1#所詮この世は夢語
「…痛い…?」
眠っていたところをいきなり布団から引きずり出され、片手だけを持ち上げたまま、つり上げられる。
その男は頭に包帯を巻いていて、片目もその包帯で覆っていた。まるで、銀魂の高杉みたいに。人の体を舐め回すようにみて、面白そうに口の両端をつり上げる様子は、図鑑で見た毒蛇を思わせる。
「どうやってここへ入った?」
「え?」
「俺に気づかせずに居座るたぁ良い度胸じゃねぇか」
喉の奥で器用に笑う男を前にガタガタ震える。少しして、男は唐突に手を離した。床に転がり落ちた私は足を打ち、その場から動くことも出来ない。
それを男は意外そうに見て、それから私の前にしゃがみ、ごつごつとした手で私の顔を上げさせた。
「女、俺を知っているか?」
知っているはずがない。でも、その目は怖くて。でも、答えないと飲み込まれそうだ。
「だ、誰…?」
小さく問うとまた喉を鳴らす。いったい、どういう夢だ。こんなホラーな夢は大嫌いだ。
「どこから来た」
どこからも何も。
「…うちの、押入…?」
また笑った。ふと、気が付く。どうして怖いのか、なんとなく、わかった気がした。この人は…壊れている。そう思うと、急に怖さが消えた。もうすぐそこへ自分が行くからだろうか。
「どうした。俺が怖いんじゃねぇのか?」
問われて、ゆっくりと首を振る。
「もう、怖くない」
触れることは怖いけど、でも、その目は怖くない。
「目、怪我してる」
「ああ、だいぶ前だ」
「見えない?」
「気配でわかるからな、支障はねぇ」
包帯へと伸ばした手を掴まれる。
「なんだ」
「…痛い」
「痛くねぇよ」
「…心が、」
呟いた瞬間に首を押さえつけられた。苦しくて息が出来ない。このまま、殺されるのかと思ったのに、全然怖くなかった。目が覚めたら、怖さよりも何よりも、淋しい気がした。
男が何かを言っているようだけど、よく聞こえない。だんだんと意識は薄れ、私は闇へと落ちた。
次に目を覚ましてもまだ夢の中にいた。引きずり出された部屋で、そのまま眠っていたらしい。外から入ってくる光は夕色に色づいている。
「けほっ」
首が痛い。さっきの夢のつづきなのだろうか。立ち上がり、ゆっくりと外へ向けて足を運ぶ。
「どこへ行く」
背後からかかる声に吃驚して、でもゆっくりと振り返る。
「…あ…」
淋しい人、だ。怖かったのに、殺されかけたのに、その姿に安堵して涙が溢れる。
「…ここ…けほっ」
咳き込み、その場にしゃがみ込む。喉がひりひりと焼け付くように痛い。
私が咳き込んでいる間も、男は待っているようだった。咳を無理矢理に治めてから、もう一度立ち上がり、寝転がっている男の一歩手前へと行く。
「ここ、どこですか」
「聞いてどうする」
「…えと、どうしましょう?」
小首を傾げる私に対して、男は怪訝そうに眉を顰めた。
「てめぇは何モンだ」
「長浜、静流です。あなたは?」
目の前で何かが揺らめいたと思ったら、喉がまた痛くなった。それから、突きつけられているのが刃物だとわかった。刃物なんて、怖いだけなのに。どうしてだろう。この人は、怖くない。
「どこのモンだ」
低く唸る声は手負いの野良猫を思わせた。だから、まっすぐにその目を見る。
「…銀魂高校一年Z組、」
ゆっくりともう一度言う。
「長浜、静流、です」
影がゆっくりと伸びてゆく。私の影が男に届き、覆うほどに長く伸びる頃、ようやく男は刃物を仕舞った。
「高杉だ」
最初、何を言われたのかわからなかった。聞き返そうとする前に、腕を取られて、痛みに顔を顰めながら、無様に床へと転がる。身体中、どこもかしこも痛い。さらに引っ張られて、痛みを堪えながら、男の前へ座らせられる。
「女、何故、ここにいた」
私が知りたい。でも、そんなことを言ったら、また首を絞められそうだ。
「俺が怖くねぇのか」
少し戸惑い、深く頷くと、男はまた喉の奥で笑った。
「変な女」
手を離された痕はくっきりと腕に残っていて、ひりひりと痛い。視線を外し、少しさすったら、もっと痛かった。
しばらくして寝息が聞こえてきて、ほっとする。このまま逃げてもいいのかもしれない。一緒にいるには危険すぎる人に見える。だけど、一緒にいるのが何故か心地よかった。
ゆっくりと男の隣に横になる。畳の感触が心地よい。
「ホントはちょっとだけ怖い。だけど…どうして、こんなに淋しいのかな」
目を閉じたら、溢れた雫が溢れて消えた。
血の臭いだ。嫌な、夢。
体を起こすと、男は嫌な笑顔を浮かべて、私の上に向かって剣を突き立てていた。額にほとりと一粒の雫が落ちた。手で触れると、それは赤黒い色をしていた。
「くっくっくっ、やっと起きたか。てめぇ、この状況で眠っていられるなんざ、相当だぜ」
楽しそうに言われ、ゆっくりと背後へ視線を向ける。高杉が剣を引き抜いた雫が、貫かれたモノの血飛沫が顔にかかった。他に人影は見えない。
起き上がり、袖で顔を拭うと服が汚れた。こしこしともう一度顔を拭い、何とか赤い色を落とそうとする私を抱き寄せ、男が囁く。
「これでも怖くねぇか?」
お腹にかけられた手を取ろうと力を込めるがびくともしない。耳元には高杉の息遣いがかかる。
「汚れますよ、高杉さん」
そう言うと耳元に笑う吐息がかかる。しかし、不意に力が緩み、離された。すぐに上から何かを被せるように駆けられて、荷物のように担がれる。
「高杉、さん?」
どこへと問う隙もない。次には外へ連れ出され、地面へと落とされる。
「あの場所ァもう駄目だ」
そんなことを言われても困る。さっきから何度も眠っているのに、目が覚めない。きっとあの部屋の押入からじゃないと帰れない。
私の戸惑うような瞳に、男がまたくつくつと笑う。
「そんなにあの部屋が気に入ったか」
そうじゃない。フルフルと首をふる私の顎を男は持ち上げる。
「心配するな。同じような隠れ家なんざ、いくらでも」
そうじゃないと首を振る。不機嫌そうな男に必死に伝える。
「あの、これ、夢で、それ、その、あの部屋の押入で寝ないと、覚めないんです」
「別にいいじゃねえか」
よくない。と反論する前に腕を引っ張られ、私が立つかどうかの確認もせずに男が歩き出す。
「覚めないと、駄目なんです。これ、夢だから…っ」
「この世は所詮夢物語、ってか」
「そ、じゃなくて…っ」
急に手を離されて、強かに腰を打ち付ける。高杉は面倒そうに歩いていってしまった。
「んなに言うなら、好きにすりゃあいい」
