」
「…どうしたんだ?」
それは、今に始まったことじゃない。撮影を見に行くたびに思った。高校のときはまだ友達だったから、独占できる立場じゃなかったから、そう考えることは少なかった。
でも、今は隣に立って、思い知ってしまう。私、葉月と釣り合わないんじゃないかな、て。
「だから、少し、待って」
返事は返ってこない。代わりにドアの向こうから葉月の気配が消えた。
「…待って、くれない、よね」
なんだか、話し方の癖まで移ってるみたい。こんなに好きなのに、私は隣に立つ自信が持てない。リビングから心配そうに顔を出す尽に、私は力なく微笑んだ。
控えめなノックの音。
「ねぇちゃん、電話」
「いない」
振りかえらずに机に向かっていると、控えめに不安そうにかけられる声。
「葉月とケンカしてるの?」
「あんたに関係ないでしょ! …ごめん。ヤツ当たりだわ、コレ」
あの日から、尽の心配そうな顔が変わらないのが、すごく辛い。
「あの、姫条からだよ」
控えめに言って、尽は子機を差し出した。私が受け取ると、逃げるように部屋を出ていく。なんで、今かかってくるかな。このヒトは。
「ニィやん…?」
「おぉ春霞ちゃん。なんでケータイ繋がらへんの?」
「あ、ちょっと今…」
「また葉月とケンカでもしたんか。しょーもないなぁ。そんなんばっかしてると、オレが誘うで?」
またってゆうなぁ~! …て、ツッこむ気力もない。
「黙らんといてな。ホンマなんか?」
電話で話してるのに、声が出ない。
「…泣くなや」
声、どうやって出すのかも忘れそうだ。葉月といるとき、私、どうやって話してた?
「あんたに泣かれると…」
困った姫条の声にいつもなら笑ってしまうのに、今日はそれさえ出来ない。それに、私は泣いてない。涙も出てこないのがなんでなのか、検討もつかない。
「せやな。こーゆーときはパァ~っと遊びに行くんが一番やで!」
そんな気分になんて、なれない。
「なぁパァ~っとみんなで遊園地にでも行くか? ジェットコースターで新しいのが出来たんやて。オレ、もう行きたくて行きたくて…」
皆と遊べば少し気分が晴れるかも、なんて、淡い期待を抱いて私は電話を切った。
姫条との電話の後、次の日曜日。いつも以上の元気いっぱいで、春霞は遊園地を満喫していた。
「次、何に乗る~?」
「春霞ちゃん~っ」
「何? みんなもうばてたの?」
珠美を筆頭に、鈴鹿、姫条、奈津実までもが、今にも次に走り出しそうな春霞を捕まえた。
「ちょっと休もう…っ」
「あ、アイス食べよっ」
屋外喫茶のパラソルの下で、元気なのは春霞だけ。ひとりアイスを買いに出ていった後。
「…誰よ、春霞に元気がないとかいったのは…」
「春霞ちゃん、すごいねぇ~」
「俺、ちょっとばてたかも…」
4にんが4人とも深く息を吐いた。
「ははは、でもホンマに元気やと思うか?」
姫条の言葉に返ってくるものはない。
「元気元気。アレのどこが落ち込んでるってのよ。…落ち込みたいのはあたしのほうよ」
奈津実は戻ってくる春霞をぼんやりと眺めている。
「危ないよ~春霞ちゃん~」
珠美の見ている前で、春霞は派手に転んだ。
「春霞!?」
立ちあがろうとした鈴鹿は椅子に足を絡まれて、転倒。その間に姫条が走り寄る。
「……はぁ」
「…いいの、奈津実ちゃん」
「あ~いいのいいの。とりあえず、アイツの好きにさせることにしたから」
「でも~」
「だって、春霞は絶対にアイツとそーゆーのにはなんないからさ」
「…信用?」
「んふふ」
意味不明の奈津実の微笑に、珠美と鈴鹿は首を傾げた。
「っじゃ、そろそろ本題と行きますか」
「え…本当にやるの?」
「もち!」
アイスを抱えて戻ってきた二人が席につくと、3人は居住まいを正した。
