幕末恋風記>> 他>> 幕末恋風記・弐 - 序章#1

書名:幕末恋風記
章名:他

話名:幕末恋風記・弐 - 序章#1


作:ひまうさ
公開日(更新日):2007.12.5 (2008.5.7)
状態:公開
ページ数:5 頁
文字数:15560 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 10 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)

巡りの葉

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p.1

 青い空を眺めていたら、ひらりひらりと一枚の紙が流れ落ちてくる。右往左往しながら、風に流されているのか、空気に流されているのかわからないが、それは新選組屯所にいるある人物の元へ落ちていった。

 縁側で寝転がっていた葉桜は、条件反射でぱしりと手に取る。

 昼寝をしていたところで見つけてしまったそれを寝ぼけ眼で見やり、それからゴシゴシと両目をこする。そこにあるのはいったい何を指しているのか。

「追加依頼は、基本的に受け付けられないんだけどなぁ」
 小さくぼやきながら頭を掻き、後ろへ倒れながら大きな欠伸をする。その様子を通りがかった数人の隊士が一部苦笑し、一部呆気にとられながら通り過ぎてゆく。前者は古株の隊士で、後者は最近入隊した者だ。

 気にせずに葉桜は手元の紙をゆらゆらと揺らす。

「というか、この間のと同じってことは何か? 今度は姿も見えないようなのからの依頼ってことですか」
 勘弁してよーとひとしきりじたばたしてから、よっこらせと年寄り臭いかけ声を駆けながら起き上がった。

「せーっかく平和を満喫してるっていうのに」
 紙を懐にしまい、肩と首を軽く慣らし、すっくと立ち上がる。

「抱え込んじゃうのはイケナイ性格だよねぇ」
 軽い足音が近付いてくるのに首だけ振り返る。

「あ、葉桜さん。一緒にお昼食べに行きませんか?」
 目の前まで来て止まった、小さな少女の頭に手を乗せる。

「…鈴花ちゃんも成長したよねぇ」
「はぁ?」
「ごめん、今日は野暮用ができちゃったから。また今度美味しいとこへ食べに行こうね」
 じゃあねとひらひら手を振りながら、少女から離れ、ゆっくりと屯所を後にする。その途中、巡察から戻ってきた永倉と手を打ち鳴らす。

「葉桜、飯食いに行くなら、」
「ごめん、違うから。ちょいと野暮用~。泊まるときは連絡するから」
「お、逢い引きか?」
「あはは、後で憶えてろよ~」
 軽口を交わしながら出ていく葉桜を見送り、永倉は中へと戻っていった。

 屯所を出てから、ゆっくりと歩き出す。しかし、少し歩いた先ですぐに立ち止まることになるのは何の因果か。それとも、屯所へ入ってこられないワケでもあったのだろうか。柳の木の下で泣いている女の子へと手を差し伸べる。

「あなたが依頼主かな?」
 顔を上げた少女は泣きはらした目をしていて。そして、とても弱々しい気配しかなかった。あの時と同じ、風が吹けばそれだけで霧散してしまいそうな微かな気配だ。

「もっと前、私がこの京へ来る前なら、どうにかする方法もあったんだけど、今は難しいんだよね」
 しゃがみ込み、少女と目線を合わせる。

「それに、この」
 言いながら紙の中に書かれた名前のひとつを指す。

「中村っていうのは薩摩の者でね、今新選組に入ってしまっている私には手が出せない」
 それから、ともう一つの名前を指す。

「彼に関しても保証はできないよ。それ以上に生かしたい人達がいるから」
 構わない、と。肯く彼女は泣いているようにも笑っているようにも見えた。だが、笑っているのなら、何故だろうか。

「…あなたの真意はわからない。でも、私は新選組を優先する。それでも構わないというのなら、約束しましょう」
 ふわりと風が葉桜を包み込み、ゆっくりと葉桜は両目を閉じた。もう一度ゆっくりと開いたとき、そこに誰もいないことを確認して、息を吐き出す。

「私も大概お人好しだねぇ」
 けらけらと笑いながら、歩き出す。向かうのは、島原。京の色町の一つである。

 新たな約束は、正直、よくわからない。なぜそれを望むのかもわからない。だが、一つわかるのは彼らが時代の犠牲者であるということだ。まだ自分は何も成してはいないが、おそらく自分がここに存在することで生まれた歪みかもしれない。ならば、それを正すのもまた自分の役目。

 立ち止まり、また空を仰ぐ。見渡すばかりの冬晴れの青空に、微かに混じる色が何色なのかという判別はし難い。

(花柳館、ねぇ。たしか、色町を中心に活動している情報屋だったと思うけど)
 どうやって入り込んだものか、少しばかり思案する。そして、結論は。

「ま、行ってみりゃわかるか」
 再びゆっくりと歩き出した足に迷いはもうなかった。これは、ほんの少しの回り道だ。自分は歪める時間が生み出す歪みを正すための、小さな小さな回り道。

「あ~面倒~」
 言葉とは裏腹に、晴れやかな表情を浮かべ、明るく笑う。葉桜の表情に、未だなかった。



p.2

 時は元治元年。色町として名高い京都島原の片隅に「花柳館」なる道場があった。道場として花柳流なる武術を教えるかたわら、同居する先代が町医者を営む一風変わった道場。何人も出入り自由を謳うその道場は、多種多様な来訪者達で常に活気に満ちていたというーーー

