「神楽ちゃーん。これ、どこの子?」
「私知らないアルよ」
「新八ーぃはもう帰ったんだったか。んじゃ、とりあえず明日にするか」
「銀ちゃん、私、今日はどこで寝たらいいアルか?」
「定春枕にしとけよ」
「いやアル」
急に引っ張られて、ぼてっと床に落っこちる。私を落としたらしき人物はさっさと押入に入ってしまって、突然追い出されてしまった私は眠い頭を総動員して、考える。
ここはどこだ。
「おい、神楽!」
「おやすみ、銀ちゃん」
さっさと押入の戸が閉められ、残された私は泣きそうになりながらもう一人の人を見上げた。月明かりに照らされる銀色の髪はクルクルと好き勝手な方向へ伸びていて、私を見下ろす視線は心底困っていた。というか、本気で私が困る。
「あー…とりあえず、寝るか」
「ええっ?」
どうしようとオロオロしている間に男は隣の部屋の自分の布団へと入ってしまって。残された私はそのまま床に座っていても仕方ないので、ゆっくりと立ち上がり、部屋のソファへと座った。
月明かりも明るいが外の喧噪も騒がしい。ここは、一体どこだろう。
「…っ」
目が覚めたら、全然知らない場所に放り出されて、でも外へ出て行くのは怖い。どうしたらいいのか、何をしたらいいのか。でも、たぶん、ここにいるのは迷惑だろう。
夢なのに、夢の中なのに、こんなに途方に暮れたのは生まれて初めてだ。
どこへ行っても私がいては迷惑ばっかりで、居場所なんてどこにもない。そう思うと泣けてきた。眠っている人たちを起こさないように声を殺して、涙を流す。居場所なんて、どこにもない。でも、どうやったらこの夢は目が覚めるのかもわからない。
世界が私をいらないというのなら、いっそのこと殺される夢でもいいのに、それでさえない。ただいることを無視される。それが一番存在を否定されている気がして、心が痛い。
戸の開く音にびくりと体を震わせる。さっきの男が眠そうな顔で部屋を横切る様子を見つめ、その姿が消えるまで息を潜める。
少なくともここにいる人たちに迷惑をかけているには違いない。だったらとふらりとソファから立ち上がる。せめて、外へ出よう。
玄関の戸をそっと開けて、そのまま固まった。まるでタイムスリップしたみたいな昔の街並みなのに、遠くの方に近代的なビルみたいなものも見える。ここは、一体どこだ。
「おーい、お嬢さん。家出はともかく、この時間にこの辺を歩くのは関心しないよ~?」
背後からいきなり声をかけられて、大きく肩を震わせる。そこには、パックのイチゴ牛乳を片手に持ったさっきの男がいた。
「…家出じゃ、ないです」
「あ、そう。まあ、いいから中で話を聞こうじゃないの」
さぁと促され、断る理由もないので男の後に続いて部屋へと戻る。そして、ソファにふんぞり返るように座った男を前に立ちつくしていた私に椅子を勧め、座った私に名刺を差し出した。
「俺は万事屋ってのやってんだ」
いっちょ、家出の悩みでも聞いてあげようじゃないかと言い出した男を前に、私は途方に暮れる。だって。
「家出じゃないです」
「またまたぁ」
「私、普通の家に帰って、普通に自分の部屋の押入の二階のベッドに入って眠っただけなんです」
「オニーサンをからかおうったってそうはいかないよ」
何度説明してもわかってもらえなくて、言っていることの全てを信用してもらえなくて、だんだんと泣けてくる。
「な、なにも泣くことねぇだろ、おい」
「どうせ私が何言っても仕方ないんです。私だって、今の状況が信じられない。こんな夢早く覚めて欲しい。いくら否定されても現実の方がまだマシだもんっ」
少なくとも現実では自分という存在までも否定されることはない。
ほろほろと溢れる涙が頬を伝い、膝に置いた手の甲へと落ちて濡れる。
「何でもできるような夢じゃなくたっていいのに、どうして夢の中でまで全部否定されなきゃなんないのよぅ…っ」