「春霞」
「アイスおいし~ねぇ」
「あ、うん。そうだね~」
切り出そうとした奈津実だったが、珠美に出足を挫かれる。その様子を見ていた鈴鹿が珠美に指で注意を促す。
「ごめん、奈津実ちゃん~」
不思議そうな顔の春霞に、ひとつ咳払いをして切り出そうとした奈津実の上から、姫条の言葉が被った。
「で、葉月とけんかしたっちゅう理由は話せるか?」
「ちょっとまどか!!」
笑顔のまま、春霞は固まった。
「…春霞ちゃん?」
珠美が気がついて声をかけると、その目から涙が溢れた。聞こえていたのは『葉月』という言葉だけだったのに。
「え?え?何?どしたの?」
自分でもなんでなのか、わからない。今まで全然出てこなかったのに、どうして思い出しただけでこんなになるの。
「春霞~?」
「ご、ごめん…とまん、な…」
4つのハンカチが差し出されたが、春霞は自分のバッグから自分のを取り出して涙を拭った。
「泣きやまんでエエ。どうせなら、そのまま泣いとき」
「まどかー?」
「エエから。今までずっと我慢しとったんと違うか?」
我慢、かな。我慢してたのかな。葉月の前でムリしてたのは――。
「私…」
ずっとムリしてたのか。
「春霞ちゃん~っ」
隣で珠美が泣き出したので、鈴鹿はぎょっとした。
「な、な、なんで、お前まで…」
「ぅえ~ん!」
その慰める様子を見て、奈津実と姫条は顔を見合わせる。
「自分、そんなたまと違うな」
「わっるかったわねぇ~っ」
椅子の下から姫条の足を踏みつけて、奈津実は青筋を浮かべながら、姫条の背をたたいた。
「なにがあったの、春霞?」
涙を浮かべる姫条に驚きながら、春霞はぽつりと話し出した。
「自信、なくしちゃった。私、あんまり美人じゃないし」
そうか?と姫条と鈴鹿は考える。二人とも一度は淡い恋心を抱いたことがあるだけに。
「ずっと頑張ってきたけど、隣にいられないって。気づいちゃったの。け…葉月、クンの隣に似合うのは、もっと…もっと…」
奈津実と珠美は女の勘を働かせていた。
「浮気されたの?」
「奈津実ちゃん、そんなハッキリと…」
しかし、その言葉に春霞は首を振る。
「け…葉月、クンは変わらない。でも、私は」
またまた泣き出す春霞に3人が途方にくれた。
「浮気じゃないとすると…誰かとキスしてた、とか」
「キスは浮気に入らないの?」
「まどかがそーいうのよ」
「あぁ!」
「そこっ、納得するなや!」
その合間に春霞は肯いていた。
「やるなぁ~葉月」
「ホントにほんとなの?」
「お仕事。モデルの」
奈津実が首を曲げる。
「仕事ならいいじゃない」
「でも、すごくキレイで、私…」
「そんなことで自信なくしちゃったんだ」
だったら、私はいつもじゃない。と奈津実が憤慨。
「…春霞ちゃん、葉月君と別れるの?」
心配そうとは言っても、一番聞きにくいことを聞くのが珠美。凍りつく空気を察することなどせず、ひたすら気にしているのは。
「でも、和馬くんはあげないよ…?」
いいたいことはそれかー!!
「い、いいよ。…珠美が怖いし…」
「なら、オレか?」
姫条がいうやいなや、奈津実がまたも同じ箇所を踏んづけた。
「…こんな話やめよう。まだ乗ってないのいっぱいあるし!」
急に春霞がさっきまでの笑顔で言い出した。
「全制覇でもする気ー?」
「うん!」
こ、こいつは…っ
「私~ここで和馬君といるね?」
最後の「ね?」は和馬に向かっている。
「お前ら3人で行ってこいよ」
「あー…じゃ、メリーゴーランドでも行く~」
奈津実に意地悪い微笑を向けられ、姫条は顔を引きつかせた。わざと言っているのは明白。でも、今の春霞をひとりにするわけにはいかないし。でも、春霞は――?