残された私はしばらくその場で呆然としていたが、薄暗くなってきた空を見上げ、ようやく立ち上がる。泣けてきそうなのを堪えて、元来た道を歩き出す。
あの部屋には死体があるとわかっていても、戻る以外の選択肢はない。そうとわかっていても、怖い。せめて、一緒にきてくれたらなんて考えかけて、ふるふると首を振る。私のようなものに付き合ってくれる人はいない。一人で、頑張るしかないんだ。
幸いに一本道だったので、小さな小屋へそっと滑り込む。
「ご、ごめんくださぁい」
誰もいないとわかっているけど、そっと中へと入り、庭からゆっくりとさっきの部屋へと向かう。すぐに部屋は見つかったが、そのまえに死体を越えていかなければならない。
だけど、この足はそこからなかなか動いてはくれなかった。怖いのだ。単純に。目も開いたままだし、そのまま動き出しそうに見える。
ホラーな夢は嫌いだ。
「おい」
「ひゃぁぁぁぁっ、すいません、すいません、ごめんなさいぃぃぃぃぃっ」
背後から急にかけられた声で大慌てて、庭の奥へと走ろうとした。が、進まない。襟首をしっかりと掴まれていると気が付き、今度は頭を抱えて、小さく縮こまる。
「ホラーな夢は嫌ですっ」
しばらくして、くつくつという聞き慣れた笑い声がした。
「あ、高杉さん」
「おまえ、さっきまで全然動じてなかったじゃねぇか」
ほうと安堵の息を吐く私を面白そうに見下ろし、高杉さんは手を離した。
「で、どこへ戻るって?」
背中を押され、少し反り気味に高杉さんを振り返る。思った通り、面白がっている。
「現実へ、です」
真面目に答えると、男はまた不満そうになった。頭がおかしい子と思われているかもしれない。
「ほぅ。じゃあ、てめぇにとって今は何だ」
「夢です。ホラーな夢、なんです」
血とか怖いし、と呟くと意外そうに目を開き、また笑われた。
「おもしれぇ。女、静流とか言ったな」
こくりと頷く。覚えていてくれたらしい。
「俺と来い」
首を振って拒絶する。だって、ホラーは嫌なのだ。この人はこういうことに慣れているように見える。ということは、こういうことが良くあるのだろう。
「怖いのは、嫌です。それに、私なんか連れて行っても足手まといにしかなりませんよ」
また置いて行かれるのだろう。だったら、目の前のこの死体を乗り越えて、私はまた現実へと戻らなきゃならない。もういちど死体と向きあい、大丈夫怖くないと自分へ言い聞かせる。それぐらいで怖くなくなるわけもないのだけど、そっと一歩を踏み出す。
「それ以上進んだら、殺すぜ」
脅しに足がすくむ。だけど、これは夢だ。殺されて覚める夢もある。夢の世界でもいらない私は何度も殺された。目が覚めると汗びっしょりで、その日一日はいつも以上になにも上手くいかない。いろんな人に怒られて、笑われて、貶されて。そうして、私は現実を生きている。
踏み出そうとした一歩の前に鍔なりの音が聞こえる。背中を斬られて死ぬよりも、だったらと踏み出そうとした足を後ろへ向けて、くるりと体を向ける。ひたり、と頭上数センチで刃が止まっていた。
「どうして、引き留めるんですか? 私、何も出来ないです。それどころか、普通の人が当たり前に出来るようなことにとても時間がかかるし、不器用で、とても鈍い」
一言一句をゆっくりと紡ぐ。
「夢の中でまで苦しいのは嫌なんです。現実でも否定されて、夢でも否定されて生きるのは、何よりも、辛い」
涙が溢れて、前がよく見えない。
「いらないのなら、さっさと殺してしまえばいい。私がいても、誰の役にも立たないし、迷惑しかかけられないんだからっ」
ぎゅっと両目を閉じる。そう、どうしてこの人はどうして最初の時にひと思いに殺してくれなかったのだろう。そうすれば、こんなに苦しむこともないのに。
近より、その手を自分の首へとかける。
「…こんな夢から覚めたいの。現実は辛いけど、それでも私はそこへ戻って生きるしかないのよ。そこが私の生きる世界なんだから…っ」
軽く男の力が加わる。ただそれだけで、私は意識を失ってしまった。
暖かな温もりを感じて目を覚ます。まだ夢の中だ。体温が少しばかり低い私の布団はあまり暖かくならない。
目を開き、目の前にはだけた体が目に入る。それから感じたのは首の違和感だ。手を添えてみると、包帯が巻かれていた。
「よぉ、起きたか」
直ぐ近くで囁かれた声に硬直する。首に手を添えたまま、ぐぐぐと声の方へと顔を向けた。
「おはよう、ござ、ます」
「よく寝てたな」
状況が見えないのだけど、これはまだ夢のつづきらしい。こくりと頷く。
「…これ」
「ああ、一応薬だけ塗っておいた。邪魔なら外せ」
まさか、手当をしてくれるとは思わなかった。腕の中でふるふると首を振る。
「ありがと…んうっ?」
礼を言おうとすると、いきなりキスされた。暴れるのも目を閉じるのも忘れて、目の前の男を凝視する。何を考えているんだ、この人。私の様子を構わずに、舌をねじ込んでこようとするのは流石に暴れた。強く胸を叩き、拒否を示す。
「抵抗するなよ」
「します!」
噛みつくように叫んだ私を男はまたくつくつと笑った。何を考えているんだ、この人。
ぐいと肩を押され、急に男が私を組み敷く。見上げる顔はとても楽しそうだ。
「俺はてめぇが気に入った。俺のモノになれ」
私はモノじゃない。だけど、足手まといにしかなれない私に選択肢などあるのだろうか。涙の溢れてくる両目を閉じた私の目元に、さっきとは違う優しいキスが降りてくる。怖いのに、優しいなんて卑怯だ。
「私は、人間です。モノじゃ、ないです」
かすれた声に男の熱が離れる。目を開けると、ひどく驚いていた。
「何も出来ないけど、モノじゃ、ないんです。他の人よりも鈍いけど、それなりに傷ついたりもするんです。何も出来ないけど、動かない人形ではいられないんです」
人間だから、と声がかすれる。
「人形が欲しいのなら、他を当たってください。私は」
「黙れ」
口を塞がれ、否応なく濃厚なキスをされる。強引なのに優しいなんて、卑怯だ。力では敵わない。言葉でも敵わない。では、私はどうしたらいいというのか。
悔しくて、泣けてきた。
「何故泣く。ここはてめぇの夢なんだろ?」
何も泣くことはないと囁く。そうだ、これはただの夢だ。
「夢の中でくらい、普通のことが普通にできるように変わりたいのに。そうできない自分が嫌い」