 その花柳館を含む香久夜楼という店の一室、窓際に座って晴れた空を見ながらゆっくりと葉桜は茶を飲む。こくり、こくりとことさらにゆっくりと飲みながら、向けられる十二の瞳を心中で軽く笑う。不信、興味、困惑、疑心、そして、嫌悪。どれも覚えのある感情で、そういう視線が向けられることもよくわかっていた。わかっているから来るのを避けていたのだが、あの依頼を受けてしまったからには仕方がない。精々、嫌みな奴と覚えられる程度には動かせていただこうか。

「お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます」
 作り笑顔で挨拶すると、まったくだとあからさまに嫌悪を向けてくるのは大柄な体躯の男、辰巳だ。一見して、剣の腕はありそうだが、腰に差してはある刀には封印がなされている。

「今日は個人として依頼に参りましたので、一応、自己紹介をさせていただきますね」
 ゆっくりと湯飲みをおき、それからぐるりと一同を見回す。

「私、相談屋を営んでおります、葉桜、と申します。まあ、こちらと似たようなお仕事が多いので、同業者と考えてくださって結構です」
 気怠そうな態度ながら、視線鋭く長髪の男、庵が繋げてくれる。場の空気と彼の貫禄からして、ここを統括しているのは明らかにこの男だろう。

「おまえたちも知っての通り、細かな相談事を解決するのが彼女の仕事だそうだ。新選組にいるのもその一環、ということでよろしいかな?」
「ええ、そうです」
 ここできっと顔を引き締める。

「まどろっこしいことは好きませんので、単刀直入にいかせていただきます。この京にいる間の私が受ける相談事の解決に、長期的な助力をお願いしたい。もちろん、報酬はその都度お支払いいたします」
「長期、というのは?」
 曇りそうになる心を笑顔で押し隠す。

「…およそ三年」
 例の紙に書いてあった時間から考えれば、これが妥当だろう。どんなに頑張っても、時の流れは変えようもない。この身に流れる血が、それを示してくれている。

「もちろん手を貸していただける内容かどうかは毎回ご判断ください」
 男たちに混じって座っていた少女が、え、と疑問を浮かべる。

「何かしら?」
「い、いえ…」
「言ってみろ、倫」
 庵に促され、倫と呼ばれた少女が素直な疑問をぶつけてくる。

「内容によっては断っても構わない、ということですか?」
「その時は一人でやる方法に切り替えるから問題ないわ。ただ、一人だといろいろと事後処理が面倒なのよ。土方とかにバレると後でうるさいし、反省文は書かされるは謹慎処分になるわ」
 これまでも何度か見つかって説教されたり、いろいろあった。正直、そろそろそれも面倒になっていたところだ。今回の依頼でそれが回避できるなら、それに超したことはない。

「…では、その、相談事自体を受けなければいいのでは?」
 もっともだ。だが、これだけは譲れないモノがある。

「倫ちゃんと言ったわね」
「は、はい」
「人が真っ直ぐに歩くためには一本の刀が必要なの。それを曲げたり折ったりしてしまったら、たちどころに進む道を無くして、深い森に迷い込んでしまうのよ」
 信念という名の刀が一本、人が生きるためには必要だと小さな頃に教わった。そして、その教えは今も自分の中で生きている。

「私には救いを求める手を振り払うことはできないわ。例えそれがどんなモノでも、優劣もない。そういう理の中で生きてるの。だから、相談事を受けないという選択肢は、ない」
 わかったかと笑いかけると、倫は迷う瞳で肯いた。これは迫力で押し切っちゃったか、と少し反省する。

「話を戻しましょう。依頼内容はほとんど、この京にいる町人からのものになると…?」
「俺様からもひとつ聞きたいことがある」
 辰巳がずいと少し前に出る。

「新選組にいる依頼ってのはなんなんだ?」
「辰巳くん」
「いいじゃねぇか。これから協力しろってんなら、聞かせてもらっても」
 こういうのは少し厄介だ。嘘を教えるのは自分の主義に反するし、かといって、ここで明かすには危険すぎる。

「…ある人物の護衛、みたいなもの」
「あんたの噂を聞いたことがある。不逞浪士をただ一人斬り捨てず、いつも必ず捕縛する。生かさず、殺さず、常に自分を狙わせる。その意図はなんだ? あんたは誰を守ってる」
 知られていても不思議はない。だから、不敵に笑う。

「新選組を守ってる」
「あぁ?」
「そういうことにしておいてくれない? こちらも守秘義務ってものがあるのでね、話すことは出来ないわ」
 半ば強制的にだが、重要なことほど歴史に関わることほど、口に出そうとすればとたんに咳き込み、一切の声が出なくなる。

「あんたが守らなきゃなんねぇほど、弱ぇ奴らじゃねぇだろ」
「そう、ね」
 腕ということなら、互角かそれ以上の猛者ばかりが対象だ。だが、だからこそわかることがある。

「力で守れるモノっていうのは、本当じゃない。きっかけにはなっても、それじゃあ何も解決しない」
 意味がわからなそうなこの男に話しても仕方がないかも知れない。だけど、疑問をぶつけてきた相手はこの男だ。他の奴じゃない。