溢れてくる涙は止まらなくて、紡ぎ出した言葉も止まらなくて、衝動さえも収まらない。
「…ひっくっ」
「お、おい、落ち着けよ」
「そんなに、いうんなら…っ」
「わかったから、落ちつけって」
椅子を立ち、勢いのままに窓へと向かい、全開する。吹き込んでくる夜風に一瞬息が出来なくなったが、夢なんだと、覚めるんだと窓枠へとよじ登ろうとしたところで、後ろから羽交い締めにされた。
「まてまてまてって、俺が悪かった! 銀さんが悪かったから、もうちょっと落ちつけってっ」
これは夢だ。夢だから、覚めなきゃいけないんだ。
「離してよっ」
TVの電源を切るように、そこでふつりと意識は途切れた。
誰かの息遣いで目を覚ます。誰かのという時点でそれはまだ夢の中ということだ。
「今日の夢、長すぎるよ…っ」
泣きたくなりながら呟くと、声まで泣きそうだった。
「お、起きたか。ちったあ落ち着いたかよ、お嬢さん」
さっきの男の声にびくりと体を震わせる。私という存在すべてを否定する夢の、中。
ふいに髪を撫でられ、またびくりと体が震える。これがさっきの続きだというのなら、どういう話なのか。
「何があったか知らねぇけどよ、人生そんなに悲観するほどでもないって」
「先のは俺が悪かった、すまん。でもよ、その程度で飛び降り自殺することでもねぇって」
この人にとっては大したことでもないとしても、私にとっては重大なことなのだ。必要とされないぐらいはともかくとしても、迷惑もかけないとして、存在自体を否定された世界で生きる意味など見出せない。
「俺も神楽も別におまえさんを否定しているワケじゃねぇ。あんたは気配も丸出しだから、どこから入ってきたとしたって気が付く。いきなり、押入に現れたこともよっくわかってっから」
静かに穏やかに話す声に安堵すると同時に、だんだんと目蓋が重くなる。
「明日の朝になったら、どうするか考えようや」
こくりとなんとか頷き、私は意識を手放した。
明日の朝がある保証なんてどこにもなかった。でも、覚めない夢だとどこかでわかっていた気がする。怒鳴り声にびくりと目を覚まし、慌てて布団から飛び起きようとして、掛け布団にひっかかって転ぶ。これぐらいは日常なので、けっこう慣れている。
起き上がり、辺りを見廻し、まだ夢の中なのだと実感する。
「銀さん、どこから誘拐してきたんですか!?」
「だから違うつってんだろーが、このメガネっ!」
昨日の男と和装にメガネをかけた男の子が怒鳴り合っている様子に両手で耳を押さえる。そんな私に昨夜私を押入から追い出した女の子が近寄ってきた。その後ろには。
「…見間違い?」
大きな犬が見える。人一人余裕で飲み込めそうだ。
「私、神楽。こっちが定春」
「あ、あの?」
名前、と急かされて、年下の女の子にハイと敬語を使ってしまう。
「長浜静流、です」
「静流はどこから来たある? 家出か?」
言った瞬間に女の子に頭に拳骨が落ちた。昨夜の男だ。
「かーぐーらー」
「何するアル!?」
「いいから、オメーはあっち行ってろ。俺は静流ちゃんと話があんだ」
な、と笑顔で問われ、戸惑う。話よりも早く夢から覚めてしまいたい。
「…あの、神楽、ちゃん?」
「何アルか?」
「押入、いいかな」
「駄目」
いきなり拒否されてしまった。どうしようと困っていると、上から影が覆い被さってくる。あ、暗くなった。
「定春ー! その子は俺らみたいに丈夫じゃないから! 食べちゃ駄目だからーっ」
慌てて男に助け出され、メガネ君に手当をしてもらったあとで、もう一度問われる。
「えと、それじゃあ依頼人ってことでいいんですか、銀さん」
「どうなの?」
依頼と問われて、首を傾げる。そんな話ではなかったと思う。口を開く前に男がメガネ君に耳打ちし、メガネ君の私を見る目が可哀相なモノになる。なにか酷く誤解された気がする。