涙を拭おうとする手をよけ、顔を覆う。普通の人なら、この人をはね除けることだってできる。でも、私にはできない。力もないし、反論できるほどの言葉も浮かばない。思うほどの言葉も出ない。
泣き続ける私の上から、気配が無くなる。両手を取り、起き上がる。高杉さんは、起き上がって、外を見ていた。同じように、私も外へ見る。丸くて大きな月が出ていた。夜の町はそれよりもずいぶん明るいけれど、月がとても大きく見えて、泣いていたのも忘れてじっと魅入る。
「どうした」
問われて、男を振り返る。さきほどまで何もなかったかのようにしているので、私もふるふるともう一度首を振る。
「夢なのに、月が綺麗…」
「くっ、夢なのに、か」
ゆっくりと手を伸ばされて、びくりと体を縮こまらせる私の後ろへと手を伸ばし、男はそのまま腕を戻した。しゅっという火をつける音でそっと目を開ける。歴史の教科書で見るような細長いパイプを咥えた男は、それを口から離して、ふぅと息を吐き出した。白い煙が空へと細く吐き出され、そのまま消えてゆく。
ゆらゆらとゆれる影を見つめている私を横目に、もう一度男がそれを繰り返した。
「吸ってみるか?」
吸いたくないので、ゆっくりと首をふる。
「…煙草、ですか?」
「そうだ」
ゆらゆらと吐き出される煙に気を取られている私の肩に手をかけ、男が引き寄せる。さっきまでの恐怖はなくて、私は気にせずに煙の行方を見つめる。
「珍しいか」
少し逡巡し、こくりと頷く。私の周囲でそれを吸っている人は少ない。学校の教師で吸っているのも数人だし、校内で吸っている同級生もいる。だけど、これだけ近くで見ることはない。体には悪いと聞いているけど、私の中では特別悪くも良くもない。自分で吸いたいと思わないだけだ。煙なんか吸って、何が楽しいのか。
前触れなく、それを口に咥えさせられ、思わず息を止める。
「吸ってみろよ」
言われるままに少し吸い、そのまま咳き込んだ。密着している体から、男が笑っているのがわかる。こうなるとわかっていて、吸わせたのだろう。
「えと、なんとか中毒…?」
記憶から懸命に探りだそうと呟き、断念する。そんなものを気にする人には見えない。
もう一度男が吐き出した煙へと視線を移す。ふぅと吐き出す先は細く棚引き、夜の闇へとゆらり消えてゆく。じっと見つめていると、後頭部をそっと撫でられた。
「俺の女になれ」
意味を考えて、固まる。意味が、わからないわけじゃない。だけど、この人の隣にいられるような自信はない。
「足手まとい、です」
不機嫌なのを承知で振り返る。
「高杉さん、とても強そう。でも、私はトロいし、ドンくさいから…邪魔になります」
「構わねぇよ」
「それに、高杉さんなら、私なんかよりもいい人がきっといます。わざわざ、私を選ぶコトなんてないです」
選んでもらえたのは初めてだった。だけど、だからこそ、私はその手を取るわけにはいかない。
「てめぇの意見なんざ関係ねぇ。だが、さっきのは言い方を間違えたな」
頬へ触れてくる優しい手に目を閉じて、すり寄る。
「お前は俺の女だ、静流」
喉を鳴らし、そっと口を重ねてくる。ふぅと吹き込まれた息には煙がいっぱいで、私はまた咳き込んだ。その様子を高杉さんはくつくつと楽しそうに笑っている。
面白がって、からかっているだけなんだと思うと、少し哀しかった。それに、この人に触れているととても淋しくなる。
「俺を嫌おうが、嫌がろうが、俺はてめぇを手放す気はねぇよ」
そこのところだけ、頭に入れておけと言われた。夢の中の人にこんな風にからかわれているのに、今夜は少しも辛くない。ただ、どうしてこんなに哀しいのかがわからない。
もう一度夜空の月を見上げると、不意にくらりと視界が揺れた。がくんと崩れる私の体を後ろから高杉さんが支える。
「静流?」
最初はあんなに怖かったのに、今はとても心が安らいでいる。これは高杉さんのおかげなのだろうか。
「…私、高杉さんみたいに人に好かれて、嬉しかったです」
強く抱かれているはずなのに、ふわふわと心が浮かぶ。
「怖いけど、とても怖かったけど、こんな私でも受け入れてくれる人がいるんだなぁって」
「また来いよ」
来たいです、と答えようとしたけど声は出てこなくて、そっと私から口を重ねる。思った通り、感触は伝わらなかったけど。柔らかに微笑んだ私の視界は暗く暗転した。
目が覚めるとやっぱりいつもの押入で、少しだけ泣いてから私はそこを出た。見慣れた自分の部屋を見回し、きゅっと両手を握りしめる。
(今日も、頑張ろう)
いつもとは少し違う覚悟を決めて部屋を出た。
頑張っても現実がそう簡単にかわるわけでもなく、今日も私は淋しい気持ちで布団に入る。だけど、前と違うのは。ひとつだけわかっている真実だ。
(…壊れても楽になんてなれない)
高杉さんはたぶんどこかが壊れてしまった人だ。だけど、その姿はすごく辛そうで、苦しそうで。私の差し伸べる手なんかじゃなくても、誰の手でもその傷を癒すことなど出来ないだろう。
せめて、せめて、もう少し近づいたら、と考えかけて止める。壊れることは癒すことではない。傷をなめ合うようなことをあの人は望んでいないだろう。だが、あの人の本当の望みはなんなのだろうか。
私には想像も付かない。
布団の中でいつの間にやら眠りに落ちていたらしい。不意に目が覚めて真っ暗闇の中で瞳を開く。辺りが、信じられないぐらいに静かだ。うちの周囲はこんなに静かだっただろうか。
「くっ」
戸の向こうから聞こえてくる喉の奥で笑うようなひねた笑い声に、体がすくみそうになる。
「あの時と同じだな。今度は自分で出てこいよ」
でなければということは何も言わない。だけど、私は起き上がり、おそるおそる押入の戸を開けた。
「…高杉さん…?」
畳の上に薄べったい布団を敷いて、その上に怠そうに寝転がっている男は口端だけを上げて、器用に笑う。
「来い」
こくりと頷き、後ろ向きになってゆっくりと部屋へと降りる。足が着いたときにぎしりと床が鳴いた音に、すこしだけ驚く。それから、彼の方へ向き治ろうとしたら、足を蹴られて転ばされて。彼の方へ倒れ込んでしまった。
「ご、ごめんなさいっ」
慌てて起き上がろうとしたが、高杉さんは力を込めて私を抱きしめてしまって、身動きがとれない。
「あ、あの…高杉さん…?」
「あの時のように簡単には帰してやらねぇぜ」
くつくつという笑い声が身体中に響いてきて、それからとってもどきどきする。その大きな胸に耳を当ててみると、どくん、どくん、と落ち着いた音が聞こえてくる。