「剣で守れるモノなんて上辺の命だけで、その人の心までは守れないんだ」
 心を折らずに守る方法をずっと探している。だけど、未だ自分はその方法を見つけてはいない。そう考えると胸が苦しくなる。今のままじゃ、例え助けたとしてもあの人の心は生かせないだろう。それじゃ、ダメだ。生きてくれなきゃ、幸せに来てくれなきゃ、助ける意味がない。

「…葉桜さん…?」
 倫の声にはっと我に返る。今はここで、悩んでいる時間じゃない。取り繕う笑顔を浮かべる。

「何も知らないで協力しろというのも不躾な話ですね。こちらもあなた方の腕を知っておきたい所ですし、ひとつ勝負をしませんか?」
 話せることがないのならば、こちらを知ってもらう方法はひとつしかない。自分の剣が語る言葉だけ、だ。

「花柳館の先代もご帰宅されたようですし、立ち会いをお願いしましょう」
 それから、倫、咲彦、相馬、辰巳、庵と順に対峙した結果、葉桜は彼らの協力を得ることに成功する。不信は残っているが、それは当然というモノだ。

「葉桜さん、ひとついいかな?」
「んー? さっきみたいのはもう無しだよ。話せないって言ったじゃん」
 剣を交わして、隠す心がなくなれば楽になる。尊敬語を使うのもやめ、取り繕うのもやめた葉桜は機嫌良く、倫と咲彦の取り組みを眺めている。

「あなたは花柳流の者か?」
「近からず、遠からずってとこかなぁ」
「では、その技はどこで教わったんだ」
「見様見真似?」
「隠すことではないだろう」
 そりゃそうだ。

「この流派を開くのに慈照さんの他にもう一人の協力者がいたのは知ってる? つーか、その人の技をまとめたのが慈照さんなんだけどさ」
 自分はその人に育てられたのだと言うと、不思議そうな顔をされる。まあ、当然だろう。

「技は教わったワケじゃないんだ。本当にいつも遊んでたらいつの間にか身についてただけ。仕事も元はその人がやってたのを継いだだけ」
「舞の型も混じっているが」
「ああ、それはもっと前に身についたもの。やりやすいから、そういう風にしてるだけなんだけど…変かな」
 不安そうに見上げると、彼は僅かに柔らかに笑った。兄がいたらこんな風だろうかと密かに思う。

「いや…綺麗だ」
 その感想ってどうよとか思ったけど、まあなんだか温かい気分だったから聞き流す。

「それはそうと、庵さんは強いね。思わず、本気だすところだった」
 けろりと白状すると彼は少し目を開き、それからとびっきりと作り笑顔を返してくれる。

「助かったとでも言ってほしいのか?」
「いいや、依頼を断ってくれるかと期待してた」
「?」
「正直、こんな無茶な依頼は断ってくれても一向に構わない。たださぁ何か理由があった方が色々と楽でしょ、私が」
 巫山戯たやりとりに本心を隠すのなんてお手の物だ。まだまだ馴れ合うには遠い距離、せいぜい怪しまれない程度まで縮めてやりましょ。それから、今度は間違えないように、距離をおかないと。

「庵さんは口が堅いと思うから先に言っておく。私ね、未来を知ってるんだよ。誰にも話せない未来を、ね」
 信じる信じないは個人の自由。でも、信じてくれたなら、協力してくれるだろうか。依頼なんかじゃなく、あの人たちを生かす道を教えてくれるだろうか。

「葉桜、さん…?」
「絶対の秘密だよ。ま、言っても誰も信じないだろうけどね」
 惑わせるのもすべて作戦。こちらの見せた剣にあなたは何を見ただろうか。私はあなたの剣に守る強さを見たから、同じだと思ったから。だから、信じるよ。

「依頼はともかく、これからはちょくちょく寄らせてもらうから。よろしくっ」
 吃驚した目がこちらを見ているのが面白くて、自然と笑顔がこぼれる。

 ねえ、ここは私がいることを許してくれる場所かな。それとも、敵になる場所かな。今はわからない未来だけど、いつか必ずやってくる別れの前に、どれだけ私は騙しきれるだろうか。自信はあまり、ない。



p.3

 道場内に空を斬る音も響かせず、静かに舞う者がある。男のような格好をしているのに、その舞姿をみているとまるで色彩鮮やかな単衣でも纏っているかのように見えるあたりが常人と思えない。

「倫ちゃんに、庵さん?」
 戸の開く音がする頃にはすっと動くのを止め、作り笑顔を向ける。気がついていても止めなかったのは花柳流の者だからとわかっていたからだ。

「花柳流以外に見せる型はない」
 再会した慈照に葉桜はまずそう言った。その言葉の通り、他の者がいる間は指一本も動かすことはない。

「お二人で稽古ですか? あ、じゃあ、私は見学させてもらおうかなっ」
 さっさと場を開けて、ここ最近は居心地の良い端に引っ込んで両足を投げ出し、のんびりする。まあ、いられる時間は長くないんだけど。

「仕事の首尾を確認にいらしたんですか?」
「あははっ、いらないいらない。だって、ただの風呂桶の修理だよ? どんなやつでもできるって」
 庵に呼ばれ、倫と師弟で対峙する。彼女の真っ直ぐで純粋な目が彼へと向かい、彼もまた大きく包み込む柔らかな目で彼女を見つめる。懐かしいなぁとも、羨ましいなぁとも思いながら自然と笑顔がこぼれる。自分にもそういう時があったなぁと過去に思いを馳せる。