「あ、行くー!」
「…しゃ…しゃぁないな…」
「マジ!? …あたしはパス」
言い出した本人が拒否。そして、姫条と春霞が手に手を取って、メリーゴーランドへ。
「姫条君が、メリーゴーランドを好きだとは知らなかった~」
「なわけないでしょ。あンのバカっ!!!」
残った奈津実はひとりブスくれていた。
メリーゴーランドでは引きつった笑顔で姫条が固まっていた。
「ムリして乗ることないのに」
「せやかて、自分、ひとりでも乗る気やったろ。そっちのがサムいわ」
降りたあと、そのセリフでも春霞は笑顔を貼りつかせたままだった。
「まぁ今日はオレが誘ったんやしな。とことん付き合うで~次は何に乗るん?」
姫条の笑顔を通り越して、春霞の視線が固まっていた。
「春霞? 春霞ちゃん?」
返事もせずに、春霞は駆け出していた。視線の先にいたのは、誰かと思えば、笑顔を曇らせている元凶だ。
*
「…おい」
アイスを食べている3人を見つけて、葉月は近づいていた。
「あっら~っど~して葉月クンがいるのかしら~?」
「葉月君? 春霞ちゃんなら…」
「あ!バカ!!」
口を滑らしかける珠美を、鈴鹿と奈津実が抑えた。
「春霞は?」
葉月がそれを聞きとがめて迫る。怒った美人は迫力あるな~と、奈津実は笑っていた。
普段は鈍くてトロいのに、こういうときだけなんで早いんやろ。と追いかけながら姫条はぼやいていた。
「待てって!!」
「ま、まだ逢えない!!」
案の定、春霞はどうしようもないくらいボロボロ泣いている。
「いや、ムリに会わせたりせえへんよ」
「…ニィやん?」
「それより何かに乗ったほうが逃げられるんとちゃうか?」
ここから1番近くて時間のかかる乗り物は、と姫条は視線をさまよわせる。
「あぁ、観覧車なんてどや?」
春霞はうつむいて首を振った。
「ダメ、あそこは何度も…」
葉月と乗っている。空の上に二人で浮かんだ楽しい記憶。何度も、何度も繰り返される葉月の告白。
「だから、ヤだ。…イヤなの」
さっきまでの笑顔はどこに行ってしまったのか。春霞に涙さえも流すことなく、必死で懇願されてしまう。
「じゃぁもうおとなしゅう捕まるしかないな」
「か、帰る!!」
踵を返そうとする春霞の手を捕らえて、姫条は引きとめた。
「奈津実ら、怒るで~」
慌てることもせず、春霞はおとなしく留まっている。
「なぁさっきから春霞は誰と遊んでおるの?」
「…ニィやんと、奈津実と、珠美と、和馬クン…」
「でも、今はオレだけやんな?」
おとなしく頷いてくれるのはエエが、なんでオレが慰めなあかんね。
「今だけは…デートってことにしてくれ」
姫条の真意がわからなくて、春霞は顔を上げた。笑顔だけど、真剣な瞳が突き刺さるように痛い。
「だから、葉月でなく、今はオレと観覧車に乗らんか?」
抵抗することなく、春霞は姫条に従った。ゆっくりと上がってゆくゴンドラから、みんなの姿が小さく見える。
「今日が晴れてて良かったなぁ。こんなに青い空だと、二人で浮かんでるみたいや」
いつもならそんなこと言わないのに、姫条は外を後ろに見やりながら話し出した。
「もうちょい楽しい顔せぇよ。さっきまでの笑顔はどこへやった?」
おそるおそる下を覗いて、春霞はまたうつむいた。
「オレがあんたを好いておるのは知っとるよな?」
姫条から小さく頷くのは見える。
「あんたにはいっつも笑ろといて欲しい思うとるがな、今日みたいなのは…イタイだけや。いくらニセモノの笑顔振りまかれても、嬉しくもなんともない」
上げられた顔が春霞の全部を現している。姫条は自分ではダメなんだと思い知っていたが、自らそれを振り払った。時間は短い。臨海公園の大観覧車ならともかく、遊園地のコレは休めるような時間もそれほどない。ふたりでいられるチャンスは、今だけかもしれない。
そういう気持ちが姫条を急かした。
「ここには、葉月との思い出がつまっとるてゆうたな」
「……うん」
「もうひとつ、思い出つくったるか――」
大きくゴンドラが揺れる。覆い被さる影に、怯えた顔。
「葉月を、忘れさせたる」
姫条は当然、出きるはずないとわかっていて口にした。春霞の中にはたったひとりしか住んでいない。忘れさせることなんて、出来る筈ない。自分だって、出来なかったのだから。
他の女をいくらオとしても、なんの意味もない。春霞でなければ。
「春霞」
「…ヤ」
「……春霞」
「…イヤ…っ!」