抱く強い腕とは違って、髪をゆっくりと撫でる腕は優しい。その優しさに目を閉じる。
「私、また夢のつづきを見て」
「夢じゃねぇよ」
不満そうに言われて、小さく笑う。
「そう、ですね。夢じゃないなら…どうしてここにいるのかな…」
返事は帰ってこないで、私を抱いたままに高杉さんが起き上がり、腕の中を見下ろしてくる。壊れている瞳の奥に優しい光を見たような気がして、数度瞬きする。
「俺様に会いに来たんだろ」
「…高杉さんに?」
「忘れたか? てめぇは俺の女なんだぜ」
口を重ねられながら、そんなことを言われたような気もすると思い出す。触れあう箇所がびりびりとした電気をもつように痛む。だけど、そんなことも忘れさせる甘い痺れに頭がふわふわとしてくる。
いや、このままじゃまた目が覚めてしまいそうだ。たった一時でも救ってくれたこの人に何かをしてあげないと帰れない。
ぎゅっと高杉さんの服を握りしめ、囁く。
「私が高杉さんのモノになったら、あなたを救えますか?」
キスが止み、伺うように目を開くと、高杉さんは酷く不機嫌そうだった。だが、すぐに面白そうに口をゆがめる。
「俺を救う? んな必要はねぇよ。おまえはただ俺のそばにいりゃあいい」
「何も出来ないままはイヤです。あの時から何かが変わったわけじゃないけど、何も出来ないままでそばにいるだけなら、私の必要はないでしょう? 私は、何年かかってもいいから、高杉さんのそばで必要とされる人に」
何言ってんだ、という目で見られて肩を竦める。
「必要としてるだろうが、今」
「…えと、だってそれって…」
「だってもクソもねぇ」
「それって、あの、高杉さんの、その、性欲を満たすためにって意味ですよね? 私よりもそういうことが得意な人が大勢いらっしゃると思うんです。だから…っ」
「くっ、てめぇに俺を満足させられるって?」
試してやろうじゃねえかと私を組み敷く高杉さんは明らかにからかっていた。だけど、こういう状況で冷静でいられるほど図太くもない。
「私は、その、経験もないですし、そういうのは無理です。その、器用でもないですし、容量も悪いし、えと、だから…っ」
首を這う息遣いと感触にぎゅっと両目を瞑る。これから何が起こるか、想像も出来なくて怖い。
「だから?」
「だから、そういうのでは満足させてあげられない、とっ」
胸を鷲掴みにされて、一瞬息が詰まった。
「やってみなけりゃんなモンわかるかよ」
「…っ」
力任せにパジャマの上をはだけられ、直に冷たい手が触れてくる感触に体が震える。このままじゃ、本当に遊ばれて、それだけ終わりだ。それに、何よりもそんなことではこの人は救われない。意を決して、もう一度声を出す。
「たっ、高杉さんっ、ひとつだけ教えてくださいっ。どうして、最初に私を殺さなかったんですか!?」
あの時の高杉さんの何が逆鱗に触れたのかわからない。だけど、間違いなく殺す気だったハズだ。なのに、あのあと同じ夢に戻ってきたということは殺されなかったということに相違ないだろう。
「何故…?」
しかし、なんとか作戦は功を奏し、高杉さんは体を離して、私をまっすぐに見下ろす。
「さぁな、忘れた」
「わ…私殺されかけたのに…っ」
それを忘れたの一言で済まされるとは思わなかった。思わず涙ぐんだ私を見下ろす瞳がわずかに変化する。
「くっくっくっ、忘れたワケじゃねぇが言う必要なんかねぇだろ」
「どうしてですか?」
「…やけにつっかかるじゃねぇか」
今度は私が黙り込む番だった。何と言ったらいいのだろう。考えていると、また胸に顔を埋められて焦る。
「ま、まって…っ」
「待てねぇ」
じたばたと暴れようにもしっかりと押さえ込まれて身動きが取れない。
「お願いします、高杉さんっ。私、このまま貴方のモノになるのはイヤなんです…っ」
何も出来ないままでこの人のそばにいたくなかった。ただの女としているのだとしても、何も出来ないまま、何も変われないままいたら、ただ引き摺られて、自分が壊れていってしまうようなら、いる意味なんて無い。どうせ壊れてしまうならとそこまで悲観も出来ないし、そこまでこの人を好きかと言われても頷けない。
「今度はすぐに目が覚めないように頑張りますっ。だから、もう少し…っ」
「駄目だ」
願いは聞き遂げられず、私は夢の中の人物にまたしても壊されることになる。
「静流」
優しい声が遠くなる。
「っ…クソがっ」
焦燥の声が遠い。りん、と鈴の音が聞こえる。大丈夫と囁くのは誰の声だ。何も聞こえない、聞きたくない。
「てめぇでなきゃ意味がねぇっつってんだ。さっさと起きろっ」
開いた目の先、焦っている高杉さんが見える。
「…静流、頼むぜ。おめぇは俺をおいていかねぇでくれ」
壊れた目の奥に生きた遠く光が見えて、わずかに安堵する。大丈夫、まだ、戻ってこれるハズだ。
「…私…」
「静流…っ?」
「ひとつだけ、約束します」
両目をゆっくりと閉じて、目の前の人に体を預ける。
「高杉さんを裏切りません。私は、貴方の、モノ」
ーー貴方を照らす光となれるよう。
「モノじゃ…おい、静流!!」
自分を呼ぶ声にぱちりと両目を開く。いきなり目の前で風船でも割られたみたいな気がした。
「あ、高杉さん?」
「……」
「私、もしかして…眠って…あ…」
自分が何も身につけていないことに気が付き、慌てて、縮こまるように隠す。もしかして、もしかするのかと考えるが途中から記憶が飛んで定かじゃない。
「あの、私…っ!?」
「なにもしてねぇ」
「…え…?」
「…………悪かった」
顔を背けて、着物を投げつけるように渡される。これを着ろということなのだろう。着物を着たことはないが、何も着ていないよりはマシだ。立ち上がり、それを羽織って、前で合わせる。でも、そこからどうしたらいいのかわからない。
「どうした」
「…着たこと、なくて…」
軽いため息のあとで、面倒そうに着付けてくれた。布団に横になった私に添うように高杉さんも横になる。
「服はあとで直しておいてやるよ」
「…高杉さんが?」
目で馬鹿にされた気がして、口を噤む。
「おやすみなさい、高杉さん」
「ああ」
軽く返された答えに安堵し、目を閉じた。
(高杉視点)
鈍くさいし、不器用なのは見ていてよくわかる。恐がりかと思えば不意を突いて核心を突いてきたり、血が怖くないのかと思えば、死体を前に動けなくなる。不器用で不安定で、初めて見る生き物だった。
