GINTAMA>> 読切>> 私は私の世界が欲しかった(土方の場合)

書名:GINTAMA
章名:読切

話名:私は私の世界が欲しかった(土方の場合)


作:ひまうさ
公開日(更新日):2007.9.12 (2008.3.5)
状態:公開
ページ数:10 頁
文字数:36921 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 24 枚
デフォルト名:長浜/静流
1)
1#私は私の世界が欲しかった
2#考えるよりもまず動け

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p.1

1#私は私の世界が欲しかった



「やっと起きやがったかコノヤロウ」
 うん、きっと夢だ。なんでまた寝起きにこんなスリリングなことが起きるんだ。これはきっと夢だ。いくらなんでもこんな夢はゴメンだと掛け布団を頭までかけて寝直すことにする。

 だってさ、なんでまで寝起きに銀魂の土方みたいな男が私に向かって刀振りかざしてるわけですか。ありえないでしょ。絶対にあり得ないでしょ。ていうか、こんな夢もトリップもお断りだ。

「寝直すんじゃねぇっ!」
 布団に入っているはずなのに、目の前に何かが落ちてきた。いや、刺さった。そう、なんだか堅いものが目の前からそう離れていない場所に刺さったんです。

 こ、殺されると思うと怖くてガチガチ震えだして、起きるとか眠るとか考えるどころじゃないんです。なんでまた夢の中でこんな殺されそうな夢を見なけりゃいけないの。

「十数える間にそこから出てこい。でなきゃ、このまま叩っ斬ってやる」
 怖い。怖いけど、出て行かないと殺される。夢でも殺されるのは嫌だ。

 慌てて掛け布団をはね除けて、起き上がって正座する。震えは収まらないが、しっかりと目の前の人物を見上げる。短髪の黒髪に開き気味の瞳孔、心なしか米神がひくついている。そして、明らかに怒っている。

 だけど、この人を私は知らない。彼は私を見てとても驚いた顔をして、それから、明らかに眉間の皺を増やした。

「名前は」
 奥歯が噛み合わない。だけど、言わなきゃ殺されるだろうと必死に声を出す。

…長浜…っ静流…です
 我ながら消え入りそうな声だ。目の前の男も機嫌悪そうに聞き返す。

「っ、長浜、静流、!」
 刀も男も怖くて、泣きそうだ。だけど、泣いても何も変わらないことぐらいわかっている。これは、夢の中なのだ。

「どこの手のモンだ」
 でも、夢の中でだって、殺されることはある。それで目が覚めるかもしれないが、そんな目覚めは最悪なんてもんじゃない。それに、私がどれだけ怖い夢を見ても、そばにいてくれるひとなんていない。

「おい」
 世界に自分の味方なんて一人もいない。だけど、殺されるようなことをした覚えもない。それとも、なにもしていないことが悪いのだろうか。

 ガタガタと震えて、何も言葉にならない。ごめんなさいと、心の中で繰り返す。殺されるほどのことをした覚えはない。だけど、ここにいるということ、それ自体が罪だというのなら。

「お、おい?」
 男の持つ刀に手を伸ばし、掴んで引き寄せる。痛いけど、我慢することにかけては多分、強いのだろう。多少涙を溢れさせたまま、切っ先を自分に向ける。

「夢…」
「おまえ」
「…夢でまで否定されなくたって、私がいらないことぐらい、わかってるわよ…っ」
「なに言って、いや、ともかく手ェ離せや」
 ボタボタと血が布団へと滴る。もの凄く手は痛いし、カタカタと体は震えるし、恐怖で涙は止まらないし。

「…そんなに私がいらないなら…死」
 ふつり、と意識が途絶えた。緊張しすぎたらしい。夢の中だから、あれだけ言えた。そう、夢の中だから、文句も言えた。私がいらないのだというのなら、さっさと捨ててしまえばいい。誰にも必要とされないのなら、生きている必要だってないのだ。

 ああでも、夢だから起きたらまたいつもどおりの日常が待っているんだろう。トロいとか鈍くさいとか否定され続ける私の世界が。

 戻りたくない。だけど、そこが、私の住む世界だ。逃げたくたって逃げられない、私の世界だ。



p.2

 誰かの息遣いで目を覚ます。また違う夢が始まったのかと思った。

「今夜はよく夢を見るなぁ」
 つまり、きっと明日の朝は寝坊するに違いない。そうなると、また文句を言われながら、いつもどおりに学校へ行かなきゃならないのだ。

 今度はいったいどんな夢だろうと息遣いのする方へと顔を向ける。そうだ、目を開けなきゃ何も見えない。ぱちりと目を開くと、隣には見知らぬ男が眠っていた。自分が枕にしているのはその男の腕だ。

 自分の服を見ると、いつもどおりのパジャマだ。最近は柔らかなピンク地のを母が買ってきたので着ている。あまり頓着しないほうだが、時々どうかと思うパジャマを買ってくるのだ。

 つきりと両手が痛み、おそるおそる目の前へと持ってくる。両手とも治療され、包帯を巻かれているようだ。

「痛いか」
「…少しだけ」
「そりゃそうだ。刀ァあんな勢いよく掴む女はなかなかいねェぞ」
 自分が会話している。そのことにやっと気が付き、おそるおそる声の方を見る。男は目を開き、不機嫌そうにしている。

 さっきの刀で脅してきた男だ。どういう経過を経て、この状況になるのか。夢の中というのはよくわからない。

「おまえ、何者だ」
「え?」
「なにしにここへ来た」
 言っている意味がわからない。答えはひとつしかない、けれど馬鹿にされるのがオチだ。

「夢だのなんだのとごちゃごちゃ言ってやがったが、どういうことだ」
 そう、これは夢だ。夢なのに、どうしてこんな問答をしなければならないのだ。

「だって、夢でしょ? 私、いつもどおりに布団に入って眠ったら…あなたがいたんだもん」
 あなただって夢の登場人物なだけだ。現実じゃない、と言うと男が眉を顰める。

「手ェ痛くねェか」
「…痛いよ」
 言われる度にズキズキと痛みが増す。夢なのに、なんてリアル。

 はぁと深く吐き出された息が顔にかかる。

「いつもなら尋問でもやるところなんだが今日は余裕がねェ。明日、起きたら待ってろよ」
「はぁ」
 曖昧に頷き、すぐに寝息が聞こえてくる。どうやら、相当に疲れているらしい。どうしたらいいのかわからないし、でもこれは夢なんだし、目が覚めれば忘れていることだ。今日は学校でもいろいろと頑張って疲れた。他の人にとっては当たり前のことが、私にとっては一大事なのだ。夢の中でまで疲れることはないだろうと自分も目を閉じる。幸いにも睡魔は直ぐに訪れた。

 ただひとつ違ったのはそれが覚めない夢だということ。ただ、それだけだ。



p.3

 誰かの話し声が聞こえる。それからなにか金物がぶつかる音。うちの朝はそういう騒々しさじゃない。

「んうー」
「あ、起きましたぜィ、土方さん」
「てめぇ、言いたいことはそれだけか。上等だオラァアァァ!」
 私はまた一体どんな夢をみているのでしょうか。一つ前の夢の人が今度は薄茶色の髪の少年と斬り合いをしています。時代劇みたいな感じだけど、それがかすった柱に傷が。

 傷、が?

「夢だよね、これ、絶対夢だよ」
 ガチガチと奥歯がかみあわない。二つ前の覚えている恐怖を思い出したのだ。闇の中で刀を構えて、それで。

「しかし、まさか、土方さんが熟睡してるとはおもいませんでしたぜィ。その娘、一体何者ですかィ」
「知るか。昨夜戻ったら押し入れのなかにいたんだよっ」
 いったいどんな夢ですか。自分が殺されそうになる夢をみたと思ったら、添い寝されている夢で、その次は斬り合いなんて。

「あんたが素性も知れない女の前で熟睡たぁ、珍しい冗談もあったもんですねェ」
 夢でも怖いものは怖い。時代劇なんて、最近見ていないのに、なんでまたこんな現在と過去がごちゃ混ぜになったみたいな夢をみるんだ。

 目の前で繰り返される剣戟の音に両手で耳を塞ぎ、体を小さく丸めて縮こまる。それぐらいで聞こえなくなるようならいいのだが、この夢は妙に現実的だ。

 しばらくして、ぽんと頭に手を置かれた感じがして、吃驚して体が跳ねた。今日の夢で一番出てきた男は肩で息をしながら、そのまま私の頭を締め上げる。

「……」
 痛い。だけど、痛いと言えない私に渾身の力を込める男を見上げる。ああ、痛くてちょっと泣けてきた。

「痛いなら、痛いって言えよ。変な女」
「…痛い」
「遅い」
 笑いながら、拳骨で殴られた。さらに痛い。夢なのに。夢なのに、なんでこんなに痛いの。

「手ェ見せてみろ」
 こちらが出す前にぐいと引っ張られ、包帯を取り除かれてゆく。ガーゼを外すとき、傷口に貼り付いていたのだろう。少し痛かった。だけど、目の前にした傷口はもっと痛かった。深さ0.5センチはいってるのではないだろうか。ぱっくりと割れた傷口が想像以上に痛々しい。

 男は何も言わずにそこへ消毒液をぶっかける。痛みを堪え、閉じてしまいそうな手を堪え、顔を背ける。

「ありゃぁ、ぱっくりいってますね。痛くないんですかィ」
 さっきの男の子が手当をしてくれている男の肩越しに私の手を覗き込む。それから、私の顔を見て、面白そうに目を細めた。

「嬢ちゃん、名前は?」
長浜、静流
「へぇ? …おもしれぇ」
 にやりと笑いながら、少年は治療中の私の手を握った。

「俺は沖田総悟。総悟と呼んでくだせィ」
「おい、総悟!」
 男が驚いたように少年を振り返る。私は、痛くて、声も出ない。ぎゅって、傷口、でも、何か、言わないと。

「よ、よろ、しく、おねが、しま、す…っ」
 痛みを堪え、笑顔を作ろうとしたら、いきなり頭を叩かれた。同じく拳骨を落とされた少年も手を離してくれる。

「治療中だ、総悟。あっち行ってろ」
「へーい」
 少年が行ってしまうまで見送ってから、もう一度男がこちらに向き直り、もう一度私に拳骨を落とした。それから、優しく私の頭を撫でた。

「くっくっくっ、おまえ、本当にどこから来た? 幽霊じゃなさそうだが、間者って風でもない。何故、俺の部屋の押し入れなんかに隠れていやがった」
 隠れていたワケじゃない。押し入れは私のベッドだ。夢の中なのに、どうしてこんな扱いを受けているんだろう。夢の中なのに、どうしてこんなにも、私は変われないのだろう。

「…ちっ」
 舌打ち、された。私がいつまでも答えないからだ。

「隠れてたんじゃ、ない、です」
 話し始めた私を少し驚いたように見て、男は袂から煙草と小さなマヨネーズを取り出した。マヨネーズを弄ると炎が上がり、ライターだとわかる。

「どうした? 続けろよ」
 促され、じっとマヨネーズ型のライターを見つめながら話す。

「私、いつもどおりに学校へ行って、いつもどおりに布団に入ったんです。押し入れは、私のベッド代わりなんです」
 じっと見つめていることに気づいた男がライターを動かす。自然と視線がそちらへと向く。

「…私、夢を見ているんです」
「夢?」
「これ、夢なんです。眠っている間の夢で、きっと目が覚めたらいつもどおりなんです」
「……」
「今日の夢、なんだか妙にリアルで」
 怪我を忘れて、両手で男の手を掴む。

「ていうか、なんで夢なのに、夢の中なのに、こんな話をしているんでしょう? 夢に夢って言ったって仕方ないのに。それに…夢の中なのに、私は…また、否定されるなんて…」
 そうだ、私は現実でも夢の中でも、いらない子なんだ。

 視線を床に落とす。溢れそうな涙を堪え、ぎっと唇を噛む。堪えるのはもうクセみたいになっている。

 その目の前にマヨネーズ型のライターを差し出され、ふいと目を上げる。

「気になるか?」
「あ、はい。…見たことないから」
「そりゃあそうだ」
 ほらよと渡され、慌てて受け取ろうとして失敗して落とす。

「この距離で落とすかぁ?」
「す、すいません。すいませんっ」
 謝りながらおそるおそる手に取る。どこで火をつけるのかとくるくると手元で動かし、何度か回転させた後に、それを見つけた。

 しゅぼっ、と音がして火が付く。

「そこまで複雑なモンか?」
 苦笑しながら言われて、落ち込む。そうだ。こんなこともすぐには見つけられない。これでも回答が見つけられるだけマシなほうだ。

 どうして、私はこんなに不器用なのだろう。

「あー…マヨネーズ好きか?」
「はいっ!」
 勢い込んで答えた私に男はいきなりむせた。

「…あ、あの、大丈夫」
 ですかと続ける前に、がっしと両肩を押さえられた。

「ちっと待ってろ」
 立ち上がり、男が足取り軽く去ってゆく。驚きつつ、私はそこから見える景色に視線を移した。緑一杯の庭は広い。家、というわけじゃなく、どこかの、そう漫画や映画やドラマで見るみたいな広い広い日本の屋敷を思わせる庭だ。

 立ち並ぶ木立、遠くからは町の喧噪、少し近くで稽古の声、誰かの悲鳴。…悲鳴?