「エブリバディ! 相変わらず、つまんねーことやってんな」
 戸口から入ってきた少年の言葉に思わず吹き出した。声をかけずに笑いを噛み殺したのは彼とは初対面でなく、何度も別の場所で構っているからだ。

「む、陸奥さん」
「げっ、葉桜っ?」
 こちらを思いっきり嫌な顔で見下ろす陽之助に片手をあげて挨拶する。

「なんっで、てめぇがここにいやがるっ」
「陽之助をからかいに」
「ふざっけんなっっ」
 いつも才谷の周りで吼えまわる可愛い子犬、というのが葉桜の陽之助に対する認識だ。

 どかりと隣に腰を下ろす少年の頭をぐりぐりとなで回す。身長はそう違わないはずだが、撫で回せる位置ということは。

「やだ、あんた縮んだっ?」
「縮むかっ」
 吼えてくるので手を離すとさっと身体を離される。最初は嫌われていると思ったんだが、ここ最近はどうも反応が定かじゃない。

「こんなところで会うなんて奇遇だねぇ。なんなら、このままうちまで一緒に来ない?」
 顔を近づけて囁くととたんに赤面する。こいつが自分で言うほど女慣れしていないってことなどお見通しだ。

「誰が行くかっ。大体てめぇのうちっつったら、」
「別に勧誘してるわけじゃないよ? ほら、陽之助は鼻がきくから、才谷を先に見つけて追い払ってくれるだろ? そうすると、私が安眠できるってわけだ」
「オレは番犬じゃねぇっ」
 からかいながらも、少し呆気にとられている倫に問いかける。

「倫ちゃん、こいつも稽古によく?」
「アンビリーバブル! こんなもんを真面目にやる人間の気が知れないね。剣だの体術だの時代遅れもはなはだしいぜ」
「でも、ここはそういうことを学ぶ道場なんです。見苦しいならばわざわざ訪ねてこないでください」
「こいつは何しに来てんの? っと。暴れるな、ワン公」
「オレを犬扱いするんじゃねぇっ」
 吼える陽之助の首根っこを掴み、押さえ込む。ばたばた暴れてもそう簡単に外せるわけもない。

「じゃあ何しに来てんの、陽之助?」
「今日はここで才谷さんと待ち合わせなんだよっ」
「「今日は」じゃなく、「今日も」、ですよね」
 すかさず倫のつっこみが入る。つまり、いつもここで才谷に待ちぼうけ食らわされているってワケだ。あいつはよく屯所に顔出してるから、ここじゃ捕まえにくい気もするが。

「そーゆーてめぇはなんでここにいんだよ、葉桜っ」
「あーん? 別にいたっていいじゃん。私の仕事は京都守護。間違っちゃいないでしょーが」
「こんな道場で何を」
 彼が続けようとした言葉は大きな声にかき消された。咲彦と辰巳だ。

「ただいまーっっ」
「おいおい、出迎えはなしかぁ? この俺様がようやくひと仕事終えて帰ってきたってのによぉっ」
「あ~あ、剣術以外にたいした特技もない男が何を威張り散らしてるんだか」
 陽之助の矛先が移るのに合わせ、こちらも解放してやる。こちらをちらりとみた辰巳は少し不機嫌そうだ。

「あんっ? また来てやがったのか、この軟弱男がっ」
「ここは何人も出入り自由、見学自由を謳ってる道場だろうが。何か問題でも?」
「うるせぇっ!この俺の目障りになるってことがすでに大問題なんだよ!」
「ほざいてろ、バ~カ」
「んだとぉぉぉっっ!?」
 いがみ合う二人はなんだか微笑ましい。てか、羨ましいかもしれない。自分にはこんな風に真っ向から向き合える友人などいないから。

「倫ちゃん、この二人はいつもこう?」
「はい」
「仲良いんだ」
「「よくねぇっ」」
 一緒に怒鳴らないで欲しい。頭が痛い。

「葉桜さんも来てたんだ。ついでに組み手しない?」
「そのうちなー。それより仕事の首尾は?」
「うーん、まあ修理自体はホントすぐに終わったんだけどさ…」
 どこか困ったような咲彦ににやりと笑う。

「何かあったの?」
 倫の問いかけに辰巳が不機嫌そうに、たいしたことはない、と返しているが。

「おさよちゃんは美人だったでしょ」
 男二人が渋面する。

「美人で器量よし。でも、周りは振り回されておしまいってのはいつもなんだけど、どうだった? オトせた?」
「葉桜さん、もしかして辰巳さんの女性にだらしない性格をわかってて依頼したんですか?」
「私は常々あの子をどんな男がオとすのか興味があるの」
 嬉々とする葉桜に呆れた倫の声が返される。

「まあ、問題はあの子が私を神聖視しちゃってるところなんだけどね。私は何でも屋ではあっても、英雄じゃないっての」
 彼女は任務中にみつけた不逞浪士を捕まえるところに出くわしたことがある女の子だ。その時人質にされた彼女を助けてやって以来、慕われてしまって困る。好かれるのは嬉しいが、あまり慕われて、周囲をうろつかれると彼女の方が危険なのだ。おかげで、彼女を助けた回数は多すぎて両手に余る。