「理由なんているかよ。おめぇは俺が見つけたんだ。最初から、おめぇは俺に逢うために来たんだ、静流」
ぎゅっと抱きしめた女は目が覚めたとき、壊れていないだろうか。そうでないといいと願い、額へそっとキスをする。目が覚めてみる最初の笑顔が壊れたモノでないことを願いながら、俺も静かな眠りについた。
2#おまえは変わらずにいてくれるだろう
(静流視点)
一週間に一度、夜に眠ると私はその場所に出た。同じ夢だとわかるのは、いつも出会う人が教えてくれるからだ。そして、いつもこの人と会うと、誰かに襲われる。
「高杉ぃぃぃっ!!!」
刀を振りかざす人を何度見ただろう。何度、血を浴びただろう。普通なら発狂してしまいそうな状況を、私は夢だからと目を閉じる。そんなことを何度も繰り返した。
何度目かの夢で高杉が言った。
「静流、おまえはどうして俺のいる場所に現れる?」
言われた意味がわからなくて、私はただ首を傾げる。消えないように、ということなのかどうかはわからないが、彼は私が来るといつも片腕で押さえつけるように抱きしめたままだ。
ふれあっているから、彼の喉の奥の笑いは直に響いてくる。
「おまえが気がついているかどうかはしらねぇが、俺に特定の塒はねぇんだぜ」
これまで来た場所はどれも違う場所だと言われても、いつも部屋の中は薄暗くてよくわからない。
「俺を追ってきてるってわけでもねぇし」
そう、いつも驚くのは私の方だ。いつもいつも。
「どうして、高杉さんは命を狙われているんですか?」
考え出したら止まらないのは悪い癖だが、ついそれを口にしていた。今は高杉さんが質問している最中だったのに。
だけど、この人は面白そうにくつくつと笑うばかりだ。
「さあ、どうしてだと思う?」
銀魂の内容を思い返し、そういえばこの人は革命を起こそうとしている人だったと思い出す。いや、世界を壊そうとするのは果たして革命と呼ぶのだろうか。
考え始めた私から急に温もりが消える。また、刺客が来たのだろうかと両目を閉じて、蹲るとそっと抱き上げられた。ここでそんなことをする人は一人しかいない。
「外に出るぜ」
了解とかそんなものは必要ないらしく、また私が言ってもこの人を止められるわけもないので、一応言ってみる。
「外で消えてしまった場合は、またここに来られるでしょうか?」
「さぁな」
知っているはずもないのだから、聞いても仕方ない。両腕を首に回し、落とされないように体勢を直す。と、急に高杉さんが止まった。
「こいつに服貸してやれ」
降ろされた先にはミニの着物を着た可愛い女の子。少しつり目で、少し、怖い。恐怖に理由なんてないから、何が怖いのかよくわからない。けれど、高杉さんより怖かった。
くるりと身体を翻し、後ろの高杉さんにしがみつく。
「、こ、このままじゃ、ダメですか…?」
「祭りに寝間着で行く奴もねぇだろ」
お祭りと聞いて、ゆっくりと顔を上げる。そこにあるのは、胡散臭いぐらいに優しい笑顔。
「外に行くって」
「この近くで今日は祭りがあんだよ。将軍様もお出でになるでけぇ祭りさ」
ぴん、と珍しく何かがひっかかった。
祭り、将軍、高杉、と三つで何かを思い出しかける私の頭を柔らかく撫でる。
「さっさと着替えて来い」
考えた末に私は首を振る。何があるかは思い出せないけれど、とにかく行ってはいけない気がした。何より、祭りなんて楽しそうなことに関わるのは避けたい。
「私、帰ります」
「どうやって? 押し入れで寝ても帰れねぇだろ」
時間制限のようなものがあって、ここにいられるのはたったの一日と、私も高杉さんもわかっている。
だけど、行きたくなかった。ここに、高杉さんの傍にいるのは正直、安心する。それは、自分がまだ壊れていないと確認できるからだ。楽しいからとか、そういうことで安心したくはない。現実とこの恐怖とどちらがと言われてもわからない。
「おい、着替えさせて、連れてこい」
「わかりました、晋介様」
女の子は深く肯き、私の腕を取る。それが堪らなく怖い。だけど、不意に屈んだ高杉さんが私の耳に囁く言葉で我に返った。
そうして、ミニの着物姿に着替えさせられた後で、私は今に至る。
「静流さん、静流さんっ、あっちで射的やってるッス」
「わ、ウサギさん、かわいいー…っ」
「取ってくるッス」
服を貸して着替えさせてくれた女の子、来島さんはとても親切で、お祭り中で私をひっぱりまわした。色んな物を買ってくれて、いろんな屋台で遊んで。こんなに楽しいのは初めてだ。初めてできた友達は、とてもいい人だった。
だけど、とってきてくれたウサギを抱きしめている私を見る来島さんの目は、少し怖い。値踏みされているような、どこか哀れむような、少し嫉妬が混じっているような、そんな感じ。
「静流」
後ろから急に肩に腕を回して、抱きしめられて、だけど、聞き覚えのある安心する声にゆっくりと目を閉じる。
「そろそろ、見せ物が始まるぜ」
「みせもの?」
「ここじゃよく見えやしねぇ。来島に案内してもらいな」
離れてゆく気配に慌てて振り返ったけど、もうそこには高杉さんの姿はなかった。なんだろうか、予感がする。
「静流さん、一緒に来るッス」
「…ごめんなさい、来島さん」
いつもの自分なら、そんなことは出来なかった。だけど、ね。空気になるのは得意なんだ。祭りで楽しむ人達の中に身体を滑り込ませ、ふらふらとその場所へと近づく。見せ物があるという、その舞台の下で。ついたとたんに、それは始まった。
大砲の大きな轟音に急に現実を取り戻す。恐怖は叫び声も上げさせてくれない。舞台の影で蹲って、両耳を押さえていた私は、急に誰かに抱きかかえられた。それは、いつも、私を迎えてくれる人。
「特等席を独り占めなんてひどいじゃねぇか」
意味がわからない。不安になって見た高杉さんは今まで見た中でも一番楽しそうで、そして、みたこともない怪我があった。殴られたような頬に手を添わす。
「なに、してたんですか?」
「ちょっとな、旧交を温めてきた」
「きゅうこうをあたためる?」
「静流はちっと頭が足りねぇな」
「す、すいませんっ」
私を抱えてからすぐに歩き出していた高杉さんは神社の階段を上ってゆく。
「昔の馴染みに会ってきたんだよ」
「なんで、殴られたんですか?」
私の問いに対して、急に前を向いて歩いていた高杉さんが立ち止まって、こっちを見るから驚いてしまった。しまった、聞いちゃいけないことだっただろうか。
「あ、の、話したくなければ、別にいいんですけど」