「どんな夢…」
 空へと視線を移す。青い空は現実と変わらない。ゆっくりと白い雲が流れ、宇宙船みたいな飛行機が飛びかっている。

「…夢、だよね」
 これは最近ジャンプで読んだ銀魂にそっくりだとようやく気が付く。ということは。

「山崎退さんとかいるんだ」
 ぼーっと呟いたら、えぇぇ!?という驚きの声の後で、目の前に凡庸な男が顔を出した。いや、普通のどこにでもいそうな男が現れた。

「俺を知ってるのっ?」
 ホントに出てきた。どうしようか迷った後で、こくりと頷く。

「ミントン好きで、いつも…えっと副長さんに怒られて、」
「そうそうそう。そうなんだよ。ていうか、なんで知ってるの? 君、さっきから夢だ夢だって言ってたし、副長にもそんなこと言ってなかったよね」
 少し迷って、もう一度こくりと頷く。

「…空」
「空?」
「見てて、見たことあるなぁって。ジャンプ、立ち読みしたせいかな」
「遅っ」
 言われて、そうだなぁと苦笑いする。彼はそんな私をじっと見つめた後で一通の手紙を差し出した。

「長浜静流ちゃん、でいいんだよね」
「え?」
「帰りに拾った手紙なんだけど、宛先が、ね」
 彼が見せてくれた手紙にはこう書いてあった。

「真選組、土方十四郎の部屋の押し入れ内、長浜静流様?」
 …あれ、と首を捻る。

「副長の押し入れから出てきたんでしょう? だったら、これは君宛だ」
 両手で受け取り、裏返す。

「爆発物ではないみたいだし、検査はいらないと思う。入っているのは紙一枚みたいだしね」
 封は開けられていない。

「土方十四郎、って?」
「さっきまで静流ちゃんが話していた相手だよ」
 副長が身元不明の女の子に優しいなんて奇跡だよ、なんて言われても実感が湧かない。二次元がいきなり三次元になってもよく、わからない。

「あの人が、土方、さん?」
 首を捻って、もう一度山崎さんを見ると、すでにそこに姿はない。

 もう一度封筒を見つめ、封を開ける。入っているのは、彼が言ったように紙一枚。



 おめでとう。

 ここは君の望んだ君の世界です。

 この世界を精一杯楽しんでください。




「…おめで…? 楽しむ…?」
 夢の世界に配達されたこの手紙は一体なんだろう。と考えていると上から取り上げられた。

「なんだこりゃぁ?」
 取り上げたのはこの夢で今、一番登場回数の多い男だ。片手でお盆を持ち、空いた手で私宛の手紙を読んでいる。

「あぶり出しか? 何にも読めねェ」
 どかりと腰を下ろし、私の前にずずいとお盆の上の食事を勧める。お膳にあるのは味噌汁とご飯と焼き魚に漬け物。純和風の食卓の隣にマヨネーズが二本乗っている。

 これは、どこにマヨネーズをつけろと言うのか。ああ、醤油があるから、醤油とマヨネーズで焼き魚かな。他にマヨネーズを使うとしたら、どこだろう。

 私が考えている間に男は再びマヨネーズ型のライターを取り出し、手紙をあぶり出した。もちろん、すでに書いてある以上のことは出てこないだろう。

 じっと見つめている私に気づいた男が振り返り、食事をしろと言う。この人が、土方十四郎、なのだろうか。よく、わからない。

「変な夢」
 だったらと皿の上の焼き魚のわきにたっぷりとマヨネーズを注ぎ、魚自体には標準通りの醤油を垂らす。箸を取って、いただきますと挨拶をしてから、食事を始める。ひとよりも遅いので、とにかく必死に箸を進めたのだが、ふと気が付くと不機嫌そうな視線を感じる。

「…てめぇ」
「マヨネーズつけて焼き魚は初めてです。…意外と美味しい」
「にしちゃあ、少ねェじゃねぇか」
「マヨネーズって高いんです」
「この俺が良いって言ってんだ。好きなだけ使えよ」
「それに、お料理、作ってくれた人に申し訳ないです」
 ぱくぱくと必死に食事を口へと運ぶ。イライラしているのが伝わってきて、ビクビクしながら私も食事をする。そして、ご飯と味噌汁を持ち替えたとき、それは起きた。

 無言で男は私のご飯にマヨネーズをかけ出したのだ。これには吃驚して、私も食事の手を止めてしまった。なにをいきなり始めるのだ。まさか、そのご飯を食べろと。せっかく、丹誠込めて作ってくれた美味しいお米で炊いた美味しいご飯を台無しにするつもりですか。

「食え」
 食べないと殺すと目で脅されている気がして、仕方なくそれに箸をつける。

「…ご飯が可哀相」
「いいから食え」
 大人しく箸を進めている間、彼は一歩も動かずにその場で煙草を吸いながら、じっと私を見つめていた。

「ごちそうさまでした」
 ぱたりと箸を置く。ずいぶん時間がかかってしまった。

「うまかったか」
「はい」
 そのまま彼がお盆を持ち上げようとして、つい声を上げてしまう。

「なんだ?」
「…え、ええと…なんでも、ない、です」
 マヨネーズをご飯にかけたりはあれだけど、そうでなくても結構好きなのだ。普段は食べ過ぎると怒られるのだが、どうもこの人は大丈夫そうだ。だけど、あれはきっとこれからも使うもののはず。ということは、当然マヨチュッチュなんてしたら、まずいだろう。

 男は少し考えた後で、もう一度座り直した。

「うまかったんだよな?」
「は、はい」
「全部きれいに食べたな」
「…残すと、もったいないお化けがでるから…」
 ちらりとマヨネーズを見る。やりたい。けど、明らかにその行動が変だということはわかる。夢とはいえ、ここまで世話になっていて、それはまずいだろう。

「マヨネーズが気になるのか?」
「へ? …え、ええと…」
 袂からマヨネーズ型ライターを手渡される。そうじゃないけど、言いたくない。迷っていると今度は本物のマヨネーズを手渡され、男はいなくなった。

 さて、意図は正確には伝わっていないにしろ、マヨネーズは残された。直接口をつけるのはまずいだろう。とりあえず、手のひらは包帯が巻いてあるので、腕の内側に少し出してみる。これなら、直接口をつけるワケじゃないしと口に近づけ、ぺろりとなめた。

 一度やってみたかったんだ。マヨネーズは好きだけど、直接食べるのはどうにも遠慮が先に立つ。でも、誰もいないなら、いいよね?

 もう一度、今度はさっきよりも大目に取り出す。ぺろりと舐めて、夢に浸る。こういう夢なら、歓迎だ。太るワケじゃないし、夢を叶えられるし。

 もう一度と三度目を繰り返していると、急に視界が暗くなった。

「なにしてやがる」
「!!!」
 見られた。さっきの人に、見られた。やばいよ、私変態だよ。変人どころじゃないよ。ど、ど、ど、どうしたら。

 マヨネーズをつけた腕をがっと掴まれて、体が強張る。

「ったく、そんなに好きなら遠慮すんなってのっ」
 男は急に嬉しそうに笑うと、べろりと私の腕を舐めた。大きな舌で、べろりと舐めたのだ。腕を舐められる感触にぞくりと体が震える。なんで、なんで、なんで、こんなことに。いや、自分のせいだけど、なんでって言いたくなるよ。

「うめぇ」
「ど、どうも?」
 ビクビクしている私を笑い、腕を離される。掴まれていた箇所が幽かに赤くなっているのをそっと隠す。

「ご、ごめんなさい」
「あぁ? なんで謝ってんだ?」
「マヨネーズ…あの…」
「いいって。気にすんな」
「で、でも…高いし」
「だから、気にすんなって」
 がっしと頭を掴まれ、がしがしと撫でられる。さっきと打って変わってものすごい上機嫌だ。この人が、本当に、真選組の副長なのだろうか。マヨネーズの件はとてもらしいけど、本物なら私、殺されててもおかしくないんじゃないだろうか。

「マヨネーズ好きに悪人はいねぇ」
 その論理はどうかと思う。

「静流。おまえは面白いし、気に入った。どうせ行くところはねぇんだろ?」
 夢の中、行く宛があったらすごい。こくりと頷くと、男は満足そうに頷き、私を立ち上がらせた。

「じゃあ、決まりだ。お前はここに住め」
 こことはどこでしょう。不安そうに振り返った私に男は大丈夫と力強く頷く。そうじゃないくて。

「ここって、どこですか?」
「あぁ? 俺の部屋」
 俺の部屋というのはどこでしょう。さっきの手紙の宛先には、真選組土方十四郎の部屋押し入れ内となっていたから、なんとなくわかるんですけど。

「俺の部屋の押し入れから出てきたんだ。あそこでいいだろ」
 いやいやいや、良くないでしょうよ。明らかに、それは駄目でしょう。ぶんぶんと首を振る私に男は考え直そうとしてくれる。

「駄目か? じゃあ、隣空けるか」
 空けるかっていうことは今現在誰かがいるってことで、それはやっぱり駄目だ。私のために場所が空けられるなんて、申し訳なさ過ぎる。

「あぁ? それも駄目だってのか。しかし、ここは男所帯だからなぁ」
 話している間にどこかの部屋の前に着く。

「近藤さん、入るぜ」
 入るの、は、を言った時点で開けた私たちの目の前には既に出かける準備万端の男がいた。とても大きくて、振り返った笑顔は何だか温かい。

「おう、なんだトシ」
 その笑顔が私を見て、目を見開き、それから私を連れてきた男を見てさらに驚く。

「ト、トシが女の子を連れてきた!? なに、どういう風の吹き回し? 今日は雹が降るのか!?」
「近藤さん、それを言うなら、マヨネーズが降るでさァ」
「なんっでてめぇがここにいやがる、総悟っ」
「静流ちゃん、手の具合はどうでィ」
 部屋の奥にいるさっきあった少年にびくりと体を震わせ、後ずさる。さっきの痛みは忘れていない。とん、と背中には連れてきた男がいて、私の背を押し、部屋へと入れてしまう。どうしようと悩んでいる間に、大きな人の前に胡座をかいて座り、隣を叩く。

「おい、さっさと座れ」
 ぼーっとしている私の腕を引き、座らせる。

「近藤さん、しばらくこいつを預かることにした。いいな?」
 ちょっと待って。私、まだここにいるなんて一言も言ってない。

「…あ…」
 何かを言う前に頭に手を置かれ、撫でられる。

「マヨネーズ好きに悪人はいねぇ」
 また言うのか。それで納得する人、あんたしかいないよ。とかいえたらいいのにな。うぅ、撫でる手が怖い。

 黙っていた少年が面白そうに私を見る。ああ、あの顔は嫌な予感がする。良くないことを企んでる。

「あ、あの!」
 恐怖を抑えて、声を出す。震えてはいたけど、三人は驚いたように注目する。ああもういやだ。こんな夢、はやく覚めてしまえばいい。

「私、帰ります。お、お世話になりましたっ」
 立ち上がり、来た道を走って戻る。どうやって帰れば良いのかわからないけど、きっともういちど押し入れで寝て起きれば、目が覚めるに違いない。こんな、わけのわからない、何も出来ない私のまま、ここにいたくない。