「まあ、この子は銀さんにまかせて」
「あんたにまかせたら、治るモノも治りませんよ」
「静流、私と一緒に遊びに行くアル!」
ぐいと腕を引っ張られて、戸惑う。私、パジャマのままなんだけど。
「私の服着ればいいアル。特別に貸してあげるよっ」
「おー、それがいい」
私の知らないところで話は進み、服と一緒にさっきの部屋へと押し込められてしまう。渡されたのはチャイナ服と少しゆるめのズボンだ。これはズボンを穿くのか、チャイナ服を着ろと言うことなのか。とりあえず、小さめの彼女のチャイナ服へ体を通す。…ギリギリだ。
「あ、あの~、これ、ちっちゃいみたいで」
小さく声をかけたが、三人は話に夢中で聞いてくれない。目があったのはさっきの大きな犬だけだ。動物は割と得意なので、身振り手振りで伝えてみる。定春がわんと鳴く。
「静流、着替えおわたか?」
かけてきた神楽が躊躇いなく襖を開け放ち、慌てて私は座り込んだ。着替え中なので下着しか身につけていないのだ。
「ち、違っ、あの、ちっちゃくて…っ」
泣きたい。ていうか、今すぐ夢から覚めて逃げ出してしまいたい。そんな私の上から大きな布が被せられる。
「あー…とりあえず、元の寝間着着とけ」
「は…い」
襖を閉めてもらったあとで元のパジャマに着替え直す。それから、襖を少し開いて隣を覗う。
「あ、静流さん、朝ご飯食べますか?」
今度はすぐに気が付いてくれたメガネ君が、少し顔を赤くして聞いてくれる。迷ったが、首を振った。
「気を遣わなくてもいいですよ、今銀さんが」
「おーい、静流ちゃんさんよ」
戻ってきた男がいきなり私を抱え上げた。
「え? えええ?」
運ばれた先で化粧の濃いおば…女性に着付けられ、何かを言う暇もなく、神楽ちゃんに手を引かれる。
「ま、がんばりな」
多少の憐れみを含んだ女性の応援に、少し泣きそうだった。もうすでに頑張れる気がしない。一体、彼らは私をどこへつれていこうというのか。
「で、家どこ?」
だから、こんな所に家なんて無いんだって、まだ信じてくれていない男に泣きたくなる。と、その上からいきなり傘が降ってきた。…いや、間違えた。神楽ちゃんが降ってきた。
「静流、こんなマダオほっといて、一緒に行くアル!」
「え、えええ、え、あの…」
さあと腕を引かれたが、お約束のように躓いて転んだ。
「おまえ…」
「ご、ごめんなさ…っ」
「なかなか見どころがあるな」
言われた意味がわからなくて、泣きそうな顔のまま神楽ちゃんを見上げる。
「公園行こう、公園っ」
差し伸べられた手。小さいけれど、まっすぐに「私」に向かって伸ばされた腕と、満面の笑顔。それは、ここにいていいんだと無言で示されている気がして、嬉しくて、泣きたくなった。
「静流?」
「…違…っ、あの、ね…」
目の前にしゃがみこんが神楽ちゃんが小首を傾げる。
「どこか痛いアルか?」
「あの、ね。…えっと…」
「スコンブ食うか?」
脈絡がないような気がするのは、私の気のせいでしょうか。今度は別な意味で泣きたい。
と、急に二の腕を掴まれて、立たされる。
「いつまでも道端で座りこんでんじゃねーよ。通行人の邪魔だろうが」
「すっ、すいま」
「銀ちゃん、何するアルかっ」
抗議の声を上げる神楽ちゃんの前で、男は強く私を抱き寄せた。苛々していると、嫌われているとばかり想っていたので、これには吃驚した。
「静流ちゃんはこれから俺とデートなんだよ。邪魔すんな」
「銀ちゃんばっかりずるいよっ。静流は私の押入から出てきたアル。静流と遊ぶのは私アルよ!」
気のせいだろうか。互いに私の所有権を争っているように聞こえるんですが。ていうか、こ、この男の人とデートって。デートなんて、生まれて初めてですよ。