彼は、少しの間私を凝視した後、くつくつと笑いながら機嫌良く階段を上り、途中で木立の中へ抜けた。
「祭りは楽しかったか?」
「え?」
「俺は女の好きなことなんざ知らねぇが、おまえは好きそうだと思ってよ」
だから連れてきたと言われてしまっては返答に困る。
「来島さん、いい人でした。一生懸命、私と遊んでくれて」
「そうか」
少し空が広く見える場所で木の根元に私を降ろし、高杉さんは隣に座った。横から大切そうに抱きしめられる。
こうして密着していると、何故か安心する。とても、守られている感じが、大切にしてくれているのが伝わってくる。だけど、同時に伝わってくるのは泣きたいぐらいの哀しさと愛しさ。この想いの名前を、私は何と呼ぶのか知らない。
隣にいる人を見て、その頬に手を伸ばす。少しだけ腫れた頬は痛そうだ。変わってあげたいと思うけれど、痛いのはやはり嫌だ。
だが、勝手に来て、いつも一日でいなくなる自分に言えることなどあるのだろうか。
「どうした」
まっすぐに見つめてくる壊れた瞳。だけど、奥にある愛しさを知っている。まだ、何も諦めていないのだとわかる。すべてが壊れたわけじゃない。
「反面教師」
ふと口をついて出た言葉がしっくりする。そうだ、この人はこうなっちゃいけないと私に警告してくれる。ここまでになってはいけないのだと。壊れる前に、どうにか這い上がらなきゃと知らせてくれる。
だけど、この人には誰が壊れていると教えてあげるのだろうか。まっすぐに高杉さんの目を見つめ返す。
「高杉さんはどうして私を殺さないんですか?」
漫画で見て、そういう人だと思った。だけど、最初の時以来、この人は私を殺そうとしない。簡単に首を絞めてしまうことだってできるのに、刺客に殺させることだってできるのに、しない。逆にいつもすぐに切り伏せて、私に見えないように強く抱きしめてくれる。
「どうしていつも親切にしてくれるんですか?」
大切に、守られているのだと感じる。なぜなのかは見当も付かない。面白い存在だということでもないだろう。この人はそういうことに頓着しなさそうだ。
「親切?」
不審そうな高杉さんに深く肯く。
「これ、夢じゃないんでしょう。たぶん、あなたに殺されたら、二度と私は目を覚まさない。それがわかっていて、ううん、違う。違います」
頭の中を冷静に保とうと胸に片手を置いて深呼吸する。
「ここにきているのは私自身なんですよね。どうしてかはわからないけど、自分の部屋の押し入れで眠るとあなたの傍に出ることが出来るみたいです」
「でも、私みたいなのがいたら、邪魔になるでしょう? なのに、高杉さんはいつも私を殺さない」
押し入れから出て、事後と見受けられるよう場面も何度か会った。まあ、私が押し入れを開ける前に、まず高杉さんが女性を追い出してくれるのだが、寝乱れた布団とか、着物を簡単に着ているだけの高杉さんに遭遇する確率はとても高かった。
だけど、いつも彼は私を迎え入れてくれる。
「何故ですか? 私には何の力もないのに、」
俯きかける私の顎を捕まえ、無理矢理に目を合わせられる。
「確かに今のおまえに価値ァねぇな」
まっすぐで暗い瞳で見られて、最初はこの目がとても怖かった。
「斬る価値もねぇ」
心臓がざわめき、目頭が熱くなる。わかっていたことなのに、突き刺さる言葉が痛い。自分に価値がないなんて、そんなことわかっていたのに。溢れている滴と止める方法がわからなくて、目を閉じた。
「後で価値が出るなんて言われても、別に興味は無かった。俺ァ、この世界だけで手ぇいっぱいだし、他の世界になんざ興味もねぇ」
顔に吹きかけられる暖かな吐息にはいつもの煙草の匂いが混じる。
「だが、会って気が変わった」
くつくつと楽しそうな笑い声。そして、いつも通りの優しいキスが降りてくる。
「こんなに面白ぇ女、他に渡すにゃ惜しいからな」
からかっている風ではなかった。
「どれだけ世界を自由にできるとしたって、その性格じゃどうにもなるめぇよ」
何もしなくてもいいから、俺の傍にいろと命じる。開いた目の先、高杉さんの壊れた目と優しい目が重なっていた。
ああ、思い出した。
「病気…でなければ、あなたは死にませんよね?」
喉の奥を彼が鳴らし、手を離してくれる。
「俺を殺せるとすりゃ、ヅラか銀時くらいのもんだろうよ」
ヅラ、桂小太郎。銀時、万事屋。
もう一度目を閉じ、開く。ここにいてはいけないとわかっている。だけど、思い出した。この人は…いや、私の世界でこの人に似た人は為すべきを成せずに病で死ぬ。
「高杉さん、あなたの望みはこの世界の破滅、ですか?」
くつくつと楽しそうに笑って答えてくれない。だけど、わかる。この人はただ、許せないだけなのだ。哀しいほどに優しかったから、世界を愛した先生を殺した、この世界を許せないから。ああ、どうしたら力になれるだろう。
そうだ、チカラ。
「高杉さんは、私の正体を知っているんですか?」
「ああ、御伽噺と思っていたんだがな」
さっき話していて気がついた。
「私、」
「何もしなくていい。ここにいたいとただ願え」
何かを言う前に遮られる。
「ここにいたい、と?」
「そうだ。俺の隣にいたいと願えばいい」
信じてはいけないかもしれない。だけど、それはいつも不安に思っていたこと。
「目覚めなくていい。俺は過去にも未来にも現在にも興味はねぇ。俺の興味があるのはこの世界をどうやってぶっ壊すってぇことと」
片腕で私を抱き寄せ、もう片方で私の胸を軽く叩く。
「静流が何を想うかってことだけだ」
何を考えているのかわからないのはお互い様だ。わからないのは同じなんだと想ったら、急に笑いがこみ上げてきた。
笑いと共に溢れた涙を太い指で掬ってくれる。
「ほら、泣いてると花火見逃しちまうぜ」
「…花火、やってないです」
「んなことねぇよ。向こうの空、見てろ」
促されるままに、夜空を見つめる。ターミナルの光りと航行する宇宙船でここの夜空はかなり明るい。
夜空に一際大きな華が咲く。
「帰るときはちゃんと俺の所から帰れ」
言われたことに驚いて彼を見ると、私はまたふわふわとした状態になっていた。今日はいつもと違うと気がつく。まだ、着替えていないのに、このまま帰っても大丈夫なのだろうか。
「高杉さん」
「私、あなたが好きなのかもしれない」
断定は出来ない。でも、生かしてくれているからとかそういう理由じゃなく、壊れているからとかそういうことでもなく、こうして触れあうのは心地よい。