 部屋の手前ですっころび、急いで彼の部屋の押し入れへと戻る。まだ布団があるのを確かめて、中へと入り、戸を閉める。

「おやすみなさいっ」
 夢だ夢だ。これは夢なんだ。起きたら、やっぱり私はトロくて、ドンくさくて、普通のことさえ普通に出来ないままの、駄目な子なんだ。

 こんな夢を見ていたら、何かが戻れなくなる気がした。だけど、彼らは簡単には諦めてくれなかった。

「てめぇ、こんな朝っぱらから眠るたぁ良い度胸じゃねぇか」
 なんで指を鳴らす音がリアルに聞こえるのでしょう。なんで、押し入れの戸を開ける音が聞こえるのでしょう。なんで、また目の前に刀なんて見えるんでしょう。

「こんな怖い夢はいやぁぁぁっ」
「いいから出てこいやコラァァッ!」
 ガタガタ震える私を引きずり出そうとした手が途中で止められ、優しく諭す声に変わる。

「こらこら、女の子にそんな乱暴はいかんぞ、トシ。静流ちゃん、だっけ? 怖くないから、苛めないから出ておいで。そんな場所じゃ狭いだろう?」
 さっきの温かい声だ。この人は大きくて、なんだか優しい。

「ひぐっ…狭く、ありません…」
「外は明るいよ。ね、苛めないから」
「近藤さん、どいてください。こうなりゃ実力行使でさァ」
 がちゃ、と何かを構える音にびくりと布団を跳ね上げる。さっきの怖い男の子がでっかい銃をこちらに構えているのだ。明らかに、私を狙って。

「おい、やめろ総悟!」
 頭を抱えて縮こまる私はそのまま弾丸の音を聞いた。こちらへ向かってではなく、外へ向かって放たれた音を。

「急に呼ばねェでくだせィ、土方さん。手元が狂っちまった」
 いったいどういう夢なんだろう。どうしたら、夢から覚めるんだろう。

「…総悟、上等だ。そこへなおれぇぇぇっ」
 朝の光景が再開される姿を見ながら、私はさっきの手紙を思い出していた。

「私の望んだ世界…? そんなワケ、ない」
 こんな世界を望んでなんかいない。私は、私を受け入れてくれる世界が欲しかっただけだ。必要とされるとか高望みをするわけじゃない。ただ、いてもいいんだって言ってくれる世界が欲しかっただけだ。

 こんな、怖い世界は望んでない。

「そんなところにいないでさ、おじさんと少し話をしないかい」
 二人を温かく見守っていた男が温かい目のままに言って、太陽みたいに笑った。この怖い世界で唯一見つけた温かさに私は泣きそうになりながら、やっと頷いたのだった。

p.4

 大きくて温かい人は近藤勲と名乗った。私も、その顔を見て、目を合わせて話す。

「長浜静流です」
「総悟から話は聞いてるけど、もう一度君から聞いても良いかな?」
「はい」
 夢には違いないけれど、とにかくここにいたいから必死に口を動かす。この人のそばにいるのが、何故か一番安全に思えた。

「私、いつもと同じに学校から帰って、夕飯を食べて、お風呂に入って、眠っただけなんです」
「うん」
「目が覚めたら、刃物を突きつけられてて、そう言う夢なんだって、思って、なんだか、哀しくなって」
 順々に思い出すうちに気持ちが沈んでくる。私の望んだ世界だっていうけど、ここだって、私を受けれてはくれなかった。

「夢だったらさっさと覚めて欲しいから、その人の剣を掴んだんです。あとは、気を失ってしまって」
 こうして私が近藤さんと話している間、土方さん(やっと名前を聞いた)のイライラした視線と沖田さんのいじめっこな視線を背中に感じていたので、余計に必死に集中した。

「次に目が覚めたら、その人が腕枕してたんです」
「おぉ!?」
「なんだか疲れてるからってその人は眠ってしまって、私も夢だからそのまま眠ってしまって」
「トシ…」
「次に目が覚めたら」
 後ろのイライラした人に何か言おうとした近藤さんは、私が話し出すとまた私を見てくれた。

「お、おう。それで?」
「次に目が覚めたら、その人と沖田さんが喧嘩してて、それから傷の手当てをしてもらって、朝ご飯をいただいて、近藤さんに会って…それから、それから…」
 後は、近藤も知っているだろう。不安そうに見上げる私の頭に大きな手を置いて、優しく撫でてくれた。

「ああ、わかった。話してくれてありがとな」
 こくんと頷くと、もっと撫でてくれた。さっきみたいな怖さはなくて、なんだか温かくて、くすぐったい。これこそ、夢というもの。そう、夢、なのだ。私から見ても、彼らから見ても、こんな夢物語、普通は信じられない。

「もう一度、押し入れの布団で眠れば目が覚めると思うんです」
「…そうなの?」
「だって、夢ですから」
 可笑しいことは一つだけある。私は何度も眠っているのに、この夢はなかなか覚めないし、かなりリアルだ。夢であってほしい、と思う。

「静流ちゃんにとって、ここは夢の世界なのか」
 こくりと頷く。

「もう一度眠れば、本当に目が覚めると思う?」
 ほんの少し逡巡し、頷く。確信はないのだ。あの手紙のこともある。

「目が覚めたいと思う?」
 その問いの意味を考えて、顔をあげた。近藤さんは優しく微笑んでいるけど、その目はとても真剣だ。私が何と答えようか考えている間に、近藤さんはまた笑った。

「まあ、だったら今日一日ぐらい楽しめばいいさ。こんなに良い陽気に眠るなんてもったいないだろ?」
 この世界を楽しんで、という手紙の文句と重なって吃驚した。楽しもうなんて、考えても見なかった。

「丁度良いから、トシ、今日は休め」
「はぁ? 急に何言ってんだ、近藤さん」
「トシは最近仕事しすぎだからな。ついでに静流ちゃんに夢の中を案内してやりゃあいい」
 夢の中の何を楽しめというのか。どれだけ楽しくても、所詮は夢なのだ。それに、服もない。

「山崎、用意してあるか」
「はいはい」
 漫画と同じようにその人は当たり前みたいに出てきて、私に風呂敷包みを手渡した。

「これに着替えて」
「え、でも…」
「楽しんできなよ。どうせ、君にとっては夢なんだろう?」
 それはそうだけど、受け取れません、と首を振った。

「楽しくなくて、いいんです。だって、夢が楽しかったら、現実に帰れなくなっちゃう、し」
 どれだけ現実が辛くても、そこが私の生きている世界なのだ。逃げたくても、逃げちゃいけない。それだけは、いくら私でもわかっていた。

「夢を逃げ場所にはしたくないんです。同じ夢はきっともう見られない。だったら、楽しくない方がいいです。…それに、私といても楽しくないですよ」
 私といるとイライラすると言われた。私といると苛めたくなると、からかいたくなると言われた。私がやるといつも人よりも遅くて、私がやると他の人のようにできなくて。

「やっぱり、もう」
「山崎、こいつ、着替えさせておけ」
 ぐいと腕を引っ張り上げ、立たされ、山崎さんに押しつけられる。

「十分以内に屯所の前に連れてこいや」
「副長!」
 なんで、と土方さんを見上げる。近藤さんと沖田さんも驚いたように煙草を吹かしている土方さんを見上げていた。

「そこまで言われちゃ、絶対に楽しいと言わせるまで返さねぇ」
 何を言い出すんだ。楽しくなんて、なりたくないって言ってるのに。

「くくく、そいつァ鈍くさいぜぇ。遅れたらわかってんだろうな、山崎」
「げ。じゃ、じゃあ、先に失礼しますっ」
 ひょいとそんなに力がありそうでもないのに、山崎さんは私を抱え上げた。どこかの部屋で手早く私に着付けして、髪を結って、薄く化粧して。

 本当に本気で慌てて、私を引っ張って外へと連れて行った。急いでいたから、私が歩いている時間が惜しかったのかもしれない。

 門みたいな場所に立たされて、絶対動くなと念を押されて、彼が消えた後。ひょいと門を外をのぞく。右側には「真選組屯所」と書かれた板が立てかけられていた。

「おう、何してる」
 ぐいと二の腕を掴まれ、それをした人をビクビクと見上げると、彼は小さく舌打ちした。

「行くぞ」
「…どこ、へ?」
 歩き出した男は普通に歩いているつもりなのだろう。だが、歩幅が違う上に、こっちは慣れない着物に草履。転ぶ条件はばっちりだ。

「ま、待ってくださいっ」
「あぁ?」
「…あの、転び…わっ」
 あっさりと体勢を崩しかけたが、二の腕を掴まれているせいで、地面と激突することだけは避けられた。だけど、この扱いはどうだろう。夢の中でまで、私はこんなだ。

「悪ィ、早すぎたか」
「すいません~っ」
 屯所を出て数歩。早くも泣き出しそうな私を脇に抱え、土方さんは来た道を戻り始めた。出かけることは諦めてくれたのかと思いきや。

 車のエンジン音にびくりとする。

「これなら、おまえが転ぶこともねぇだろ」
「…そうです、けど」
 一体この人はどこへ私を連れて行くつもりなのだろう。落ち込む暇もなく、車窓の景色に目を見張る。着物を着ているし、辺りは木造家屋もあるが、少し離れた場所にはビルも建っている。和と洋のミックスした町並はまさしく銀魂だ。

「どうだ、楽しいか」
「…少し」
「だろうな」
 車がスピードを上げる。そして、着いた場所はあろうことか遊園地だ。

「女ならこういう場所が楽しいんじゃねぇか」
 これ、って。もしかして、デートっていうんじゃないだろうか。そう思い始めた矢先に腕を引っ張られ、また彼のペースで園内へと入ってゆく。この状態、誰がどう見てもデートではないだろう。どう見ても私がむりやり引きずり回されているの図だ。

「アイス食うか」
「…え、お金」
「余計な心配すんじゃねぇよ」
 彼はぽんと私の頭を叩くと、そのまま引き摺ってアイス屋の前まで行く。

「何が良い」
 迷っている間も土方さんは待ってくれていた。イライラしながら。

(ええと、バニラも良いけど、イチゴもいいなぁ。…どっちにしよう)
「もういい。オヤジ、バニラとイチゴをダブルで頼むわ」
「あいよっ」
 そんな勝手な。というか、どうしてわかったんだろう。

「二つも食べられません」
 おろおろする私に店員がバニラの上にイチゴが乗ったアイスを渡してくれる。イチゴアイスが今にも落ちそうだ。危ない、と慌ててかぶりつく。それを会計を終えた土方さんに丁度見られた。

「なにしてんだ?」
 口を離したら落ちてしまいそうで、そのままくるりと向きを変え、ゆっくり落とさないように、反対の道の端まで行こうと歩く。後ろをついてきている土方さんの苦笑が聞こえてくるが、仕方ない。

 私が辿り着く前に土方さんは先に座って待ってた。その隣に立ったまま、はぐはぐとアイスを食べる。ほどなく、頭がキーンと痛くなった。

「うー」
「貸せ」
 頭を抑えている間に、アイスを持っている腕毎取られて、上に乗っていたイチゴアイスを一口に食べられた。まだ五分の一ぐらいしか食べてないのに。

「甘ぇな」
「私のアイス」
「そのままじゃ落ちちまうだろ」
「イチゴアイスー」
「ほら、んなこといってるとバニラも溶けるぜ」
「あ、バニラ」
 思い出して、急いでそれを食べる。だけど、やっぱりキーンと頭が痛くなる。

「くくくっ、何やってんだ」
「だって、溶けちゃう」
「貸せ」
「駄目!」
 片手でかぶりつこうとした顔を押さえ、自分でもう一度食べ始める。食べられないように頑張った甲斐もあって、なんとか溶ける寸前に食べ終わった。

「お、アレはどうだ」
 ジェットコースターを刺され、目を丸くする。どれぐらいのスピードが出るのだろう。というか安全基準とか、この世界は大丈夫なのだろうか。ドキドキしながらジェットコースターの列に並ぶ。土方さんは私を見ながら始終笑っていた。