「そんなとこに辰巳さんを送り込まないでくださいっ」
「あわよくば愛でも芽生えてくれればと思ったんだけど」
「残念ですが、辰巳さんと出会った女性の間に愛が芽生えたことは一度もないですよ」
「ぐっ、き、貴様っ」
「倫って結構キツイこと平気で言うよな」
 すぱっと言い切られた辰巳が怒りを露わにしたところでまた来客が出た。まった本当に千客万来だなと思いながらそちらをみて、固まった。

「こんにちは。みんな元気かい?」
「あん? ああ、情報屋の鹿取か」
 そういえば、そんなことやってるとか聞いたことあったっけ。頑としてその姿を見せてくれたことはなかったけど、というか屯所じゃそんな格好することなんてまずなかったな。自分の男姿見られるのを極端に嫌がってるから。

「鹿取、ねぇ」
「…可愛らしいお嬢さん、お名前を聞かせていただけますか?」
 白々しい。だが、どうやら関係を知られたくないのだと合点する。

「葉桜でいいわ。で、そっちは」
「鹿取菊千代。鹿取でいいよ」
「そ。今後も顔出すからよろしくね、鹿取」
 軽い挨拶を終えてから、辺りを見回してみれば。皆一様に同じ顔をしているのでわかってしまった。あー、バレバレじゃん。なにやってんの、烝ちゃん。

 いなくなった後で小さな笑いを零す。わかっていて、黙っている。そんな居心地の良い場所。こんな場所があるなら教えてくれりゃいいのにとも思ったが、事情はあとで本人にでも聞くとしよう。

「さてと、咲彦。次はオレが相手になってやろう」
 彼がいなくなってから庵がそう言い出した辺りから、急に道場内の空気が変わった。目の前で震える咲彦の様子をじっと見守る。変わったのはたったひとつだけだ。

「えっっ? あ、そ、それは、」
「いいから構えろ。そっちが構えなくともこっちは遠慮なく打たせてもらうぞ」
 庵から放たれる微弱な殺気に震える咲彦。手合わせした限りじゃ実力はあるのに。

「どうした。さっきまでとは威勢が違うじゃないか」
 一歩も動けない、目をそらすことさえ出来ない。未熟な強さを目の当たりにした気がする。新選組にこんなやつはいない。

「もったいない話だぜ。才能だけはありあまるくれぇ持ってるってのによぉ。意気地のなさがすべてを台無しにしちまってるぜ。ほんのわずかでも相手の殺意を感じたが最後、手も足も出せなくなっちまうなんてな」
 しかたねぇなという調子で辰巳は言うが、これは仕方がないで片付けるべき問題ではないだろう。こと花柳館においては重大な問題だ。まあ、だから慈照さんの息子である咲彦が継いでないわけだ。

「では辰巳くん、咲彦にかわってきみに俺の相手をしてもらおうかな?」
「そりゃ、残念。俺はもう腹が減って動けなくなっちまったとこだ。おこうちゃーん、メシはまだかーいっ?」
 奥からおこうの支度中ですという怒鳴り声が聞こえ、また元の空気に戻る。咲彦のさっきの様子は見間違いではないだろう。

 隣で座ったまま辰巳と言い合いをしている陽之助に少しだけ寄りかかる。

「な、なんだぁ?」
「…難しいこと考えるのは苦手なんだがなぁ。才谷、元気か?」
「てめぇだって毎日会ってんじゃねぇのかよ」
 才谷とは何故かよく会う。勘付いているわけでもないだろうに、何故か見かけることが多い。自分が追っているのか、追われているのか。時々よくわからなくなる。あいつは気がついているんだろうか。

「毎日なわけあるか。そこまで暇な男じゃないだろ」
 表で聞こえた挨拶の声にびくりと身体が震え、泣きそうになる。ここ最近はいつもそうだ。ここに近づいてくる気配に、大声を上げて泣きわめきたい衝動に駆られる。でも、そうできないのは自分は大人になっている証拠なのだろうか。

「葉桜?」
「膝かせ」
 本人の了解も得ずにその膝を枕にして横になる。

「なにしてんだ」
「…私は寝てる」
「はぁ?」
 片腕を目蓋に重なるように置いて、全てを隠したところでその人が入ってきた。

「庵さん、山南さんがいらしたわ。おまけに、こんなにたくさんお団子をいただいたの」
「おほーっ、すげー! ありがとう、山南さん」
「んだぁ? さっきまで落ち込んでやがったのに、団子ごときでもう立ち直りやがった」
「う、うるさいなぁ、別にいいじゃん」
「いつもすまないな、山南さん」
「いやいや、気にしなくていいよ。庵さんには、いつもなにかと相談にのってもらってるからね。おや、陸奥君も来て…いたのか。才谷さんは一緒じゃないのかい?」
「ああ。でも、そろそろ姿を見せると思うぜ」
 近くに腰を下ろす気配がする。まさか、この人が来るとは思わなかった。