何かが帰らなければいけないと騒ぐ。だけど、両目を閉じ、落ち着いた心で私はそれを鎮める。光の輪が自分を通り抜けようとするのに対して、心を静めて踏みとどまる。
耳にかかるかすかな息づかい。穏やかで、どこか海を想わせる。
「こんな私のまま留まれば、きっと殺されるでしょう」
穏やかに、海が囁く。
「お前を殺す者があるとすれば、それは俺だ」
他の誰にも殺させないと、その誓いに心が、震えた。
りん、と鈴の音が響き渡る。世界を振るわせ、波を起こす。
「高杉さん、」
名前を呼ぶと、彼が愛おしい目で私に笑いかける。最初にあったときよりもとても柔らかな目で。
「お祭り、楽しかったです。ありがとうございます」
私も目を合わせて、目を細めて笑った。
気がついたらいつもの布団の上で、服も、元に戻っていた。着ていた服はどうなったのだろう。それだけが残っていないといい。目の前で服だけを残して消えたなんてことになったら、きっとあの人は心配してしまうだろうから。
(高杉視点)
静流の消えた場所に着せていた着物だけがぱさりと落ちる。着替えさせるとそうなるのか、ということに感心した。あいつの存在ってのは未だによくわからねぇ。ただ、俺のいる場所に現れる変な女。目の前にいるときは震えているのに、腕の中に収めると急に穏やかになる。そして、俺を安心させる妙な女だ。
落ちた着物を拾い上げ、あいつの残り香に顔を寄せる。
「静流」
口にするだけで、思うだけで不思議なほどに俺を不安にさせ、安心させる。普段は迷うことのない俺を迷わせ、戸惑わせる。
何度殺しちまおうかと考えた。だけど、一歩が踏み切れない。いつも、どこかで、守っちまう。女一人斬るコトなんて、なんでもねぇのに、静流から流れる血を思うと何かが警告するように俺を止める。
これはなんなんだ。女なんて面倒なのを背負いこむ趣味はねぇのに。なのに、静流は突き放すことも殺すこともできねぇ。
「おまえは、俺の女だ」
あいつは帰って良かった。今ここにいれば、きっと俺の目の前に居竦んで、ガタガタと震えながらまた死のうとするだろう。自分があいつに何をするのかわからない。だが、失ったが最後もまた、何をするのかわからない。
想うこと、ただそれだけで満たされ、そして、いないことで渇望する。
抜きざまに忍び足で近寄っていた敵を切り伏せる。刀を振り、付いた血を振り払って鞘へと収める。
共に見上げた空は既にいつもの様相を取り戻していた。あの花火は計画が失敗したことへの合図だ。新選組なんかに大人しく捕らえられる俺じゃねぇ。だが。
静流、今すぐここへ来い。ここへ来て、俺を満たせ。
(静流視点)
いつもどおりに学校へ向かう途中、川面に差し掛かったところで頭痛と腹痛と眩暈に襲われた。耳鳴りが痛くて、ぐるぐると目が回るような吐き気がこみ上げる。
堪らずしゃがみこんで数分を過ごし、よしと目を上げて固まった。
目の前には、いつも夜に夢の中で出会うはずの人が私を見下ろしている。鮮やかな紫地の着物に黄色い蝶が舞う格好は、昼の空に似合わない。
「高杉、その娘は」
後ろから現れた男にびくりと震え、閉じることの出来ない目で凝視する。誰だっけ、この人。
考え始める私の名を、高杉さんが呼ぶ。
「静流、行くぞ」
「え?」
返答も聞かず、手を差し伸べることもせずに高杉さんは歩き出してしまう。どうしたものかと考えていたら、高杉さんの後ろから現れたお坊さんのようなそうでないような長髪の綺麗な顔立ちをした男から手を差し伸べられた。
「お主、どこか具合でも悪いのか? 医者を呼ぶか?」
大事になりそうな予感がして、慌てて立ち上がる。
「い、いいえっ。大丈夫です。もう、なんとも、」
肩に誰かがぶつかり、体勢を取れない私はそのまま、橋から落ちた。水音と共にあっという間に水の中で、水の中なのに、もう一度自分を呼ぶ声を聞く。
目が覚めたら、どこかの部屋で、枕元に高杉さんが座っていた。
「…来て早々でこれか」
「す、すみませんっ」
「こんなんでやっていけんのか、てめぇ」
もう一度謝ろうとした私の声に別の声がかぶる。
「あまり言ってやるな高杉。別にこの娘は自分の意思で落ちたわけではなかろう」
あの時、現れた私を見ていたはずのもうひとり。この人は。
「ヅラ、てめぇは少し下がってろ。これは俺とこいつの問題だ」
「静流殿と言ったか。俺の見間違いでなければその娘、」
「俺の女だ」
何かを言わせる前にはっきりと高杉さんが言い切る。誰かの前で言われたのは初めてだ。
ヅラさんという人は少し面食らったような顔をして、それから哀れむような視線を向けてきた。
「このような娘御にまで手を出しておるのか」
どこか険悪な二人にオロオロと戸惑っていたら、急に布団から引きずり出され、担ぎ上げられた。
「た、っ」
「おい、あまり乱暴にしてやるな」
「余計な世話ァかけたな」
「大丈夫か、静流殿? 辛くなったら、いつでもここへ…いや、万事屋という場所を訪ねるがいい」
え、と目を見開く。そうして気がつく。
「あなたは、桂小太郎、さん…?」
知っているのかと二人に問い返された。なんとしたものか。
「ええと、あの…」
「どこかで会ったわけはねぇな」
「断言できるか?」
「ま、待って」
「くっ、ヅラはもうわかってんだろ? その娘は…時渡りだ」
じたばたしていた私は、後に訪れた静寂に気がつかず、それからすぐに恐怖する。
刀と刀のぶつかり合う音。
「高杉、今度はいったい何をする気だ! その娘までも利用するつもりかっ」
「利用するつもりなら助けねえよ」
はっきりと、そう言った高杉さんの声は楽しそうで、嬉しそうで。顔を上げて振り返る私を壊れた瞳の奥で優しく見つめてくれる。
「利用するなら、あのまま放っておくさ。目覚めもしない時渡りに用はねぇからな」
ならば何故という問いかけに、くつくつと笑う。
「理由がなけりゃぁ可笑しいか?」
「あたりまえだっ。その娘はただの娘ではないのだろう!? 貴様、時を操れるその力を如何とするつもりだっ」
桂さんの言葉で、ようやく気がつく自分は鈍いかも知れない。
「…高杉さん、これ、夢じゃ…ない?」
「なんだ、わかってたんじゃねぇのか」
「私…歩きながら白昼夢…」
「違ぇよ」
抱き直され、不機嫌そうに見下ろされる。て、うわ、この格好って。
「お、降ろしてくださいっ」
「てめぇの足で歩いて帰ったらまた死ぬぞ」
死ぬの決定!?