「おい、大丈夫か?」
「う、うん」
 自分達の番があと少しまで来る。次のが行って、その次だというところまでくるともう我慢できなくなってくる。実は、ジェットコースターは大好きなのだ。

「くっくっくっ、楽しいか、静流?」
「うん!」
 素の笑顔で見上げると、土方は少し固まって、それから顔を反らした。

「そ、そうか」
 ジェットコースターが終わってからも興奮が収まらない私を土方さんは、心なしか楽しそうに見ている。

「おまえの現実ってヤツにも、これはあるのか?」
「うん」
 大きく頷く私を面白そうに見て、それから、観覧車を差した。

「じゃあ、ありゃどうだ」
 ひくりと顔を引きつらせながら、こくりと頷く。

「でっかいのは、乗ったことない、けど」
「ほぉ?」
 にやりと笑う土方さんからほんの少し距離を取る。だけど、それは無駄だ。

「じゃあ、行くか」
「遠慮します」
 背を向けて走り出そうとしたが、しっかりと腕を掴まれ、引きずられてしまう。

「怖いのか」
「夢の中でまで高いところに来たくないっ」
「大丈夫だって、そんなに高くねぇ」
 ウソだ。絶対にウソだ。

「なんでジェットコースターの次が観覧車なんですかっ? 観覧車は最後でしょっ」
「順番なんかどうだっていいんだよ。他にも行く場所はあるんだ」
「ぇぇぇぇえぇぇえええぇ」
 まだ午前中のせいだろう。たいして並ばずに順番は来てしまって、願い虚しく観覧車の中へ閉じこめられてしまった。こうなったら、もう何も見ない、何も聞かない。着くまで、じっとしてる。

 縮こまった私を笑う声がする。

「おい、まだあがってもいねぇぞ」
 知らない、聞こえない。聞きたくない。

 ぐらりと傾いた気がして目を開けると、隣に土方さんが座っていた。

「ゆ、ゆれ…っ」
「おちやしねぇよ。落ち着いて、外見てみろ」
「た、高い」
「外」
 言われるままに外を見る。広がる青空には宇宙船みたいな飛行機がいっぱい飛んでいて、街並みが広く見渡せる。漫画の世界だとわかってはいるけれど、新旧の混ざった光景は圧巻だった。

 言葉もない私に土方さんがいう。

「きれえだろ」
「うん」
 素直に頷く。ごちゃごちゃしているけど、この国はどこか温かさを感じる。

「おまえは世界に否定されてるって言ったけどな、世界ってなそこにあるだけだ。何もしちゃくれねぇ。誰もお前を否定してねぇよ。いらないなんて思ってねぇよ」
 ゆっくりと土方さんの言葉が入り込んでくる。

「それに、世界が否定しているとか言う前に、てめぇはちゃんと世界を受け入れてんのか?」
 問われて、振り返る。土方さんはただじっと私を見つめていた。

「これは夢だとかほざく前に、目の前のことをちゃんと見てんのか?」
 まっすぐに視線が突き刺さる。

「俺が見えるな?」
 こくりと頷く。

「俺がいるのがわかるな?」
 もう一度、大きく頷く。

 逃げて、逃げて、逃げ続けていても逃げ切れるわけがない。世界はあるだけで、ただ私が現実として受け入れることを待っているだけなのだから。

「ここは夢じゃねぇ。俺ら真選組が守っている江戸ってぇ町だ」
 頷く私を土方さんはただ抱き寄せた。

「夢じゃあねぇんだよ。俺も、お前も、全部」
 言い聞かせるような言葉に頷き、私は煙草臭い胸に顔を押しつけた。

「おまえをいらないとかいうヤツがいたら、俺が叩っ斬ってやらぁ」
 驚いて顔を上げる。

「だ、駄目っ」
「あぁ?」
「斬っちゃ、駄目。怪我するよ。痛いよ」
 土方さんが眉を顰める。

「なにもてめぇを斬るとは言ってねぇだろ」
「もっと駄目!」
 強く言うと、もっと驚いた顔をし、次いで急に顔を崩して柔らかく笑った。

「どうでもいいが、おまえ、それは誘ってんのか?」
 手で頬をそっと撫でられることにびくりと体が跳ねて、とっさに体を離していた。

「おつかれさまでしたー」
 後ろへ身を引いた瞬間に扉が開き、そのまま外へと転がり落ちて。気を失った。

 起きてから、土方さんに頭を下げる。

「すいません、すいません」
「いいって。驚かしたのは俺の方だ」
 でも、と笑いながら続けられる。ここはもう遊園地ではなく、町中の食堂だ。昼食をと連れてこられた。

「で、楽しかったか?」
「……それなりには」
 私の答えに土方さんはぴくりと肩眉を上げる。

「だって、まだふたつしか乗ってないです」
「しかたねぇだろ、気絶しちまったんだ」
 戻るのはゴメンだと言われてはしかたがない。大人しく目の前のメニューに取り組むことにする。ちなみに、土方さんはマヨネーズを常に持っているらしい。そして、勝手に注文されたカツ丼の上に、彼は現在こんもりとマヨネーズをかけている。すでにカツは見えないのだが、それでも山のように盛っている。あり得ない量だ。

「ほれ、土方スペシャルだ」
「……作ってくれた人に失礼……」
「黙って食いやがれっ」
 そういうと、彼は自分の土方スペシャルを手に一気に口へとかっこみだした。しかたなく、私も上のマヨネーズを抓み、口へと運ぶ。……マヨネーズは良いのだけど、この量はどうかと思う。とりあえず、上部のマヨネーズを綺麗に食べ終えてから、カツ丼へと取り組んだ。その様子を、土方さんはにやにやと笑いながら見ていたので聞いてみると。

「いいから食え」
 と、言われてしまった。食べ終わるまでにたっぷり一時間半はかかってしまった。が、彼はただ黙って待っていてくれた。それどころか上機嫌だ。

「食い方はちと気にいらねぇが、うまかったか?」
 こくりと頷くと、くしゃりと前髪を撫でられた。頭を撫でられるより、それは少しだけ怖く、少しだけ優しい。

 なんで、こんなにしてくれるのだろう。夢とはいえ、彼にとっては私は不審人物以外の何者でもないはずだ。その上、トロいし、鈍くさいし、足手まといでしかない。

「なんで?」
「あん?」
「そんなに楽しそう、なんですか?」
 瞳孔が更に開いた。ついで、いきなり不機嫌になる。私は、悪いことを言っただろうか。

「んなこと気にしてんじゃねぇよ。それより、他に行きたいところは」
 携帯の鳴る音に、機嫌の悪い土方さんは舌打ちして出る。電話の向こうは隊士だろうか。電話を切った直ぐ後で、もう一度舌打ちし、私の腕を引っ張る。

「行くぞ」
 どこへと問うまもなく、外へと連れ出され、もう一度車へと乗せられる。向かう先でなんだか、爆発音が聞こえるんですけど。

「……じ、事件、ですか?」
「ああ、悪いが付き合ってもらうぜ」
 ぐんと車が加速した。





p.5

 私は現場から山崎さんの手で屯所へと戻された。屯所の、土方さんの部屋へ。

「副長が帰ってくるまで、ここにいてね」
 何度も念を押し、彼もまた現場へと戻っていった。忙しいのに、わざわざ送ってくれた彼に頭を下げ、部屋と廊下の境で体育座りする。服は元のパジャマに着替え直した。着慣れない着物はちょっと苦しかったのだ。それに、もう夢から覚めるべきなのだと気が付いたから。

 このまま眠ってしまっても良かった。だけど、今日一日良くしてくれた土方さんに何も言わないで夢から覚めてしまうのは、何か嫌だった。柱に体を預け、両目を閉じる。

「どうして、かな」
 夢なのに。夢だとわかっているのに。本当に銀魂の世界なら、こんなに私に優しいはずがないのに、と呟く。

「覚めたら、忘れちゃうのに」
 彼にとっても今日のことはただの夢だ。だから、全部、忘れてしまわなきゃいけない。

 だって、こんなに楽しいことを覚えていたら、現実に戻ったときにきっといつもよりも淋しくなってしまうに違いないのだから。

「忘れたく、ないな」
 夢が覚めなければいいのに。このまま続けばいいのに。ほろりと涙が溢れ、頬を伝って落ちた。

「忘れなけりゃいい」
 声が聞こえて顔を上げる。目を開くと、庭に土方さんが立っていた。急いで走ってきたのだろう。息を切らしながら、私の前まで歩いてくる。

「忘れたくねぇなら、忘れなけりゃいいんだ」
 だんと、勢いよく私の前で膝をつき、右手で顎を持ち上げて、まっすぐに私の目を見つめる。

「俺は忘れねぇ。てめぇが夢だとかほざいていようが、今日のことは忘れねぇよ」
 頬の涙をそっと舐めて、囁く。

「幽霊でもなんでもいい。俺はてめぇに会いたかった」
 え、と問う前に唇が重なる。ファーストキスを夢の登場人物に奪われた。

「いいか、誰がなんと言おうが、俺はおまえを夢から覚めさせる気はねぇ」
 押し倒され、畳の感触を背中に感じる。だが、それを考える前に深く口付けられ、息が出来ない。

「世界の誰がてめぇを否定しようがいらないと言おうが、俺が言ってやる。俺にはおまえが必要だ、静流」
 月明かりを背負って囁く土方さんは、昨夜のように怖かった。だけど、今日一日があるせいだろうか。少し泣きそうだった。両腕を伸ばして、その頭に触れ、胸へ押しつけて抱きしめる。

「何の真似だ」
「わからない、よ」
 キスの後だからか、心臓が煩いぐらいだ。キスの後だからだ、こんなに涙が溢れてくるのは。

 必要だと言われたのは初めてだった。それも一番言われなさそうな人から。土方のような人は私を見ていてイライラするはずだ。そして、嫌いなはずだ。

 手紙の文句を思い出し、首を振る。これは、夢みたいだけど、夢じゃない。私を必要としてくれる人のいる、小さな世界。だけど、私の中のただの幻想にしなきゃいけない。

「これは夢です」
「まだ言うか」
「夢で、良いんです。だって、現実を、世界を受け入れろって、土方さんが言ってくれたんですよ。だから、私は夢から覚めて、世界を受け入れなくちゃいけない」
 遊園地の観覧車で言ってくれた言葉は心に染みこんでいる。文句を覚えていなくとも、きっとこの想いは消えないはずだ。

「もう、私、私がいらないなんて言いません。不器用で、トロくて、ドンくさい私を生かしてくれている世界を受け入れようと思います」
 起き上がった土方さんにならって、私も起き上がる。なんだか体が軽くなった気がする。月明かりがなんだか眩しい。

「土方さんのおかげで、なんだか楽になれました」
「!」
「夢から覚めて忘れなかったら、また会いに来れるでしょうか」
「静流…」
「これが夢で残念なのは現実に土方さんがいないことかも。だけど、きっといつか私を必要としてくれる人がいますよね?」
「い、行くなっ。行くんじゃねぇっ」
 土方さんの伸ばす手が私を通り抜ける。夢の終わりにしては上々だ。重ならないとわかっていて、私はそっと唇を寄せる。

「ありがとうございました」
 触れることは出来なかったけど、流した涙は残っていて、布団の中で私はもう少しだけ泣いた。

「私、頑張るよ。頑張るからね」
 もう逢えない人を想い、意を決して布団から起きた。

 約束したのだ。私は私がいることを許してくれているこの世界を受け入れて、ここで生きるのだと。たった一夜の夢だけれど、全部忘れずに残っている。

 カーテンを開けて、朝の光をいっぱいに受けて。朝の準備をするために、私は部屋を出た。

「おはよー、おかーさん」



p.6

 あの夢から二週間。私は、なんとか元気にやっています。もちろん、急に変われるワケじゃない。だけど、出来ないなら出来ないだけに頑張ればいいことはわかってる。土方さんみたいに、ちゃんと私を見てくれる人がいるはずだから、頑張れる。