「葉桜君は眠っているのかな?」
「さぁな」
 頭をそっと撫でる感触に思わず息が詰まりそうになる。

「才谷さんの顔を見てから一緒に帰るかい、葉桜君?」
 騙されてはくれない様子に観念して腕をどける。こちらを見下ろす山南の眼差しは柔らかく、甘い。

「今日は非番、なんです」
「うん、そうだね」
 日増しに苦手な色を濃くしてゆくから、どういう対応をしていいのかわからなくなる。この人の傍は、居心地がよすぎる。

 起き上がった葉桜はまっすぐに見つめてくる山南を困ったように見つめ、諦めて笑った。

「よくここに来られるんですか?」
「ああ、庵さんと発明の話などをしにね」
 居心地が、よすぎて悪い。助けを求めるように陽之助を見ると彼はひどく驚いた顔をしていて、その少し上に視線を上げれば、辰巳まで変な顔をしていて。

「なに?」
 首を傾げると、思い出したかのように二人同時にまくし立てる。

「きゅ、急になんて顔しやがるっ。心臓が止まりそうになったじゃねーかっ」
「俺ん時と随分態度が違わねーかっ?」
 何も変な対応などしていないはずだ。

「…ったく、最初っからそうやって素直に笑ってりゃ、俺だってよぉ…」
「なに?」
「なんでもねぇよっ!」
 辰巳と陽之助の二人が呟いているのはあまりに小さくて聞き取れない。しかたなく、山南に意見を求める。

「ねえ、山南さん。私、何か変なこと言った?」
 しかし山南は何か楽しそうに笑うばかりで教えてくれない。

「…倫ちゃん、私、何か変なこと言った?」
 答えは返ってこない。彼らがどうして愚痴っているのか、笑っているのかわからない。

「もー、なんなの!?」
「どうしたい? ずいぶん賑やかじゃねぇか」
「あ、慈照さん、聞いてよっ」
 奥から出てきた慈照に今度は助けを求める。

「ほほう、こりゃ美味そうだ。わしもいただくとしようか。ほら、葉桜。親父さんと同じく酒飲みになってなけりゃ、いけるだろ」
 投げられた串を受け取り、一つを口に入れる。

「お…っ、美味しい~っ。でも、これ、めちゃめちゃ甘っ」
「葉桜君」
「ん、お願いします」
 残りを山南に渡して、即座に立ち上がる。

「咲彦、炊事場はどこっ?」
「え、ぇぇっ!?」
「あ、甘くて死にそう…っ」
 場所を聞いてそのまま道場を抜け出した葉桜は、おこうに入れてもらった茶で奥の部屋で一息をつく。

「…あ、あぁ…生き返る」
「ふふ、そんなに甘い物駄目なんですか?」
「好きなんだけどね~、どうしても入らないの。あ、私はここで休んでるから、気にしないで」
「はい」
 おこうがいなくなった後の部屋でごろりと寝転がる。

「あ~…もう一口ぐらい食べた方が…いやいや、後で地獄を見るのは私か」
 むにゃむにゃと考えている間にゆっくりとまぶたが重くなる。久しくなかった、穏やかな眠りの誘いに対し、葉桜は少しだけと両目を閉じる。

 そこが慈照の部屋だと聞いたのは起きてからのことで、居心地の良さに納得した。慈照は父様に一番近い、自分の過去に近い場所にいるから、だからこんなにも安心してしまう。新選組にいるときとは別の安堵に身を委ね、今はただ穏やかな日差しと空気を感じて、葉桜は眠りについた。



p.4

 薄ぼんやりとした暗い天井を見上げながら、それが現実とわかるまでに少し時間が必要だった。どうしてここに自分がいるのか、何故こんなにも力を使い果たしたように疲れているのか。揺らぐ意識を収め、ゆっくりと上体を起こす。

「ここしばらく見てなかったのに、な」
 額から汗が流れ落ち、布団に落ちる。長くみていなかったせいなのだろうか。心に深くのしかかる負担が強い。

 どくん、どくん、と自分の中で脈打つ音を聞き、心臓の辺りを強く掴む。

 夢はかつて何度もみてきたものとよく似ていた。父様の死をきっかけとして、その意思を受け継いだ時から見なくなっていたはずだったのだ。

 内容はこうだ。まっくらな闇の中に白石を敷き詰めた道が浮かび上がり、そこをわたしはただ歩き続けている。ずっと歩いていくとやがてその道は二股に別れるのだ。どちらの道の先も闇に埋まり、標も何もない。それは、選択の道。

「今さら、選べって? 無理言わないでよ」
 深くはき出す吐息は空に消え、のろのろと重い腰を上げて、いつもの男姿へと着替える。それから、顔を洗いに出た井戸でばったりと彼に出会った。

「おはようございます、葉桜さん」
「おはよー、三木。遅くまで飲んでた割に、早起きだねぇ」
 からかう言葉に恐縮する彼の肩を叩き、井戸から水をくみ上げる。後ろで制止しようか戸惑う声が聞こえた気がするけど、まあいいか。三木三郎は伊東さんの弟らしい。といって、あまり彼と似ているところはみられない。どちらかというと気が弱く、いつもどこか一歩引いたところがある。気遣いすぎるのが原因だとわかってはいるが、こればっかりは本人の性分だし、どうしようもない。仕方がないといえば、大抵の者がそうであるようにこの気の弱い男は酒が入るとかなり変わるらしい。まだ一度も飲みに行っていないので知らないが、話に聞いた限りじゃとても面白いらしい。まあ、原田には敵わないと思うけどな。