「おい、高杉」
「世話ぁなったな、ヅラ」
混乱している私を抱えたまま、高杉さんは流れるように廊下を抜け、階段を下り、裏口へと出る。誰にも会わず、誰にもぶつからず。それが、すごい。いや、凄い人とはわかっていたけど。
て、本当にこのまま行くんですか。
「高杉、さんっ、ホント、降ろしてくださいっ」
「駄目だ」
「どうしてですかっ」
抱く腕に力がこもる。それだけで、ただ駄目だと繰り返されて訳がわからない。
「てめぇは、俺のためにここへ来たんだろう?」
今度こそそうなのだろうと確認し、手近な空き家へと高杉は入り込み、敷きっぱなしの布団に私を落とした。
「ここ、人の家じゃ…っ」
「静流」
覆い被さる大きな影は私を威圧し…怯えていた。
「もう一度聞く。おまえは何故俺の元へ来た?」
そんなのわからない。
「何を想って、この世界を選んだ」
わかるのは一つ。
「私は…ただ私を受け入れてくれる世界が欲しかった。誰にも迷惑をかけないでいられる世界が、欲しかっただけです」
そんな場所はどこにもないとわかっていながら、求めた。
「おかしいですよね。私はいるだけで迷惑になるのに、それなのに」
溢れる涙に目を閉じる。
「それなのに、居場所を求めるなんて、変、ですよね」
何も求めてはいけなかった。だけど、求めずにはいられなかった。ひとりでいるのは寂しいから。
「俺が聞いてんのはそういうことじゃねぇ。何故、俺を選んだ?」
どうしてといわれてもわかるわけがない。
「何故、てめぇは何度も俺の前に現れる」
「私が起きた場所にあなたがいるだけじゃないですかっ」
場所はいつも違うのだと言っていたのを忘れていない。
「だが、他の奴の所に出たこたァねぇんだろ?」
そのとおりだ。だったら、何故この人の元にばかり出るのだろう。
「…それは…」
ひとつだけ、心当たりがある。
「高杉さんが優しいから」
不安で、一人が怖くて、世界に拒絶されているのが怖くて、生きることが怖くて。
「一緒にいるだけで、安心したんです。あなたは気に入らなければ壊してしまう人でしょう? だから、ここはいてもいいんだってわかったから」
目を開けると苦しそうな高杉さんの顔が飛び込んでくる。しかし、顔を背けられていた。
「やめろ…っ」
「そばにいられないのなら、私が邪魔なら殺してください」
「やめねぇかっ」
「殺す価値もないのなら…このまま見捨てて」
足手纏いに、枷になることぐらいわかっている。だから、はっきりと告げる。
「私、もう戻れないのでしょう? どうすればいいのかわからない。あの世界にいられたのはきっとここが夢だったから。現実に帰らなきゃいけないって、わかっていたから。だけど、ね。さっきからどんどん消えていくんです。向こうにいたときの少ない思い出が、家族の顔もよく思い出せなくなって」
「私、私、本当にあの世界から弾かれちゃったんですね」
違う、と囁く優しい言葉にも止められない。
「たったひとつの帰る場所がなくなって、それでも生きていかなきゃいけないってわかってるんです。なのに、なんで?」
落ち着けと、焦る声が遠ざかる。頭の中がぐちゃぐちゃしたものでいっぱいになってしまう。
「どうして、私は変われないの!? ひとりで、生きていかなきゃいけないのに。やらなきゃならないことがあるけど、どうして帰る場所まで無くさなきゃいけないのっ」
失う記憶と引き替えに、私は力を手に入れる。
「時は一人でしか渡れない。常人が共にすれば、軋轢で生きて超えられない」
「でも、一人で行っても、なにもできないっ。手を差し伸べることも、力を貸すこともっ」
「こんな私にどうしてこの力があるのっ?」
強く、強く、息が詰まるほどに抱きしめられる。そうして、やっと耳に、心に声が届いた。
「何も出来ねぇままでいい。おまえは、いてくれりゃいいんだ。静流の周りの時間だけが、俺を安心させる」
だから、それだけでいいんだと諭される。
「何もしなくていい。時を渡る必要なんか…いや、自分を身を守るためにだけ、その力をつかいやがれ。帰りたいなら、俺の元へ帰れ」
隣にいろと命じる。強い力で抱きしめられて、意識がもうろうとする。最後に響いたのはずっと聞きたかった声。
「愛してるぜ、静流」
(高杉視点)
静流をヅラの隠れ屋から連れ出した後、手近な隠れ家に俺は静流を連れ込んだ。来れば覚醒はすぐだとわかっていたが、できるならそのまま変わらずにいて欲しかった。
眠ってしまった女の髪をそっと撫でる。柑橘系の甘い香りが鼻をくすぐり、俺を包み込み。
こいつの周りだけ、最初から別の時間が流れている気がした。とてもゆっくりで穏やかで、触れているとそれはより一層濃くなる。目まぐるしく過ぎていく時代とは別の時間を静流はひとりで生きていた。
ひとりと錯覚するほど、世界から拒絶されていると錯覚するほど、それほどにこいつの周囲の時間だけがゆっくりと進んでいた。あまり多くを語られない時渡りの話。
歴史を変えることが出来るほどの大きな力を持った者。だが、大抵の者は気が弱く、力も弱く、そして、二十歳までを生きられない。そんな弱い生き物に用はなかった。静流に出会うまでは。
最初はそのまま殺してやろうかと思っていた。だけど、話に聞いていたのと違うのはその瞳の強さとあきらめの悪さ。弱い癖に、一本曲がらずにある、魂の強さ。
「静流」
隣で名前を呼ぶ。そこにいるだけで、俺を満たす。
だけど、俺にはやらなきゃならねぇ大仕事が残っている。それが終わるまで、お前は生きられるか。俺の隣で、折れずにいられるか。
心の中での問いかけに対し、ゆっくりと目が開く。ぼんやりした目を開き、それから数度瞬かせ、目をこする。そして、俺を認めて目を見開く。
「やっと起きたな」
口元がゆるむのはこいつの笑顔を見たからだ。汚れ一つ無い、純粋な笑顔。
「おはようございます、高杉さん」
もうここからこいつは消えたりしない。それはとても安心した。俺の知らないところへいかない。それが、とても暖かく感じる。
だが、ひとつだけ気がかりなことがある。
「晋介」
「え?」
「俺の女なんだ。名前で呼べよ、静流」
戸惑う彼女をそっと抱き寄せる。他の奴みたいにしたら、簡単にこいつは壊れちまうから。
「な、呼べよ」
「いいんです、か? だって、私」
「呼べ」
少しまだ腕の中でごねていたけれど、観念したように小さく呼ぶ。
「聞こえねぇ」
「そ、そんな…その…晋介、さん」
身体中を真っ赤にして、そうして俯く彼女の顔を上げさせ、軽く触れるだけの口づけを交わす。
「何もしやしねぇよ。おまえはただそばにいりゃいい」
「…よくない」
「俺の言うことがきけねぇか?」
「そ、そんなことないです。た、ただ、私…その…」
「わかってる。手は出さねぇ」
「へ?」
「失いたくはねぇからな」
額に、頬に、目蓋に、耳に、ついばむようにキスを落とし、大切に抱きしめる。
女にしたいのはやまやまだが、こいつの命を失うことに比べれば。
「た、晋介、さん」
不安そうに俺を呼ぶ。
「私、いても…?」
「ああ、とりあえず、少し黙ってろ」
腕の中にある温もりがくれるゆったりと流れる時間に身を任し、俺は静かな眠りへと落ちる。
変わらずに有り続けること。それがどれだけ難しいか、俺は知っている。だけど、こいつならそうあってくれるだろう。このゆったりと時間を身にまとい続ける限り、おまえは変わらずにいてくれるだろう。
願いを込めて強く抱きしめる。胸の内にはいつしか穏やかな寝息がかけられていた。
- 1#所詮この世は夢語
書きながら、大人なのは回避しようとしているんですが、この人どうにもなりません
(2007/09/03)
新規公開
(2007/10/03)
分岐修正により、リンク修正。
(2008/12/09)
ファイル統合
(2012/10/01)
- 2#おまえは変わらずにいてくれるだろう
なにか、どこかで間違えた?
まあいいか(よくない
押し入れトリップで永住話の高杉バージョン
銀さんよりも書きやすいなぁ
つか、のってるときは駄目だね
私の頭の中がどこかにトリップしてます
(2008/03/26)
書き始めた当初はここで終わりの予定でした
でも、なんだかこっちにヒロインを動かしたくなったので(駒?
動かしたのが続きです。
(2008/04/23)
新規公開
(2008/04/23)
前作の分岐修正により、リンク修正。
(2008/12/09)
ファイル統合
(2012/10/01)