 笑われたっていい。最後までちゃんと出来れば、結果オーライだもの。…ていうのは、最近できた友達に口癖。そう、友達が出来ました。夢の話はなんだか恥ずかしくて話していないです。だって、夢は夢でも漫画の世界の夢なんて、どう考えても可笑しいですよね。

 枕の下にあるノートにはあの時のことを書いています。土方さんの言葉を忘れたくないから、今日もお守りにして、ゆっくりと眠ります。

「おやすみなさい、土方さん」
 ひとつだけ残念なことは、同じ夢を見られないこと。もう一度逢いたくても、逢えないということ。だけど、弱音を吐いていたら、だめです。頑張るって、約束したから。

 眠りに入って直ぐ。押入の戸を開け、私をそっと揺り起こす声が聞こえて。私は強く両目を瞑り、体を小さく丸める。

「おい」
 夢だから、全部夢で、きっと幻想だから。

「起きろよ。静流なんだろ?」
 震える声も、貴方の声も、きっと私の幻想。あり得ない、から。夢だとわかっているのに、そっと私を揺さぶる人の声に、泣きたくなってしまう。

「実力行使、するぞ」
 言い置いて、布団を剥ぎ取られ、体が浮遊する。怖くて、私は目が開けられない。そっと布団に降ろされた感覚にびくりと体を震わせる。

「んだよ、また泣いてんのか」
 少し苛ついた声と、頬に感じる柔らかな感触。

「逢いたかったぜ、静流」
 きっと夢の中でまた夢を見ているんだ。だって、同じ夢を二度も見るなんて、あり得ないもの。しかも、あの時の続きだなんて。

「目ェ開けろよ」
 言われるままにゆっくりと開いた目の先で、土方さんは月明かりを背にして、私に目線を合わせて笑っていた。

「やっぱり、お前だな」
 あり得ないよ。だって、アレは夢だ。続きなんて、ないんだ。だったら、これは逢いたいと願った私の作る幻想。

「土方、さん?」
「ああ」
「…私、また、夢を…?」
「夢じゃねぇよ」
 不機嫌に言われて、笑ってしまった。なんて、夢だ。私は、また、どうしてこんな。

 ぎゅっと目の前の土方さんの肩を掴む。

「夢でも、いいです」
 その肩に顔を埋めると、そっと背中を抱きしめてくれた。

「私、土方さんに御礼を言いたかったから」
 これは夢だと己に言い聞かせる。こんな都合の良い夢なんて、他にない。

「私、ちゃんと頑張ってますよ。急に変わるのは難しいですけど、でも、人よりも出来ないなら、出来ないなりに頑張ろうって。最後までちゃんと出来れば、結果オーライ、なんです」
 くすりと友人の口癖を言ったら、笑えた。

「トロくて、ドンくさいのはなかなか変われないし、えと、天然?は私の持ち味なんだって、あゆが言ってました。あの、あゆは最近できた友達で、」
 ぎゅっと強く抱きしめられて、話すのを止める。

「おまえの現実ってやつは、楽しいのか?」
「あ、はい。全部、土方さんのおかげ…っ?」
 苦しいぐらいに力を込められて、息が上手くできない。でも、土方さんが苦しそうだったから、私も精一杯の力を込めて抱きしめ返した。

「…っ」
「俺のおかげ、か。そんなつもりじゃなかったんだがな」
 酸欠で遠くなりかける意識の端で聞いた声は、らしくなく泣きそうに聞こえた。

 しばらくして、目を覚ましたときはあの時と同じ夢の中だった。あの夜の二度目の目覚めと同じく、私は土方さんの腕枕で眠っていた。

「…まだ…」
 目の前の人の少しはだけた着物の袷を、きゅっと両手で握りしめる。あの時のように寝息は聞こえてこない。だけど、起きているかどうかを確認するのは怖かった。あの目を見て、言うには恥ずかしすぎた。

「また、逢いたかったです。あゆにも言えなかったけど、私はここにもう一度来て、御礼なんかじゃなくて、ただ逢いたかった」
 その時にまっすぐに目を見て話せる自分でいたいから、努力しようと、頑張ろうと思った。

「どうして、現実で逢えなかったんでしょう。土方さんみたいな人が同じように優しいとは思いませんけど、それでも現実で逢いたかった。逃げるんじゃなくて、ホントの土方さんに会いに行きたいのにっ」
 これは弱音だ。だけど、夢の中でぐらい、言わせてほしい。

「この想いはきっと間違ってる。だけど、私は土方さんがっ」
 最後まで言い終わらないうちに、胸に顔を押しつけられてしまった。

「寝ろ。話は夜が明けてからにしようぜ。だから、勝手に消えるんじゃねぇぞ」
 こくりとうなずき、私は大人しく眠りに落ちた。



*

(土方視点)



 すぐに腕の中から聞こえてくる寝息にほっと息を吐き、体を離す。少し目元に滲ませた涙を親指で拭っても、そのまま眠っていて、ただ不安そうに俺の衿を握りしめる。

「ったく、人の気も知らねぇで勝手にベラベラしゃべりやがって」
 夢なんかじゃないとどれだけ言っても聞かないだろう。二週間ぶりにあっても変わらない。

「てめぇこそなんで…いや、今度こそ帰しゃしねぇから覚悟しておけや」
 くつくつと喉の奥で笑いながら額へ口付けると、静流はびくりと体を震わせた。

p.7

2#考えるよりもまず動け



 生暖かな風が頬を通りぬける感覚で、意識がゆっくりと覚醒してゆく。

(朝、かな)
 ぼんやりとした頭でわずかに小さく目を開く。

「んんぅ」
「やっと起きたか…」
 黒い影と見つめられているような感覚に掛け布団を深く被り直す。

「…もうちょっとだけ、眠らせて…」
「あぁ?」
「ここにくると眠った気がしない…」
 舌打ちが聞こえて、はっきりと目を覚ます。夢の中、ではない。現実の土方さんだと気が付き、慌てて布団を跳ね上げて起きた。

「わわっ、すいません、土方さんっ」
「おーやっと起きたか」
 だけどそのまま静流は固まった。自分が跳ね上げた掛け布団はどうやら土方さんも使用していたらしく、寝乱れ、はだけた上半身に慌てて、今度は掛け布団を押しつける。

「きゃーっ!」
「うぉ!? てめっ、なにしやが…っ」
「静流、そのまま抑えておいてくだせィ」
 ひどく冷静な声に振り返り、おもいっきり目を見開いて固まる。バズーカを構えた総悟を前に硬直し、声も上げられないまま蒼白になる。逃げなきゃというのと、土方さんを逃がさなきゃというのとで感情が占められ、動けなくなる。

 だ、だめだ。変わらなきゃなんないんだから、と意を決して声を上げようと。

「伏せろ、静流!」
 突き飛ばされるように部屋から押し出され、ごろりと転がり出た廊下で弾みでぶつけた頭を抑えて、涙ぐむ。だけど、直ぐさま土方さんのことを思い出して起き上がって振り返った。そこにはすでに誰もおらず、剣戟の音が自分の後ろから聞こえてくる。

 ゆっくりと振り返り、その無事な姿に安堵の笑顔を浮かべる。

「おはようございます。土方さん、総悟さん」
 今日も無事な姿が見られた、と。笑顔でいつものやりとりを見守り、ああと思い出す。この一眠りの逢瀬の間にやろうと思っていたことがあるのだ。

 よろけながら立ち上がって、ひょこひょこと部屋の中へと戻り、押入の戸を開ける。そこに敷かれた自分の布団を確認し、枕へと手を伸ばしたトコで辺りが暗くなる。

「て…めぇ…っ、来た早々に帰るたぁどーゆー了見だ」
「え、ええ? 帰る?」
 振り返ると初めてあったときとなんら変わらない眼光で自分を射抜き、不機嫌なというよりも拗ねた空気をまとっている土方を見上げる。

「違いますよ。今回はお仕事を探そうと思って」
「…あぁ?」
「最近現実でもアルバイト初めて、それで…まあ、いろいろまだ出来ないことが多いんで、こっちでも働いて、頑張って慣れようかなって」
「無理だ」
 即答されるとわかってはいたので、泣くのは堪えて、静かに微笑む。でも、誰に言われるよりもこの人に言われるのが一番堪えているのは確かだ。

「てめぇみたいのがこっちで働いたら、天人の餌食になるだろーが」
 頭に手を置かれて、くしゃりと撫でながら引き寄せられて、その胸の中に抱かれる。

「どーしてもってんなら、俺の目の届くところにいろ」
 それはやっぱり働くなと言われているようで、だけど自分は変わろうと決めたわけで。

「土方さん」
 軽くを力を込めるだけで腕は弛められ、静流はゆるく微笑んだまま土方を真っ直ぐに見上げた。黒く、透明で、真っ直ぐで強い瞳は自分を確かに助けてくれる。

「私、少しは変われましたか?」
「…?」
「あの時から決めたんです。変わろうって。そのためにはなんでもしようって」
 動かなければ何も変わらないのだと気が付いた。変えたいのならば、変えようとしなければならないのだと。この人が教えてくれた。

「これが夢だとしても、そうでないのだとしても、ただお世話になっているわけにはいきません」
 たった一日だけしかいられないのだとしても。

 いつここへ来られるのかわからない、その上できることも限られている自分にできる仕事なんてないのかもしれない。だけど、諦めたくはない。

 しばらくの間、土方さんは何も言わなくて。静流はただ待ち続けた。その理解が得られると信じて。

 静流にとっての土方さんというのはそれほどまでに大きい存在となっていた。恩人というだけではない。誰よりもこの人に認められたいのだと、そう願ってしまう理由を自分でも気づいていない。

「てめぇは」
 奥歯を噛みしめ、絞り出すような、苛ついた声を真っ直ぐに受け止める。怖くないワケじゃない。だけど、優しい人なのだと知っているから。自分を案じてくれているのだと知っているから。

「…しかたねぇ。今日は俺の手伝いでもしてろ」
「え?」
「デスクワーク程度なら、問題ねぇだろ」
 離れたかと思うと、引き出しから何か紙の束みたいなものを取り出して、乱暴に静流に胸へと押しつけた。

「今日はここでそれの整理してろ」
 何を言われたのか理解できなくて、受け取ったものを抱えたまま呆然とする。手元からひらりと一枚が落ちかけて、慌ててそれを拾おうとして、結局全部落としてしまうのは変われていない。

「す、すいませんっ」
 しゃがみ込み、どうして自分はこうなんだと軽く自己嫌悪に陥りながら一枚一枚を拾い上げる。土方さんは何も言わずにどかりと布団へ横になった。それにわずかに顔をあげてから、紙を拾うのを再開した。

「写真、ですか?」
「手配書だ」
「へー…え? あ、うわっ」
 言われた意味に気が付いて、拾い集めたばかりの紙を再びばらまいてしまう。

「ご、ごめんなさ…っ」
 地の果てまで沈んでしまいそうな深いため息を聞こえて、びくりと体が震えてしまう。泣きそうな静流の前に手が伸びてきて、あっというまに紙を片付けて机に重石を乗せて起き、それからしゃがんだままの静流へと手を差し伸べる。

「変わる変わるって、別にそんな必要ねーだろ」
「え、だ、だって」
「おまえはそのままでいりゃあいいんだ。そのまんまで、な」
 このままじゃいけないと思ったのは彼の言葉故だった。だから、言われた意味がわからない。あのままじゃ、いけなかったから。だから、変わらなきゃって。

「おまえはもうちゃんと前を向いて歩いてんだろ? だったら、それでいい」
「でも、それじゃ、」
「俺が良いって言ってんだ。不服か?」
 睨みつけられ、硬直する。どうしたものかと考え込んでいる静流を前に、次第に土方はいらつきを露わにし、それから、また息を吐いた。

「悪ィ」
「え?」
「おまえは少し急ぎ過ぎだって言ってんだ。そう簡単に変われるもんでもねぇだろ」
 しゃがみこんで、静流と視線を合わせて柔らかく微笑んでくれる。こんな表情も出来る人なのだとわかるとなんとなく嬉しくなる。

「現実で頑張ってんだろ? だったら、こっちじゃもう少し肩の力ァ抜いて、楽しんでおけよ」
 ぐしゃぐしゃと頭を撫でて、止んだと思って目を開く。目の前には前髪が触れあうほど近くに顔があって、思わず体を引く。ここへ来て、何度となく経験しているから、何が起こるのかわかるから。