「葉桜さんも早起きですね」
「ああ、私は非番の日は早い内に出かけると決めているんだ」
「そうなんですか」
「どうだ、付き合うか?」
 にやりと笑ってみせると、少し戸惑った後で彼は穏やかに微笑んだ。

「どちらへお出かけになるのですか?」
「島原」
 とたんに動揺する彼をからからと笑う。

「な、え、葉桜さん!?」
「あはは、食事しに行くだけだよ。ご招待されてるんだ」
「しょ、招待って…」
「花柳館のおこうちゃんからご飯食べに来ませんかーって」
 もちろん、それは昼や夜のお誘いだろうが。

「せっかくだから、呼ばれてこようと思って。一緒にどう?」
「ど、どうって…あの、それ…」
「朝からおこうちゃんの食事なんて食べたら、一日幸せだと思うなー。新選組の食事はいかにもな男料理だから、たまに家庭的な味も恋しくなるのよねぇ」
 問いかけると段々と彼の顔が赤く染まってゆく。

「で、でも、朝からお邪魔したら、その、おこうさんのご迷惑にならないでしょうか」
「朝だからいいのよ。今から行けば、朝餉を作り始める前に間に合うでしょ。道場で軽く汗流してから食べる食事は最高なんだから」
「あ、汗を流すって…っ」
 戸惑う空気はずっと変わらなくて、少し言葉を止める。彼が花柳館へ行って先代の娘おこうに一目惚れしたというのは有名な話だが、思ったよりもその反応は面白くない。原田の方が豹変ぶりが面白かったなぁ。素面で「僕」だもんね。

「くっ、はははっ、あはははははははっ」
 いきなり笑い出した葉桜を前に三木は戸惑っていたが構わずに笑いながら、その手を掴み、引きずるように屯所を出る。

「なっ、ちょっ、葉桜さん!?」
「もうあれだ。面倒だから、付き合え。三木は今日非番でしょ」
「なんで僕の予定知ってるんですかーっ」
「細かいことは気にしない~。あとで御礼してあげるから、付き合いなさい」
「御礼って」
 立ち止まり、手を離して振り返る。三木はまだあっけにとられた顔をしている。それとも、それが標準なのだろうか。

「一人で出歩くといろいろ面倒だから、付き合ってよ」
「…葉桜、さん…?」
「あそこには余計なの連れていくわけにはいかないし、その点三木なら心配ないし」
 わからない顔をしている三木に軽く微笑み、そのまま歩き出す。少しの間をとって、彼の付いてくる気配にほくそ笑む。何も話さない彼を連れて道を行きながら、今朝の夢を思い出す。

 あれは選択がこの先にあるという暗示。つまりは、新選組に居続けるか、それ以外か。

「はっ、冗談じゃないよ」
 刻一刻と近付く事件を身体で感じているのに、どうにかできるわけもない。今さら、戻れるわけないもない。

 薄暗い京の町並みを歩く葉桜に、追いついた三木が並ぶ。感じる視線には戸惑いを感じ、疑心を感じる。何を考えているのだろうと、考えても仕方のないことを考えているのだろうか。

「ひとつ訊ねてもよろしいですか?」
「おこうちゃんのことだったら、今は難しいなぁ。とりあえず、今は逢い引きする相手はいないってぐらいしか」
「え、い、いえ、そういうことではなくてっ」
 取り乱す三木をクスクスと笑いながら、歩き続ける。早朝の町中でも多少の活気が出つつあるというのはこういう大きな町の特徴だろう。故郷ならば、まだまだ眠りについている時間だ。

「葉桜さんは何故、新選組に入隊されたのですか?」
 誤魔化すように訊ねられた問いに、かすかに眉を顰める。だが、不思議に思っても仕方のないことだろう。こういう時のために用意しておいた答えを舌にのせる。

「そりゃあ、新選組の噂は聞いていたからね。是非とも最強の剣客集団とお手合わせしてみたかったし、それにどういう奴らか興味もあったからね」
 鈴花ちゃんと共に会津藩からの紹介で入っていることは、すでに有名な話だ。隠し立てることでもない。

「正攻法で入っても良かったんだけど、鈴花ちゃんと偶然会ってね。彼女の仕える照姫様のご紹介で入れてもらったの。入隊試験なんて面倒だし、同じ道を志す仲間がいたほうが心強いでしょ」
「ああ、そういえば桜庭さんを妹のように可愛がっているとお聞きしました」
「そうなの~。もう可愛くて可愛くて。故郷にも弟はいるけど、やっぱり妹の方が可愛いね~」
「それだけでは、ありませんよね」
 至極冷静な言葉に立ち止まり、三木を見つめる。三木も立ち止まり、葉桜を見返す。

「葉桜さんの剣は護る剣です。その剣で何を護るために、新選組に留まっておられるのですか」
 まっすぐに見つめてくる視線をまっすぐに見返し、ゆっくりと微笑む。まさか、見抜かれるとは思わなかった。

「誰、とは思わないのね」
「あなたの剣の間合いは広い。とてもひとりだけを護るようにも見えません。まるで、その人に関わるすべてを」
 足を進め、三木に顔を寄せる。誰か、彼に余計なことを吹き込んだらしいと想像がつく。