それから、一緒に遊ぶのだと手を差し伸べられたのも久しぶりだ。
「ちょっと二人とも往来で言い合いしないでくださいっ。静流さんが困ってるじゃないですかっ」
ねえと、メガネ君の方こそ困った顔で訊ねてくる。
「困ってんのか?」
「困ってるアルか?」
二人に尋ねられ、注目されて、思わず近くのモノにしがみつく。
「う…えと…」
神楽ちゃんを見つめ、メガネ君を見つめ、最後に男を見上げる。と、にやりと意地悪そうに口端が上がった。
「決まり、だな」
「静流、私も行っていいアルか?」
「馬っ鹿、それじゃ、デートじゃねぇだろ」
「銀ちゃんと二人きりにするなんて、心配アル」
「おまえ、俺を誰だと思ってんのー? 銀さん、ものすごーく紳士だよ」
「紳士じゃなくて、侍アル。銀ちゃんに静流をエスコートできるとは思えないネ。やっぱり私と一緒に遊ぶアル」
「だーかーらー、ダメだっつってんのっ」
私の知らないところで話が進んでいくのは何故だろう。どうしたらいいのかわからなくて、私は近くのモノにますます強くしがみついた。
「ん? どうしたんだい、静流ちゃん」
「ひゃっ」
口喧嘩をしていると思ったら、急に声をかけられて、慌てて後ずさりそうになり、すかさず腕を引いて支えられる。もう一度転ぶのは避けられたが。
「おいおい、そこまで驚くことはないだろ」
なんかもうどうしたらいいのか、わからない。早く目が覚めたい。否定されている世界なのだとしても、現実のあの場所へ。
「腹減ったなぁ。メシ食いに行くか」
怠そうに呟いた男は、私の肩を抱いて歩き出す。合わせてくれているようで、今度は転ぶほどではない。
「新八ィ、神楽連れてけ」
「ずるいヨ、銀ちゃん。私も一緒行くアルっ」
「神楽ちゃん」
歩いている間に神楽ちゃんは宥められ、私は強制的にこの男とデートすることになった。
少し歩いて、男が私の肩から腕を離す。すっと離れてゆく熱量が淋しくて、思わず立ち止まる。この方が歩きやすいのに、何故、どうして、彼は私に合わせてくれていたんだろう。
男が立ち止まる。
「どうしたー?」
顔だけ振り返り、促される。やはり、今まで会った誰よりもわからない人だ。
「私、」
「帰るのはすぐじゃなくてもいいだろ。それより、俺ァ腹減ったよ」
「……」
「パフェ食いに行こうぜ」
そういってまたゆっくりと歩き出す男の五歩ぐらい後ろを私も歩き出す。前を歩く姿はとても覇気が無く、やる気もない。だけど、決して小さいというわけではなく、大きく見える背中だ。こんなにもやる気がないのに、どこか頼ってしまいたくなる。
そこまで考えて、再び私は立ち止まった。ここは夢の中なのに、拠り所を探してしまっている自分に気が付いてしまったからだ。このまま進んでしまうのが、怖くて、振り返った男の目の前で踵を返す。
「おい?」
「私、帰ります」
一歩を踏み出す前に肩を押さえられる。
「いやいや、せっかく来たんだから、仲良くしようや」
「…仲良くしてもお金ないですよ」
「何、さっきの依頼とか気にしてんの。ありゃガキども納得させるために言っただけだ」
そうだと男が名刺を取り出し、私に差し出す。
「なぁ、昨夜のこと覚えてるか? 俺は万事屋やってンだ」
名刺には確かにそれが書いてある。が、逆に言えばそれしかない。万事屋とは何屋さんだと首を捻る。よろず、いろいろなこと、いろいろや。
「絵の具屋さん?」
言った瞬間に吹き出された。しゃがみ込む、お腹を抱えて笑い出されてしまって、やはり間違いだったかと理解する。
「ごめんなさい、変なこと言いました…?」
「いやーなんでもねぇよ。絵の具屋さんなんて言われたのなんて初めてでね、ちっとツボはいったわ。なになに、なんで絵の具屋?」
かわいーと頭を撫でられて、困惑する。からかっている、とも取れる。馬鹿にしてもいるのだろう。どうして、私はこうなのか。