「俺の」
「土方、さん?」
「俺の目の届かねぇとこへ行くんじゃねぇぜ。おまえは俺の」
 予感がした。常には働かない自分の中の警鐘が。引いていた体を動かし、その両腕を伸ばして目の前の人に思いっきり抱きつく。自分でも何をしているのかわからないのだから、相手にわかるわけもない。

「…静流…?」
 ぎゅううと渾身の力で抱きしめても、この人には簡単に引きはがすことができるだろう。だけど、そうはされずに優しく抱きしめ返されて。

「すまねぇ」
 何故謝ったのか謝られたのか。どちらにもわからなかった。だけど、なんとなく土方さんにも何か思うことがあって、自分を助けてくれるのはそのためなのだろうと思った。



p.8

 ここに来ると、土方さんは極力そばにいてくれる。まるで、いなくなるまでの時間を惜しむように。いられる期限はたったの一日と決まっているのに。

 お風呂から土方さんが上がってくるのをあの夜のように膝を抱えて待つ。もうすぐ帰る時間だというのに、気持ちが留まりたいと泣きそうになる。

 ばさりと上からタオルを被せられ、慌てる。

「また、何か考え事か?」
 答える間もなく、隣に座り、肩を寄せてくる。その瞳の奥の艶やかな光にどきりと心が高鳴る。

「今日は楽しかったかよ?」
「…うん」
 一日を振り返って満足そうに頷くと、にやりと意地悪く笑われた。

「今日は逃げるんじゃねぇぞ」
 顔を向かせられ、口が合わされる。重ねるだけじゃない、深く深く入り込んでくる舌が苦くて甘い。ほのかに石鹸の香りがするのは、風呂上がりのせいだろう。

 角度を変えて、繰り返されるキスに頭がぼぅっとしてくる。

「静流、俺はな」
 しばらくして、力を無くした私を自分に寄りかからせて、ゆっくりと髪を撫でながら囁くように話してくれた。

「いつ死ぬかもわからねぇ仕事をしてる」
 それはよくわかっている。普段から腰に差している刀は総悟さんとじゃれ合うためのものではないだろう。

「だから、次に来たときにここにいるかどうかもわからねぇ。次がいつまでもあると思うな」
 何度もここへ来られたのだとしても、ここに自分がいると思うなと。優しい声で冷たいことを言い始めるから、わけがわからなくなってくる。ただ、わかるのは淋しいと思う感情だけだ。

「んな顔すんな」
 見上げられないように、顔を押しつけるように抱きしめられる。

「だからといって、ここに来る限り、おまえは俺のモンだからな。勝手にどこかへ行くんじゃねぇぞ」
「!?」
「総悟じゃねぇが、こんなにおもしれぇのは久々だ。精々楽しませてくれや」
 意地悪そうな笑い声が響いてくるのに、奥にあるのは優しさだ。犬猫を可愛がるような様子だけど、愛しい想いが伝わってきて、なんだかくすぐったさを感じてしまう。現実ではまだこんな人は現れていないからだろうか。

「ふふっ」
 口から溢れ出た笑い声に、ふと土方さんの手が止まる。

「土方さん、また会いに来ていいですか?」
「…おまえ、さっきの俺の話を聞いてなかったのか?」
「聞いてましたよ。でも、信じてますから」
「!」
「土方さんを信じてますから」
 もう一度という保証なんて、なかった。だけど、わかる。私はもう何度でもここへ来ることが出来る。

「ちっ、どこでンな駆け引き覚えやがった」
 引き寄せられる腕に身を任せ、消えそうな自分を制御する。まだ、目が覚めたくない。このまま、この人と夜を過ごしたい。せめて、明日の朝日が昇るまで。

「…?」
 引き寄せようとする手がわずかに留まる。

「静流?」
 願うことはいけないのだろうか。ここでこの人と生きたいと願うことは、現実から逃げることなのだろうか。

 世界が自分を拒絶する。ここは私の世界ではないのだと、曖昧な境界線を濃く引き直そうとしている。体から魂を引きはがそうとしているのだろうか。いつものふわふわとした感じではなく、強制的に引き戻そうとする強い力に抗う。

「土方さん、が、」
「お、おい?」
「私、土方さんと生きたい、です。それは、逃げることになるんですか?」
 問いかけは誰に投げかけたモノでもない。ただ、願う。

 苦しさが頬を伝う。

「何故…私にこんな夢を見せたの…。絶望から引き上げて、さらなる絶望へ落とそうとでも…?」
 現実にいないのだと言うことをいつも強く感じるのは、こんな風に土方さんと別れる瞬間だ。

「苦しいならやめとけ。また、来られるならそれでいいじゃねぇか」
 再び来られる保証なんて、どこにもない。たまたまが続いただけだ。

「そうやって、知らない間に土方さんが傷ついたとしても、知らない間に土方さんが死んだとしても、私にはわからない。ここへ来るまで何もわからないっ」
 それが怖い。今はもうここは夢じゃない。わたしにとってのもう一つの現実。そこからこの人がいなくなってしまったらと考えると怖くて仕方がない。

ーーならば、求めよ。

「何も出来ないのだとしても、それでも」
ーー力を。

「私はっ」
 私の中で響いていた声が応える。心得た、と。次の瞬間、目の前には光が溢れた。強制的に世界へ戻す光のような気がして。私は、手を、伸ばした。

 意識が光に包まれて、そのまま、私は正体を失った。



p.9

 ゆらゆらと脳を直接揺さぶられるような感覚が気持ち悪い。起きているのか眠っているのか、そんな単純なことさえもわからなくなる。土方さんのいるほうが夢だとわかっているし、あの夢のおかげで自分は現実へと帰ってこられる。わかっているのに、わかっていなかった。

 涙の後を手の甲でこすりながら、居間を通り抜けて、洗面所へと向かう。ごしごしと顔を洗い、鏡の前で泣きはらした目の女の子を見つめる。ひどい顔だ。こんな顔じゃ、いつ土方さんに愛想を尽かされても仕方がないかもしれない。

「頑張れ、私」
 鏡へ手を付き、空いた手をぐっと握りしめる。きりりと顔を引き締めても、やはり自分は自分だ。変わらない。変われない。

「おはよう、静流。朝御飯、早く食べちゃいなさい」
「はい」
 食卓に付き、両手を合わせて、いただきます。時間をかけているつもりはなくても、両親の食べ終わるのは早い。さっさと自分たちの分を片付けて、父を送り出し、母も出かける準備を始める。うちは共働きだ。

「お母さん、今日は少し遅くなりそうだから、夕飯は適当にすませてね。それから、寝る前にちゃんと戸締まりするのよ」
「はい。いってらっしゃい」
 バタバタと母が出て行き、家には自分一人だけになる。幸い、学校までは徒歩二十分だが、まだゆっくりしていても間に合う。

 食べ終わってから自分の食器を洗い、食器乾燥機に立てかけておく。それから制服に着替えるために部屋へ戻る。着替えたら、昨夜の間に用意しておいた鞄を持って、玄関から出る。いつも通りのそれを繰り返し、だけど、玄関を閉める前に一度だけ振り返った。何か理由があった訳じゃない。だけど、あの夢を見るようになってからほんの少し柔らかくなった、自分の世界。自分の居場所というものを感じるようになったのに。

 少しだけ、違和感があった。一度家の中へ戻る。もう一度家を出て、それを口にした。

「行ってきます」
 誰もいない家にかける言葉ではないだろう。だけど、自然と口を突いて出ていて。口にしたら、なんだか嬉しくなった。ここは自分の居場所だと、何かが教えてくれた気がする。

 少しだけ軽い足取りで、いつもの角を曲がる。町を流れる用水路に沿って歩き、しばらくすればもう学校が見えてくる。用水路にはいつもいろんなモノが落ちていて、あまり綺麗じゃない。それを見ながら歩いていて、それが始まった。

 ふつうに歩いていただけなのに、急に脳を揺さぶられるような感覚がして、視界が揺らぎ、吐き気がおそってくる。しゃがんでこらえようとしたけれど、それは強く私を揺らし、耳鳴りまでも連れてくる。

「っ」
 誰かがざわざわと話す声が聞こえる。何を話しているのかはよくわからないけど、気持ち悪い。肩に置かれた手がざわざわとする。揺らさないでと声を上げようとして目を開く。

「お嬢さん、大丈夫ですかィ?」
 すべては夢だったはずだ。何度も見る変な夢の中で、私は土方さんと出会って、何度も助けられてきた。

「…うそ、だぁ」
 吃驚して、気持ち悪かったのも全部吹っ飛んだ。目の前には制服姿の総悟さんがいて、その向こうに見えるのは何度も出会って、助けてくれた。私が前に進むための力をくれた。

「私、また夢見てる、の…?」
 歩きながら眠ってしまったのだろうか。そんな特技はさすがになかったはずだ。いや、それよりも自分の部屋以外でそれを見ることなんてなかったはずだ。

「何でもないんだったら、ちっとどいてもらえませんかィ」
 ひょいと総悟さんに抱えられて、どかされて、彼らは私のいたところを通り抜けて、門の中へと入っていく。自分のいる場所の真上を見上げると、そこには「真選組屯所」とかかれた大きな木の表札がかけられていた。

 夢の、はずだった。

「…土方、さん…」
 自分の小さな声じゃ振り返らない。だけど、何度も来て、あの人が自分の言葉を聞いてくれたことは忘れない。

「土方さん…っ」
 だけど、いつもと違うということが怖かった。振り返りもしないそれが予感を強くしてゆく。ここは夢とは違う場所だと、告げている気がする。

 とん、と戸を叩こうとして、留まる。もしもあの夢とは違う世界なのだとしたら。この戸を叩いたら、その先に待っているのはきっと。怖さで、身体が震える。

 望んだのはたったひとつだった。あの人と夢でなく一緒にいられること。だけど、すべてを忘れられたい訳じゃなかった。

「…嫌…ぁっ」
 またぐらぐらと脳を揺さぶられる感覚が襲ってくる。望まない世界、自分の居場所がない世界。そんなところにいる意味などあるのだろうか。

「…さんっ」
 不意に名前を呼ばれる声に顔を上げる。そこには苦笑している山崎さんがいて、その向こう側でにやにやと笑っている総悟さんと土方さんがいて。私はからかわれていたことに気がついたけど、ぼたぼたと落ちる涙を止めることも忘れて、彼らを凝視した。

「えーっと、とりあえず泣きやんでくれないかな」
「…ここは、いつもの夢の世界…? それとも、現実なんですか?」
 ぼたぼたと落ちる涙で前がよく見えない。

「今日はまたずいぶん色っぽい格好してますね。それが静流の世界の服ですかィ?」
 ゆっくりと近づいてくる咥え煙草の男を前にゆっくりと目を閉じる。

「学校に行こうとして、私はきっと途中で倒れて、それで…夢を…」
「夢じゃねえよ」
 顔を押しつけられたその広い胸には覚えがあった。かすかに香る煙草の香りも。

「悪ィ。いつもと違うカッコだったから、わからなかったんだ」
 いつもは寝るときに来るから、いつもパジャマだった。それでもいいと思っていた。だって、現実の服は夢と合わなかったから。

「これは学校の制服です。…本当に、土方さん…? 私の知ってる、土方さんですか…?」
「そういうおまえはどうなんだよ。俺の知ってる静流か?」
 頷く前に腕の中に閉じこめられたまま、唇が重なる。いつもしているのと同じ触れるだけのそれが、現実だと伝えてくれる。