逃げようとするのを身体全部で抑えつけても、そうしてキスしても、春霞は他の女のようには決しておちない。
それでも、欲しい時はどないにすればいいんや。答えがあるなら、教えて欲しいわ。
「……珪クン…っ!!」
春霞が呼ぶ名で姫条は我に返った。らしくないことをしている。
――今日はここまでやな。
怯える額に軽くくちづけて、春霞を解放した。
「…ニィやん?」
放されたことに気がついて顔を上げる頃には、姫条は反対側に座って春霞を見つめていた。そこに浮かんでいるのは、いつもの優しい笑顔。
「まどかでエエて」
いつだって姫条にわかるのは、春霞が決して手に入らない宝石だということ。
「すまんな。ちょーっと、調子に乗りすぎたわ」
地上が近くなっていた。葉月が心配そうにしているのが見える。
まったく、相思相愛やってのになにやってんのや、こいつらは。
「でもな、覚えとき。オレは隙あらばって主義や。次、ちゅうのはないで。今は――とりあえず仲直りしとき。そんで、またケンカしたら、本気でさらいにいったるわ」
眼下では列を乱し掻き分けて、春霞の本当の王子が駆けてくる。
「…ありがと、ニィやん」
「鼻出とるで」
「え、うそ!?」
「ウソや」
慌てて膨れる春霞は、もう作り物の笑顔ではなくなっていた。本人にまったく自覚はないが。
いつか、本気でさらえる日がくるんやろか。
オレは他の女を好きになれるんやろか。
全部、春霞次第やってコト、気づいとんのか。
あんまり、無防備に笑わんといてや。
がこんっという音と共に、降りようと立ちかけた私は姫条に両肩を抑えられた。
「まぁ待っとき」
そして、降りていく姫条をぼんやりと見ていた。今日の姫条はよくわからない。いや、どうしてこんなにしてくれるのか、私には理解できない。
私は姫条が降りていくだけなのに、スタッフが何も言わない異変に気づかなかった。
「ごゆっくり~っ」
乗ってきたのは葉月。久しぶりに見る葉月の顔。なんだかやつれてる?
再びゆっくりと上がるゴンドラのなか、私たちは何も話さなかったけど、それは気まずい沈黙というには程遠い、穏やかな空気だった。
観覧車はさっきよりも早く終わってしまった。
「…楽しかったか?」
自然と繋がれた手は、二人とも冷たく汗ばんでいる。
「うん。いい眺めだったね」
外なんて見てる余裕はなかったし、葉月の姿ばっかり見てたなんて今更言えない。
「あぁ、そうだな」
葉月の視線はずっと私にそそがれていた。お見合いみたいで少し、緊張した。
遠くから奈津実たちが、心配そうに見ている。
「どうして、ここがわかったの?」
「あぁ…お前の弟と、藤井が」
尽も奈津実もお節介だ。心配、させすぎちゃったな。
「お前、薄着過ぎだ」
葉月の手が抱き寄せようとして、一瞬躊躇する。さまよった視線は私とぶつかって、二人で視線を外していた。
*
「あ~もう何してんのよ、葉月のヤツ!」
「奈津実ちゃん、良くないよ。こうゆうのは~」
「いいや、お膳立てしたからには最後まで見届けないと!」
「でも~」
女性二人を見ながら、男二人はなんだか気まずい。
「もう大丈夫だよな。あの二人」
「さぁそれはどーやろな」
「…なんかやったのか?」
4人の後ろから、もう1つの影がのぞいていた。
「よし!そこだ、葉月!!」
小さく声援を送っているのは、尽。
「奈津実さん、うまくいったねv」
「あたしら何にもやってないけどねv」
「俺、送ってやる」
遊園地を出ていく二人を、5人はホッとしたような顔で見ていた。
帰り道で二人とも一言も話さずに歩いた。でも包み込む空気は以前と全く変わっていない。ただ、穏やかに時間は流れていく。
「春霞は、俺のコト、嫌いに…」
「なるわけない!!」
最後まで云わせずに、うつむいたまま叫ぶように否定していた。
「じゃぁ、どうして電話にも出てくれなかったんだ?」
「そ、れは…」
「あの日、春霞が俺の前からいなくなって」
他の人とキスする葉月を、本当にきれいだと思った。
「逢ってくれなくなって、電話も出てくれなくなって」
隣にいる自分がとても恥ずかしくなってしまった。
「嫌われているんだとしたら、もう諦めようと思った」
隣にいる葉月が苦しそうに紡ぐ言葉は、私が思ったのと同じ。諦めようと、何度も思った。だから、電話も出なかった。声を聞いたら逢いたくなってしまうから。逢ってしまったら、諦められないと思ったから。