「よろずっていろんなことって意味ですよね。だから、いろいろ屋だから、色を扱ってるのかなって」
「それで絵の具屋さんかー。かわいいねぇ」
うちのスコンブ娘に見習わせたいよ、と満面の笑顔で言われて、どうしたらいいのかわからない。
「万事屋ってーのは、つまり何でも屋だ」
「…探偵さん」
「ああ、まあ、そういうのもあるな」
かわいいなぁとグリグリ撫でられて、いつの間にか近くなった距離で抱きしめられて、囁かれる。
「俺が絵の具屋だとしたら、静流ちゃんはどんな色が欲しいんだい?」
考えたこともない話だ。自分の欲しい色は何色だ、と問われて、私には返す言葉がない。体を離した男が優しく微笑む。
「俺が持ってる色だと助かるんだけど」
「…何色を持っているんですか?」
「銀色」
「……」
使いづらい色を持ってこられた。どう使うかと考え込んでしまうような色だ。
「ダメですかね」
「…難しいです。銀、と、鉄は違うし、うーんと、銀色、銀いろ」
「あるでしょ、俺の髪とか。刀とか」
言われて、男の髪に触れてみる。
「刀は見たことないですけど…うーん、銀? 白?」
「白はやめてよ、白は」
立ち上がった男が手を差し出す。
「ともかく、そろそろ行こうぜ」
手を取るのは躊躇われた。夢の中とはいえ、だんだんと居心地が良くなっている。
「私、やっぱり帰ります」
「そう言わずに」
「なんだかいろいろと迷惑かけてしまって、すいませんでした」
頭を下げて、踵を返す。
「静流ちゃんてさー」
歩き出した私の背中に声だけが追いかけてくる。振り払うように、転びそうになりながら走り出す。
走って走って、そうしてどこをどう走ったからわからなくなって、私は夕陽に照らされる大きな橋の上についた。
「…夢から、覚めなきゃ」
押入から帰れないような気がしていた。その他に目が覚める方法は。
土手をそろそろと降り、橋の下へと向かう。川の前で立ち止まり、大きなその流れにごくりと鍔を飲み込む。
「覚めなきゃ」
意を決して、草履を脱ぎ、足袋を脱ぎ捨て、素足で川に入る。凍えるような冷たさでそこから動けない。でも、覚めなきゃいけない。これ以上、ここにいたら、戻れなくなる気がする。
「…あんたは…っ」
焦る声が少し離れたところから聞こえたかと思うと、次には抱きしめられていた。
「なんでそんなに死にたがるっ」
「死にたいんじゃないです。夢から、覚めたい」
「覚めりゃいいじゃねぇか」
「…これは夢なんです。でも、どうやって起きたらいいのか」
「んなもん、起きたくなったら起きりゃいいんだよっ」
起き方がわからない。起きないととりかえしがつかないことになりそうだとわかっているのに、どうにもできないことに涙が溢れてくる。
「これ以上、こんな夢の中にいたら、私…現実に帰れなくなっちゃうよぅっ」
ここは居心地が良すぎて、ここは自分に優しすぎて、ここは暖かすぎて。
「夢の中で必要とされたって、現実の私は変わらないもの。夢の中で優しくされたって、現実はそんなに優しくないもの。それなのに、ここに居続けたら」
最低な現実しかいらなかった。温かさも優しさもいらなかったのだと今更のように気が付いた。私は。
「私は私を受け入れてくれる世界なんて…欲しくなんて…っ」
目が覚めたら、自分の全てを否定する現実が待っている。それだけが真実で、夢を逃げ道になんてしちゃいけないとわかっていたのに。
腕を振り払い、川の中へと足を進める。
「おい、静流…っ」
「どうしてこんな夢を見せるのよ。夢なんて、夢なんて…っ」
「夢じゃねぇってっ」
ぐいと腕を引かれ、崩れたからだが水の中へと沈む。すぐに引き上げられ、温かさが口に重なる。
キスをされているのだと気が付くには、時間がかかった。