 同じ世界に生きたかった。だけど、現実もだんだんと好きになっていたところだった。別れは唐突で、親し人たちに挨拶もさせてくれなかった。それが同時に悲しい。

「泣くんじゃねぇよ」
「私、もう、帰れない…?」
「帰さねぇよ」
 泣き続ける私を抱え上げて、土方さんが運んでくれる。いつもの、あの部屋へ。

 すべてを捨てたかった訳じゃない。だけどきっとこれは、あのときここを選んでしまった結果なのだろう。この人の近くにいたいと、願ってしまったから。

「好きになってきてたのに、土方さんのいうように世界を受け入れてきていたところだったのに、」
 世界とは残酷だ。どちらかしか選ばせてくれない。

 そう言うと土方は不満そうな顔をする。自分の部屋で制服の上着を脱いで、ベスト姿で胡座を掻いて、私の前で煙草を吸っている。

「じゃあなんでおまえは俺を選んだんだ?」
 決まり切ったことを言われ、こちらも頬をふくらませる。

「土方さんだって、どうして優しくしてくれたんですか?」
 互いに何といっていいものか言い淀み、私から先に視線をそらした。何も言えないままに時間が過ぎようとして、だけど何かを話さなければと考えて、必死に見つけた答えは翳りに遮られる。

 包み込む体温と伝わってくる優しさに泣きそうだ。

「俺にだってよくわかんねぇよ」
 不機嫌そうな声だけど、必死で慰めようとしてくれている。この人は言葉よりもとても優しい。自分の腕を伸ばして、力の限りに抱きしめる。

「そばにいたいと思ったんです。知らない場所で、知らないところで、土方さんにいなくなってほしくなかった」
 現実、いや自分の生きていた世界とは別の歴史を刻んでいる世界だけれど、この人の終わりはきっとたったひとつ。

「何もできないけど、一緒にいたかった。何ができるかわからないけど、そばにいたかった。土方さんが、じゃない。私が、ただ、そう願ったんです」
「元の世界にも大切に思える人たちはいました。お父さんもお母さんも、新しくできた友達も、みんな大切だった」
「だけど、土方さん以上に大切な人は誰もいなかった」
 強く抱きしめられて、息が上手く吸えなくなる。それをこらえて、私も抱きしめ返そうとして、やっと気がつく。

「こ、近藤さん…っ?」
「ああ、気にしなくていい。総悟と山崎から聞いてね。どうしてるかと様子を見に来たんだが、お邪魔しちゃっただったかな?」
「土方さん、土方さんっ、近藤さんがっ」
 小さく舌打ちしてから土方さんが離れてくれる。それから、待っていろと言い置いて、そのまま近藤さんと行ってしまった。

 残された私は空を見上げる。宇宙船がたくさん航行している、変な空。

「私、もう帰れないのかなぁ」
 考えたらまた涙が溢れてきて、手の甲でごしごしとこする。

「ああ、そんな風にしちゃだめだよ。腫れちゃうよ」
 庭から駆けてきた山崎さんが手ぬぐいで顔を拭いてくれる。ごしごしとこすられて、少し痛い。

「それから、これ」
 渡されたのは真新しい着物だ。春の花が散りばめられた華やかなデザインの着物は、とても自分に似合うとは思えない。

「そんな、悪いです」
「心配しなくても、これは俺からのプレゼントだから。気にしないで」
「や、なおさら気にしますって」
「この世界に来てくれたお礼ってことで」
 にっこりと笑う彼から戸惑いながら受け取る。

「御礼、ですか? でも、私がここにずっといたら…迷惑、ですよね」
 ここがだんだんと現実になっているのだとわかってから考えていることがある。銀魂を読んでいたから、わかっていることがひとつだけ、ある。

「そんな…っ」
「来る度に土方さんの負担になっていたこと、本当は気づいてました。でも、夢だからって甘えてたんです」
 立ち上がり、縁側へと出る。

「でも、ここにきたら、受け入れるしかないですよね。ここにいる、いられる努力、しないと」
 ぽんと頭に大きな手が置かれる。

「静流ちゃんは読み書きができるんだよな?」
 それは近藤さんの言葉で、私はそちらを見ながら、こくりと頷く。でも、そんな当たり前のことができたとしても。

 手を引かれ、背中を押されながら、土方さんの部屋へ移動する。それから差し出された紙と筆を手にする。紙には「真選組入隊規約」とかかれている。

「じゃあ、ここに名前書いて」
「…え…っと…?」
 紙に書かれた文字を読む。というか、最初の表題で何が書いてあるのかの予想ぐらいはできる。

「近藤さん、これ、何ですか?」
「真選組入隊契約書」
 その意味を考えて、筆を置こうとしたら、がっしと後からそれを捕まれた。

「黙って名前を書け」
「ひ、土方さんっ。や、やめてくださいっ。あ、や、いやぁっ」
 なんとか対抗しようと試みるも、力じゃまったく叶わない。だが、抗ったおかげで歪んだ文字は読めない。

「トシ、無理強いはよくないぞ」
「近藤さんは黙っててくれ。こいつに考えさせるとどうせろくなことにいきつかねぇんだ。さ、次でちゃんと書けなきゃたたっき…」
 言いかけた土方さんが私の顔を見て渋面する。それから、やっと手を離してくれた。

「静流ちゃん、よく聞いてくれ」
「…はぃ…っ」
 近藤に向き直り、こくこくと頷く。

「この世界でね、君のことはこう伝えられている。時間も空間も操ることのできる姫と」
 意味が理解できなくて首を傾げている間に近藤は続ける。

「俺たちは別に構わねぇ。だけど、きみの力を悪用しようとするやつらだって出てくるだろう」
 力と言われても、そんなものは持っていない。持っていたとしても、使い方がわからない。

「真選組にいれば護ってやれる。でも、君がその姫だと気がつかれるわけにはいかないんだ」
 そのためにもここにいる理由が必要だと、近藤さんはいう。だけど、それを聞いてしまったら、なおさら名前を書くわけにはいかないとわかってしまった。

 筆を置き、姿勢を正す。

「だったら、なおさらご迷惑をかけるわけにはいきません」
「…静流ちゃん」
「これが私の見ていた夢だと言うことも今が現実だということも理解しました。だからこそ…いられないのだということも」
 土方さんの不機嫌が伝わってくるのを振り返らなくても感じる。

「私の知っている世界なのだとしたら、私はやっぱり土方さんのそばにいてはいけない。総悟さんのためにも、」
 口に出せば終わるとわかった。だけど、そうしなければ、土方さんは私を手放してはくれないだろう。

「ミツバさんのためにも」
 ゆっくりと土方さんを振り返り、固まっている彼に微笑んだ。

「おまえ…なんであいつのこと知って…」
 その後にゆっくりと現れた総悟さんはひどく冷めた目をしていて。ぞくりと背筋が凍り付いた。私の反応で、土方さんも振り返る。

「総悟、てめぇが教えやがったのかっ?」
「違いますよ、土方さん。いくら俺でもそんなこといいませんって」
「総悟さんは何も言ってませんよ。私が知っていただけです」
 私を見下ろす総悟さんの目が怖い。ひどく冷たくて、身体が震える。気がついた土方さんが間に入ってくれる。

「やめろ、総悟」
 まっすぐに冷たい目を見上げたまま、震えを堪えて、答える。

「私の世界によく似た話があります。そこには土方さんも、総悟さんも、真選組のみなさんも出てきます。だから、貴方たちが江戸へ出てきた理由も、知っています」
 三人の目が怪訝になる。こんなことを話したら、変な子だと思われるだろう。でも、きっと話さなければならないことなのだ。

「夢を、叶えるんでしょう? だったら、やっぱり私はここにいちゃいけないです。だって、そのためにミツバさんをふったんですよね、土方さん?」
 漫画のなかの話だけど、自分では土方さんがミツバさんを想っていたことはとても嬉しかった。不器用な優しさが、痛いくらいで。彼女が羨ましかった。

 そう、とても羨ましかった。自分にはそんな風に想ってくれるひとなんていないから。

「余計なことは考えるんじゃねぇよ」
 がっと腕を取られ、引き寄せられる。急に近くなる気配に、鼓動が早くなる。

「いいから、これに名前を書きやがれ」
「…ヤ…です」
「早くしろ」
 それにさっきから全然話を聞いてくれていない。

「いや、です。嫌です。嫌です!」
「お、おい」
「とにかく、ここにいちゃ、土方さんのそばにいちゃいけないんです!」
 強く振り払い、反動で畳に顔から転ぶ。うう、痛い。

「っ」
 泣き出しそうなのを堪え、強く唇をかんだら、少し血の味がした。

「近藤さん、総悟、ちょっと外してくれ」
「あ、ああ。ほら行くぞ、総悟」
 二人の影が消えて、縁側の障子が閉められて。

「静流」
 名前を呼ぶ固い声が、怖い。最初の時みたいだ。

「…いつから、知ってた」
 それが総悟さんのお姉さん、ミツバさんのことだと気がつくまでにけっこうかかったかもしれない。黙り込んだ私を見ていた土方さんの目が悲壮になる。

「知っていて…」
「ち、違うっ。気がつくのはいつも現実に帰ってからで、ずっと、思い出せなかったの。でも、こうしてここにきて、こういう状況になって、初めて思い出せた。土方さんがミツバさんを受け入れなかった理由…っ」
 言葉が、詰まって、それ以上続けることができない。土方さんの目が、最初の時みたいで、怖い。私を、拒絶する、目。

 やっぱり、現実になんてなっちゃいけなかった。

「願わなければ、よかった…」
「っ!」
「できるなら、ずっと思い出したくなかった、です」
 最初はただその優しさに惹かれた。強引だったけど、絶望から救ってくれた。とても怖くて、とても優しい人だ。それが自分だけに向けられることが嬉しいとわかったのはいつからだっただろう。

 涙が、あふれ出す。

 現実と夢が入れ替わってしまったら、すべてが台無しになってしまう。そんなこと、わかっていたはずなのに。

 部屋の隅に置かれた刀に手をかける。

「夢から覚める方法は、たったひとつだけ」
 鞘から抜こうとした手を押さえられる。背中から覆う土方さんの体温が熱くて、触れる手がとても熱くて。心が、痛い。

「望まなければ、ずっと同じ夢を見続けていられたのにっ」
 土方さんの手にぼたぼたと私の涙が落ちてゆく。止められない感情の奔流に突き動かされ、言葉があふれ出る。

「落ち着け、静流っ」
「夢のままで、全部夢で良かったのに。それだけで、生きて、いけたの、に…っ」
「~~~っ」
「こんな世界に来たら、何もできないままの私じゃ本当に…っ」
 首の後に衝撃を感じて、私はあっというまに昏倒させられていた。

 二度目の目覚めはすぐに訪れる。夢のままじゃなく、現実のままの銀魂の世界で、隣には制服のままの土方さんが寝転がってこちらをみている。

「どうだ、少しは落ち着いたか」
「……」
「あのときと同じだな。静流は考えすぎると暴走しやがる」
「…ごめんなさい」
「勝手に考えすぎて、何度自殺未遂を止めたことか」
「ご、ごめんなさいっ」
 起き上がろうとしたところで、伸びてきた手に反射的に目を閉じていた。次には予期したとおりの鈍い痛み。

「そういうのは金輪際やめてくれ。仕事中に気が気じゃねぇだろ」
「痛い、」
「当たり前だ」
 その後から柔らかく撫でる手が優しい。

「ミツバはミツバで、静流は静流だ。あの時あいつの手を振り払ったのはミツバを確かに幸せにする自信がなかったからだ。それは今でも間違ってなかったと思ってる」
 まっすぐに見つめる視線から目をそらせずに見つめ返す。

「でも、おまえはミツバよりももっと頼りなくて、俺がいないと死んでしまいそうな駄目女で、そのくせ変な度胸だけは持ってる強い女だ」
 言葉の先を聞くのが怖くて、でも嬉しくて、もう一度目を閉じる。

「静流が好きだ。一番近くで、お前を守らせてほしい」
 互いに願ったのは同じことだった。一番近くに、そばにいたい。

「泣くんじゃねぇよ」
 頬に触れる無骨な手。目を開けると飛び込んでくる、蕩けるような甘い笑顔。

「どうせいくところなんてないんだろう? ここに、俺のそばにずっといろ」
 それはとても魅力的な誘いで。

「お前の中で夢だった一日が毎日続いていると思えばいい。夢がずっと続いていると考えればいい」
 優しい人が逃げ道を作ってくれる。ここにいてもいいのだと、私に居場所をくれることが嬉しくて、そして確かに私には必要な逃げ道だった。