「でも、俺、もう2度も春霞を諦めるなんて出来ない」
立ち止まって、静かに力強く紡がれるままに、私も足を止めていた。
「2度…?」
抱き寄せられるというより、そっと指先で引き寄せられる。簡単に砕けてしまうグラスみたいに扱われているのは、私が葉月にとってそんなにも脆いということ。
「春霞は俺のコト、好きか?」
返せたのはささやくような言葉だったから、葉月には届かなかったかもしれない。
「春霞は俺のコト、愛してるか?」
さりげなく、ぶつけられた言葉に顔が火照る。照れもなくこういうことを言えるのは彼の長所だけど、返す言葉に誰が照れないことがあるだろう。
「…てる」
「聞こえないな」
嬉しそうな声は何て言ったのかわかっている証拠だ。
「…いぢわる」
「それは、お前だ」
顔を上げると間近に整ったかおがあって、それが私の上に影を落とす。
「…やっぱイヂワルだわ」
「…黙ってろ」
夕暮れ時、人気がないとはいえ公道で私を逃がさないように抱きとめ、深くくちづける。逢わなかった分を取り戻すかのように、深く深く頭の芯から蕩けさせてなお止まらない。
「…っぁ…」
こうしているだけで気持ちが安定していく。今まで揺れていたのがウソみたいに落ち着いていく。もう十分だと離れようとしても、葉月の腕は背中に回されてしっかりと固定されてしまっている。
「…春霞」
「…ぁ…っ」
「愛してる」
耳にささやかれて、立っているチカラさえも奪われる。それを支える力強い腕。
「…もう、ずっとこうしたかった」
「…私も」
なんでとか、もうそんな言葉は必要なかった。だって、二人とも一緒にいたかっただけだったから。
「俺の家、来るか?」
「えっ?」
「…次の休みに」
「あ、え、そそそうだよねぇ~あはは」
「…別に、今日でもいいけど」
「今日は、もう…」
久しぶり過ぎて、コレ以上は心臓が壊れてしまいそうだ。
「まぁ今日は邪魔者多すぎるしな」
「?」
「こっちのこと」
葉月に送られて、私はシアワセに包まれて玄関を通った。と、思い立ってまた外へ出る。不安そうな葉月と目が合った。
「どうした?」
「あのね、私も珪クンのこと―――――
<おまけ>
春霞の消えた玄関をしばらく眺めて、葉月は柔らかく微笑んでいた。
「なんで、春霞、いかなかったんだろ?」
「あっ、バカ! こっち来るよ!!」
角に隠れていた5人の前に、さっと葉月が現れる。
「きゃ~っ」
「あ!珠美ずるいっ!!」
あっという間に珠美と鈴鹿が逃げ去り、遅れた奈津実は捕まった。
「覗きとはイイ趣味だな」
「あ、あはは。だって、二人のことが心配だったからさ~。うまくいったんでしょ、春霞とv」
赤くなるかと思いきや、表情を変えずに葉月は小さく礼を言った。
「…ありがとう」
「あれ。うれしくないの?」
「もうたっぷり覗いてたんだろ」
え。
「何、最初ッからバレてたワケ? じゃぁどうしてキスしてたのよーっ」
じっと塀に立っている二人に葉月は目を向けた。そこには姫条とその影に隠れるように尽がいた。姫条は隠れようとはしていない。
「見せ付けるため」
うわっ、性格わるーっと、奈津実は呟いた。でも、少し彼女的には助かったのかも。
「オレか?オレにか!」
「春霞はオレのだ」
二人の間の火花に奈津実は、ため息を吐いた。
姫条が春霞を諦めるのは、まだ当分先のようだ。つまり、奈津実のシアワセも当分、先。
あ~ぁ、とっとと二人が結婚でもしちゃえば、全部解決すんじゃないのかなぁ。春霞も余計な心配しなくて済むようになる…。
あ、そうさせればいいのか。
「葉月ぃ、あたしイイコト思いついちゃったんだけど~。あんた達がずっと一緒にいられる方法v」
それを使う使わないは葉月の自由。ついでに後で春霞にも言っとこう♪
姫条に報われない分の奈津実のエネルギーは、こうして春霞たちに使われていくのであった――。
はふぅ~やっと仲直り~♪
途中、何度葉月に乱入させようと思ったことか、何度襲わせようと血迷ったことか…。
観覧車に葉月が乗りこんだ方法は?
1、サインをスタッフに渡した。(むしろ、私が欲しい~っ)
2、目で威圧。(尽が睨まれたと思うぐらいだからなぁ)
3、フリーパス。(が、地方遊園地ごときにあるかどうか…)
その他、何があるか募集中!
(2002/08/18)
<おまけ>
微妙に奈津実視点???
決まらないオチだなぁ~
ま、おまけってことで。見逃して~♪
完成:2002/08/18