「いい目をもってるじゃないの」
 ふっと間近に笑うと三木ははっと気がついて、慌てて下がろうとする。その腕を掴み、留める。

「でも詮索は無用。あなたにはそれ以上に大切なことがあるはず」
「っ、葉桜さん…っ?」
 唇が触れそうなほどの位置で囁き、不意に手を離す。体勢を崩していた三木はあっさりと尻餅をつく。とまどう彼を笑いながら通り過ぎた。

 呼ぶこともせずにそのまま花柳館へと向かうが、もう三木はついてこなかった。それでもいいかもしれない。詮索されるのは好きじゃないし、なによりあのまっすぐな目。

(あの目に弱いのよねぇ)
 困ったなぁと思案する。次からどういう対応をしたらいいだろうか。考えても答えはでないので、葉桜はそれ以上考えるのをやめた



p.5

 花柳館に直接関係している人間以外というのは、とりあえず想定していなかった。だから、おこうちゃんに頼まれて、機嫌良く道場の前を箒で掃いているとき、かけられた声にはひどく驚いた。

「葉桜、か?」
 懐かしい低音は久しぶりに聞くものだけれど、今の状況からして可能性を考えないこともなかったけど、まさか本当に会えるとは。

「奇遇だねぇ。元気そうでなによりだよ、半次郎」
 彼は細い目をさらに細めて、小さく笑う。

「そうだな」
 声をかけてきた男の名は中村半次郎。故あって、旧知の仲だが、これまでそう多くの言葉を交わす機会はなかった。そういうものだと割り切っていたし、互いにそれを楽しんでもいた。

「半次郎はここによく来るのか?」
「ああ」
「そうか。じゃあ、珍しく話す時間が取れるんだな」
 ほっと息を吐く。できることなら、この男とはこれ以上敵対していたくなかったのだ。遭えばいつでも互いに敵で、それでいて誰よりも信頼できる。そんな奇妙な関係はどれほど続いていただろう。

「話、か」
「まあ、そう嫌がるなよ。これでも私は買ってるんだ。あんたの、心、ってのをね」
 片目を閉じて挨拶すると、眉間の皺が深まった。嫌がっている風ではなく、戸惑っているという風に読み取れる反応だ。

「ここはひとつ取引といこう。ここでは互いに絶対に争わない。もちろん、主義主張含めて、剣でも言葉でも、ね」
 愚かなことだが仕方がない。何しろ、この男は自分の本質って奴をよくよく知っているのだから。

「ああもちろん、新選組にいる理由を聞くのも駄目だよ。仕事、だからね」
 戸惑う男が、戸惑いのままの問いを口にする。

「何も聞くな、ということか」
「ああ、理解が早くて助かるよ」
 話は終わったので、再び箒を動かそうとした腕を捕らわれる。それほどの力を込めているようには見えないのだが、こういうところは男の女の違いってやつなのだろうか。

「葉桜、」
 耳元で小さく囁かれる声にぞくりとする。この人は、こんなに深い声をしていただろうか。いや、今はそれよりも。腕を振り払おうとして、躊躇う。

「ならば、その姿のままでは困る」
「困る? 何故?」
 顔が、見れない。この躊躇うような囁きを何故、今。

「ここに来るときだけで良い。女性に戻ってはどうだ?」
 その意味を反芻する。同時に、脳が冷え、思考が覚まされてゆく。

「戻るも何も、私は男と偽ってなどいない」
 いつから男装をしはじめたのかと言われれば、それはある時と一致する。誰かに言われたわけではない。自分ですべてを決めた。時々は女装することを言いつけられてはいるが、それでも極力普段は男装したままでいると決めていた。

「時々なら女装したときにここに立ち寄ることあるが、別にこの姿でも構わないだろう?」
 彼は何か言いたげに口を開いたが、諦めたように手を離し、見上げる私に向かって何かを悟ったように笑っていた。

「無理を言って悪かった。ただ、その姿だとどうしても言いたいことがあってな」
 何をと首を傾げると、彼は何も言わずにただ葉桜の頭に手を置いて、通り過ぎた。何を言いたかったのか、何も言わないままの男の背中を、葉桜はただ見つめる他なかった。



あとがき




書き直し部分の切り出し
(2008/04/23)


書き直し三回目。前半一緒で、後半は変更
何回書き直せば気が済むのかと苦情が来そうで怖いです
でも、今回のでなんか愉しい気分になったんで、序章はもう書き直しません
(2008/05/07)


原作沿いって難しー!
あらためて、思いました


書き直し3回目?かな。何度も書き直してごめんなさい!
でも、これで序章の書き直しはストップです


内容のちょっとした解説を入れるとですね
ヒロインの山南に対するときと他の人に対するときは表情が違います
本人は無意識ですが、山南、というか新選組の幹部連中とは関わりが深いので
自然と目元が優しくなってるわけです
んで、初めてそれを目の当たりにした辰巳と陽之助は撃沈、と(笑
この後で相馬とか才谷や中村さんが出てくるんですよね
つか、いるのに三木は一言もしゃべれないまま…
まあいいか(よくない


この話での正ヒロイン倫ちゃんは庵ルートで進みます
なぜって庵はお父さんだから(笑。
あと、エンドのスチルがすごく幸せそうだったからかな?
(2008/04/23)


前に書いた奴そのまま追加
手抜きなんて言わないでください(手抜きだけど
(2008/04/23)


更新日変更忘れてました。
(2008/05/07 16:09:04)