「ったく、ホント、全部夢にしちまいやがるんだからまいるぜ」
肩に顔を預け、静かに言葉を聞く。
「あんたにとって夢なんだとしても、何も死ぬこたなかろうよ。神楽が寝床を開けりゃすむことだ」
「…信じてくれてたんですか?」
「おーよ」
「じゃあ、なんで、ずっと」
わからないフリをしていたのだと言った。
「あんたを帰さなきゃヤバイってのはわかってた。だけどな、全部否定されてるなんて誤解されたまんま、絶望したまんまのあんたを放ってはおけなかったんだ。俺もそうだったからよ」
え、と男を見つめる。
「とりあえず、家に帰るか。このまんまじゃ二人とも風邪ひいちまう」
私を抱えたまま川からあがり、彼はそのまま万事屋までの道を歩き出す。夕方の風が吹き付けてきて少し肌寒い。だけど、触れている部分だけ熱を持って温かかった。
誰もいない部屋で私たちはパジャマに着替え、二人で布団に向かい合うように横になる。
「あったけー」
二人でくっついていると温かい。だけど、何よりも私はさっきの言葉が気になった。
「あの…坂田さん」
「銀さんにしてよ。他人行儀な」
ていうか、他人だ。だけど、そう呼べというのなら。
「銀さん、さっきの…銀さん?」
名前を呼んだとたんに感極まる様子で強く抱きしめられて戸惑う。
「素直だねぇ。どっかのババァにきかせてやりたいぜ」
どういう風に聞けばよいのだろう。というか、本当にこの人の話を聞いても良いモノだろうか。その頃の自分を忘れたいモノだと思うんだけど。私なら、今の自分の話をしたくはない。
「静流ちゃんさんよ」
クスクスと楽しそうな声に顔を上げる。
「あんた、無茶苦茶鈍いだろ」
「…え…」
「そうじゃなきゃ、一緒の布団で寝るのに多少は抵抗しそうなもんだもんな」
額にキスをされて、ようやく状況に気が付く。でも、これは夢のハズだ。
「夢じゃねぇんだよ。俺はずっとあんたが現れるのを待ってたんだ。なぁ、時渡りのお姫さんよ」
「!?」
「過去を変えて欲しいとか、未来が欲しいとかじゃなく、俺はあんたに逢いたかった」
耳元で囁く優しい声。
「世界はあんたを否定しているんじゃない。あんたを待っているんだぜ」
目覚めを。
どくりと心が動き始める。
「会いたかったよ。会って、最初は追い出してやろうとかどっかに押しつけるかと考えた。だけど、あんたは普通の人間が普通に出来ることも普通に出来ない。あんたのまわりだけ酷く時間がゆっくりで、あったかい」
「銀さん…っ」
「すべて、終わったんだって実感できるんだ。平和で、退屈な日常にいるって、あんたのそばにいるだけでわかる」
大切そうに抱きしめられても意味がわからない。これは、どんな夢だ。
「なあ、誰もあんたを否定なんてしてない。よく見てみろよ。そうすりゃ世界が極彩色に染まってるのがわかる。あんたも、俺も、誰も彼も明るい光で満たされてるだろうさ」
静流、と大切そうに名前を呼ばれる。
「夢から覚めないで欲しいと思ってる。だけど、このままあんたは消えちまうんだろうな」
彼の言うように心がふわふわと浮き出していた。
「起きたらさ、まず空を見てみろよ。空だけはきっとどこかで繋がってるだろうさ」
極彩色の世界を見ろと。
「今度会ったら、もう一度名前を呼んでくれねぇか」
「…はい」
ここで私は十分すぎるほど満たされていた。だからこその夢の終わりなのだと。
「神楽ちゃん、怒るかな」
「心配すんな」
「うん」
透けてゆく体でそっと男と口を重ねる。
「空に銀色もあるかな。私の世界、銀色にできるかな」
「ああ、静流にならできるさ」
消えながらゆっくりと頷く。
「ありがとう、銀さん。私、銀さんに逢えて良かった」
銀色に瞬く光に包まれて、まぶしさに目を閉じる。それからもう一度目を開くといつもの自分の押入ベッドの中にいた。長い長い夢だった。だけど、温かくて、優しくて、とても良い夢だった。