「なんて、ひどい夢。優しすぎて覚めたくなくなっちゃいます」
「覚めなくていい。ずっと、ここにいる夢を見続けろ」
 布団の上で引き寄せられ、抱き寄せられる。腕の中は温かくて、優しすぎて。新しい居場所で、これから何をするべきか。この人に何をしてあげるべきか。ひとまず、考えてしまうと落ち込んでしまうので強く強くしがみつく。

「私は…っ、卑怯で…っ、臆病で…っ、勝手に一人で落ち込んで…っ、きっと、これからもそんなに変われないです。そ、それでも…っ」
 この夢を見る前まで、私は誰かに必要とされたかった。誰かに必要とされる自分になりたかった。だけど、この夢で土方さんと出会ってからは、土方さんに必要とされる自分になりたくなった。

 強くその胸に手を叩きつけると、土方さんは更に強く抱きしめてくる。

「変わる必要なんかねぇよ。おまえはおまえのままでいればいい」
「でも…っ」
「もちろん、すぐに熱くなるのは考えものだけどな。でも、静流は静流のままでいいんだ。変わるなんて許さねぇ。このままずっと俺のそばに」
 甘く優しい言葉は、ひどく心を乱す。

「それじゃ、土方さんに何も返せないっ。私は…あなたを助けられる人になりたいんですっっ」
 力でなんて言わない。ただ傷ついた心を癒してあげられる場所になりたい。それを必要ないと言われたら。

「どうしてただそばにいられるとっ? ミツバさんにだって、私は敵わない。なのに、ただいるだけなんてできないっ」
 ひときわ強く土方さんを押し返し、衝動的に庭へと飛び出した。外への道を探しても、広い庭は出口さえも見つけられない。近づいてくる声に対して、私は一層逃げ足を早めた。

「ったく、めんどくせぇ女だな」
「だったら、追いかけてこないでよっ。放っておいてよっ。私は、土方さんにだけは甘えるわけにはいかないっ」
「ふざけんな。てめぇひとりでどうやって生きるつもりだ」
「そんなのやってみないで諦められるわけないっ。諦めたら、全部終わっちゃうものっ」
 対峙する土方さんが煙草に火をつける。そして、こちらを見て口端をつり上げるようにして、笑った。

「だったら、新選組へ入れ」
「!」
「ひとりで生きられると、俺に証明して見せな」
 本当に残酷なくらいに優しい男だ。居場所をどうしたって提供してくれる。ここにいる理由を作ってくれる。

「できないなら、」
「証明、するわよっ。一人でも、ここにいる理由、作ってみせるっっ」
「上等だ」
 差し出された紙と筆を奪い取り、自分の名前を一気に書き込む。こうして、変われたのはこの人のおかげなのに、御礼さえ言えない。

「まずは剣の稽古からですかィ?」
「いや、こいつに剣は無理だ。銃器の取り扱いをみっちり教え込んでやる」
「ほほぅ、前線には出したくないと。心配性だなぁ、トシは」
 書いている間に冷静になってゆく頭に、三人の会話が聞こえる。はめられたと気がついたのは、そのときだ。どうにもパニックを起こすととんでもない行動に出てしまうと知ったのは、この夢に来てからのこと。

「追い出してはいただけないんですね」
 落ち着いたな、と近寄ってきた土方さんが抱き上げてくれる。

「馬鹿か。んな真似できるわけねーだろ。おまえは俺の部屋の押入から出てきてからずっと俺の所有物なんだよ」
 わかっておけと響いてくる音が心地よくて、温かくて、泣きたいくらいに嬉しい。

「おい、静流。土方のクソヤローに苛められたら俺んとこに来てもいいぜ」
「行かせるかっ」
「静流ちゃん専用の隊服が欲しいなぁ。松平のとっつぁんに頼んだら作ってもらえっかな」
「近藤さん、俺はメイド仕様がいいと思いますっ」
「ふざけたこと抜かすなっ! 俺らと同じで問題ねぇだろうが!」
 私を抱えたまま三人で口論している。これからの日常はこういう風に続いていくのかと思うと、だんだん嬉しくなる。温かい場所、ずっと欲しかった私の世界。

「私、土方さんとお揃いがいいです」
 吃驚した土方さんの赤い顔はいつもよりも可愛かったし、同じように赤くなる沖田さんと近藤さんもなんだかおかしかった。



:  おめでとう。

:  ここは君の望んだ君の世界です。

:  この世界を精一杯楽しんでください。



 初めてここへ来たときの望んだ世界がどうだったのかはわからない。でも、これだけはわかる。今、ここが私の望んだ私の世界だ。

「おおおお揃い!?」
「土方さんや~らし~」
「ばっまだ何も言ってねぇだろっ?」
「あれ、でもそれじゃ俺たちともお揃いだけど、いいの?」
 大きく頷く。

「一緒がいいです。まだ、ここにいるには不安定だから、一緒にいてもいいって証拠が欲しいです」
 あれ、ぐるぐると目が回る。でも、なんだか気持ちがいいや。

「私がちゃんとここで安定できるまでは、」
 何言ってるのか自分でもよくわからなくなってきた。笑っているのか泣いているのかも。

「私、ここに来られてよかった。土方さんたちに逢えてよかった」
 夢は悲しいだけで終わらない。終わらせちゃいけない。一人では無理でも、幸せに変える方法なんていくらでもあるのだから。



p.10

(土方視点)



 今までの別れのように消えてしまうかと、思った。あんな今まで見た中でも一番の笑顔を残して、泣きながら笑って、どんどん軽くなってゆくから、消えてしまうかと思った。腕の中で確かな重さを感じることが、こんなにも幸福だとは知らなかった。

「この人、意外と可愛いですね。俺らとお揃いが嬉しいだなんて、」
「何言ってんだ、総悟。静流ちゃんは最初から可愛いぞ」
 こんな風に幸せそうな寝顔なんて見るのは初めてだ。こいつはいつも、眠っているときでさえ怯えていたから。人にではなく、世界に拒絶されているのだと怯え、泣いていた。

「ねえ、この人俺も飼いたい」
 どこかでわかっていたはずなのに、ブレーキが壊れた。押しとどめなきゃいけないと、ここで止めておかなければいけないとわかっていたのに、俺たちのそばにいることのほうが危険なはずなのに、それでも放っておけなくさせる。

「近藤さん、静流には黙っておいてくれ」
 不思議そうな二人の顔をまっすぐに見られない。

「こいつの入隊を取り消す。今のうちにあいつのところへ連れて行くぞ」
「あいつって、旦那のとこですかィ?」
「な…なんで!? だって、静流ちゃんは」
 そばにおけば傷つける。そんなことは全部わかっていたはずなのに、一日だけだということに安堵し、俺も甘えていた。

 知らないなら、知らない方がいい。平和な場所で生きてきた静流にこの世界は、この場所はきつすぎる。

 歩き出す俺を二人が追いかけてくるけれど、知ったことじゃない。俺にはそのするしかないんだ。本当に守りたいのなら、手元にあってはいけない。

「待て、トシ! 待てって…っ」
 近藤さんの腕が俺の肩を掴むのを振りほどけない。だけど、駄目なんだ。こいつをここにおいておいたら。

「こんなに弱い奴がここでやっていけるわけねーんだ」
「どんだけ頑張ったって、無理なもんは無理なんだ」
 ああ、わかっていた。ここにずっといたらきっとまた、今度は俺でもどうにもできないぐらい静流は壊れていってしまうだろう。だけど、それでも放っておけなかった。

「…そうはいうけどな、トシ…」
 俺にはこいつが必要だなんて、誰に言われなくてもわかる。だけど、だからこそ。

 うつむく俺にすがりつくように、甘い声が囁く。俺にしか聞こえなかったそれに、抱く腕を強める。

「考え直せ、トシ。お前が言うなら、静流ちゃんは決して前線に出さない。もしものときは万事屋に預ける。それでいいだろう」
 説得する近藤さんの後から、いかにも面倒そうに総悟が続ける。

「土方、あんたが言うほど静流は弱くないですぜィ」
 いかにも面倒そうに静流を俺の手から取り上げた総悟だったが、静流の手はしっかりと俺の制服を掴んだまま引きずる。

「っ!」
「静流の根性、なめちゃいけやせん。こいつは一度決めたら曲がらねぇ。刀みたいな女でさァ」
 自分に近づけば傷つくと言いながら、決して己を曲げられない。そんな女だってことはよくわかっていたはずだった。

「ふゅ…? あれ、総悟さん……?」
 静流が寝ぼけて目を覚ました声が聞こえる。それから、驚いて暴れ出す。

「わ、な、なんで!? 私、え、ええ!? 土方さん、土方さんは…!?」
「土方なんてヤローのことは忘れて、俺に乗り換えやせんか?」
 ああまったく、なんて女だ。あの目、最初に見た夜から忘れられない怯えた目が、信頼してくる目が、俺を呼ぶ。

「静流を返せ、総悟」
「あんたが女のことで熱くなるなんて知りませんでしたよ」
「ひ、土方さん~っ」
 総悟の腕から逃げ出してきた静流が俺の陰に隠れる。こんなんで、屯所の外で生きていけるわけもないってのに。

 腰にしがみついている震える小さな姿の頭をグシャグシャと撫で回す。

「支度しろ、風呂行くぞ」
「え?」
「ここには男しかいねえから、女湯はねぇんだ」
「え、あ、で、でも…着替え、ないです」
 そういえば、いつもそうだった。身一つで飛び込んできて、怯える割に度胸だけは一端にありやがる。

「この間買ってやった長着があんだろ。部屋にあるから取ってこい」
「は、はいっ!」
 駆け去る姿を見ながら、煙草に火を点ける。吐き出した煙が暗くなった空へと揺らいで消える。

「ゴスロリ系もいけるんじゃないか?」
「いや獣耳もなかなかいいと思うぜ」
「あ、俺! メイド服見てみたいですっ」
 外野が騒ぎ立てるのを聞いていると苛々してくる。

「てめぇら…っ」
「残念だけど、静流ちゃんたっての希望で俺たちと「お揃い」に決定済みだ」
 近藤さんの言葉に隊士たちが口をつぐむ。彼らが何を考えているのか、考えないでもわかる。

 しかし、自分の脳裏にもしっかりと思い出される、あの時のあの言葉。

「私、土方さんとお揃いがいいです」
 赤くなる顔を隠すように手で押さえる。まったく、ただの怯えた女だったってのに、なんでこうもあいつは俺の心を乱すんだ。

 まあでも、戻ってきた静流の満面の笑顔を見てしまった後はもう諦めた。静流の笑顔には一生勝てないだろうから。



あとがき

1#私は私の世界が欲しかった


最初は一日で、ヒロインの目が本当に覚めたら終了だったんですが、
何か物足りなくて、その後も付け足しました
夢を見ている感じに読んでいただければオッケー
でも、真相は本当に押入トリップで、銀魂=平行世界な感じ


書いた理由が自分がこれ以上ないぐらい落ち込んでたせいなので、かなり真っ暗です
誰かに大丈夫だって、ガンバレよって言ってほしくて
そうでないと、本当にどこかへ逃げてしまいたくて
でも全部を放り出せるような覚悟はないんで
あーあ、我ながら損な性格(笑
(2007/08/27)


新規公開
(2007/09/12)


分岐として修正し直しました。
分岐修正により、序文削除。
分岐修正により、リンク修正。
(2008/12/09)


ファイル統合
(2012/10/01)



- 2#考えるよりもまず動け


中途半端な更新でごめんなさい。続きます。
(2007/11/07)


やっと終了。かなり偽物な土方ですいません
しかし、こんなヒロインでいいのだろうか
普段はうじうじ考え込むタイプの割に、思いこんだら一直線。止めるのは一苦労
一応、ミツバ編より後に来た設定にしておきます


ちなみに、高杉と銀さんバージョンの続きは考えてません
読みたい人がいたら、書いてみようかなぁ、みたいな


これ書いてて、ふと思ったこと
設定がある意味「ハートの国のアリス」(c)QuinRoseに似てるかも~みたいな
不思議設定は安易すぎると思うのであまり書かないのですが
今年に入ってから出てくるのはそんなんばっかり
…現実から逃げたいのか、私?
(2008/03/05)


前作の分岐修正により、リンク修正。
(2008/12/09)


ファイル統合
(2012/10/01)