押入を出て、カーテンを開ける。高く上がった朝日、遠くに見える緑の木々に、いつもと同じ光景が今日は違ってみえる。これも銀さんのおかげだろう。
今日も一日、頑張ろうと決意新たに部屋を出た。
あの夢から少しだけ世界が変わった。いや、何も変わっていないのかもしれないけど、私の世界は明るくなった。何を見ても嬉しくて、何を見ても愛しくて、楽しい。
相変わらず、鈍いし、トロいけど、それでも世界を見るだけで心が癒された。
今日も私はあの夢の一日を思い出しながら眠りにつく。あの時、銀さんは私をなんと呼んだだろうか。そんなことを思いながら眠りに落ちる。
だからだろうか、こんなことになったのか。
「静流! 今日は私と一緒に寝るアルよ」
「押入に二人は狭いって。静流ちゃん、こっちに布団あるからっ」
変わらない二人を見て、ふいに笑いがこみ上げてくる。それから、懐かしさ。
「三人で布団っていうのは?」
良い考えだと思ったんだけど、二人に即駄目出しされて、私は二人が争っている間にゆっくりと押入から出て、居間へと足を運ぶ。あの夜飛び降りようとした窓から外を見ると、大きな月が出ていた。世界は、繋がっているんだとワケもなく感じる。
隣で大きな音が聞こえたかと思うと、勢いよく戸の閉まる音がして、苦笑いしながら銀さんが私の元へ来た。近くまで来て、寄り添い、抱きしめられる。
「少し変わったな」
「はい、銀さんのおかげです」
よしよしと大きな手で頭を撫でられるのが心地よい。
「またこの夢を見られるなんて、本当に夢見たい」
「…だから、夢じゃ…まあいいや。明日はなんも依頼ねぇし、のんびりしようぜ」
促され、また同じ床につく。寄り添いながら、抱きしめる腕は力強い。まるで、消えることを恐れているみたいだ。
「銀色の夢」
「あ?」
「ううん、何でもないです。おやすみなさい、銀さん」
「おやすみ、静流」
軽く額にキスをされて、私は夢の中で眠りにつく。明日は何をしようか、何が起こるだろうかとワクワクしながら。
(銀時視点)
あの時と同じく、まったく何の警戒心もなく腕の中で眠ってしまった静流の耳へと触れる。幽かに身動ぎし、甘い声を上げる。…やべぇ、襲っちまいそうだ。
仕事柄いろいろな話を聞くけれど、ただの御伽噺だと思っていた。時間も空間も操ることの出来る不思議な姫がいるのだと。時渡りの姫の話を聞いたのは誰からだったか。ここにいれば、利用しようとする輩が現れるだろう。そんなやっかいごとを抱え込むのは御免だった。
だが、出てきてみりゃなんてことはない。ひどくトロくて、鈍くさく、普通のことも普通に出来ないと嘆き、世界に絶望しているだけのただの女だった。
弱いのかと思えば、現実から逃げないように必死に生きていて、その姿にひどく心を惹かれた。
「夢でもなんでもいいからよ。ずっとここにいてくんねぇかな」
世界は虹色よりももっと多い極彩色で、よくみりゃいろんな人間がいて、普通のことが満足に出来ないヤツだってけっこういるモンだ。
一緒にいれば、俺も変われるなんてことは言わねぇ。だけど、静流の言う普通ってヤツの手伝いぐらいはしてやれる。静流が笑っていられるように、手を貸してやれるだろう。
腕の中で静かに眠る女が目覚めたら、まず何から話そう。どうやって、今度は留めおこうと考えながら俺も静かな眠りに落ちた。
静流の作る平和で退屈な空気に包まれて、同じ極彩色の夢を見よう。
「私の世界」シリーズ、第3弾。やっと、明るい夢になりました~
銀さんで書こうと思ったんですが、そういえば、あそこの押入には先客がいました
(2007/10/10)
分岐修正により、リンク修正。
(2008/12/09)
ファイル統合
(2012/10/01)