カーテンの隙間から差し込む夏の陽光で、オレは目を覚ました。
「…もう、何日すぎたんやろ」
無断欠勤でクビされたやろなぁ。でも、電話もかかってきぃへんし、外はどないなっとるんや。
起き上がろうとしたが、身体が鉛抱えてるみたいに重うて、すぐに布団に逆戻りやった。
「この姫条ともあろうモンが情けないわ。風邪ごときでこないになるなんて…」
病気になると、気ぃまで弱なるてのはホンマのコトやってんな。なんや、無性に春霞…お前に逢いたいわ。もう、何年も逢うてない気、してきた…。
*
卒業後、オレはフリーターになったんやけど、同じだけ遊んでた春霞はどうしてか一流大学に入っておった。でも、スタンドのバイトは続けるゆうて、学校で逢うよりバイトで逢う時間のが増えたんやけど。
「まどか!いっくら夏だからって、そんなカッコで!!」
早番で入ってた春霞が休憩しているところにずぶ濡れで現れたんは、深~くはないが云えないわけがある。
「水もしたたるイイ男やろ?」
「ばか、古いよ」
恥ずかしそうに視線を逸らし、春霞は棚からタオルを取り出して、オレの頭にかけた。
「それより、どこで水かぶってきたのよ」
今日は雲一つない快晴で、雨の降る気配なんて1%もない。
「上から急に降ってきてん」
「まどかのトコにだけ局地的大雨?」
「ははは、そーみたいやわ」
ホンマは上見たときにちらっと見えた。小さな影やったし、子供の悪戯や思とったわ。
「ここ、涼しーなぁ」
「クーラー効いてるんだから、当たり前だよ。ほら、ちゃんと拭かないと風邪引くから」
春霞の手がタオル越しに触れてくると、柑橘系の匂いが香ってくる。
「…今度から、バスタオルでも置いておいたほうが良いかな」
「なぁ」
「なぁに?」
「抱きついてもエエか?」
返答を待たず、細い腰に腕を回すと、春霞はあっさりとバランスを崩した。
「ま、まどかっ危ない~っ」
「支えとるから安心せい」
「そそそーゆー問題じゃ…」
うろたえる春霞が本当に愛しくて、もう一度強く抱きしめる。
「ま、どか?」
こいつ、大学に入ってからさらにキレイになりよってん。オレのためやったらうれしーんやけどなぁ。大学にはもっとカッコイーのがいるのかもしれん。そういや、葉月や守村も同じ大学やなかったかな。
春霞はオレの気も知らずに、柔らかく抱きしめ返してきた。それだけで他のことがどーでもよくなるなんて、オレもゲンキンや。顔に当たる感触が気持ちイイゆーたら、はりたおされるやろな。
「お父さんになにかいわれた?」
唐突に降ってきた言葉に驚いて固まってしもうてる間に、春霞は腕をすり抜けて隣に座った。しまった、作戦やったか。
「…今日会うて、ゆーたか?」
「ううん。でも、まどかの顔に」
深くため息が出てきた。春霞は変なところで鋭いんや、いつも。
「書いてあるゆーんか」
こっちの気も知らず、そないニコニコとして。
「また、就職しろーって、言われた?」
「違うわ」
なのに、どうして恋愛方面には疎いんや。
「え、じゃあ何?」
「なんやろな?」
笑いながらキスしようとすると、春霞は少し身体を逸らせた。
「ちょっ、ここで…」
「一瞬や」
片手を引くと、あっさり春霞の身体は引き寄せられ、口唇が触れた所で頭も押さえつける。
「…っ」
暴れていた片手もやがてオレの身体に回されて。
離れた春霞の口からは、耐えきれない吐息がもれる。あかん、ここで押し倒してしまいそうや。
「ほな、今日はこれで帰るわ。春霞の元気な顔も見たしな」
「…ずる…っ」
恨めしそうな春霞を残して、俺は着替えに帰った。それから後、いつもどおりバイトしたまでは覚えてるんやけどな。
西日が痛くて、オレは目を覚ました。開け放たれた窓から入ってくる風が、ほとんど開いてしまったカーテンの端をはためかせている。
「誰や、カーテン開けたんわ! て、オレしかこの家におらへんな」
でもカーテンも窓も、オレは開けた記憶がない。泥棒かて、この家に取るもんなんかあらへん。むしろ同情してカネ置いてきそーやわ。それとも、オレが寝ぼけて開けたんか?
その時、戸がカタンと音を立てた。
「まどか、起きた~?」
部屋の戸が開いて、暖かくて柔らかい匂いが流れ込んできた。入ってきたのは黒のタンクトップにミニスカートという動き易そうな服装のオレの彼女。
「…オレ、まだ熱あるんやろか?」
今一番逢いたいと思とった春霞が、なんで出てくるんや。
ごつんと付き合わされた額が、痛い。
「て、ホンマに春霞か!? なんで?」
「うん。熱はけっこう下がったみたいね。食欲は?」
や、サラリと流さんといて。
ぐきょるごりゅぁぐぁ~っ
「ちょっと待ってて」
ずいぶんタイミングよく鳴る腹もあったもんや。とりあえず、起きといた方がエエか。
「おまち~春霞特製おじやだよ~」
「おお~っ」
料理の腕前は高校ん時から噂で聞いてた。手芸部合宿で理事長が誉めたゆうて、食ったヤツらが自慢しとった。
「あ、ちょっと待って」
肩にバスタオルが一枚かけられる。
「…ふぅ…ふぅ…ふぅ…」
なんや、食べさせてくれるのか。
「ぁ…っふ」
十分に冷まされた一口目は、お約束通りに春霞の口へ直行。
「自分のためかい!」
「ちょっと、味見ただけだって」
そして、もう一度梳くって冷ました2口目は、オレの口へ。
「あ~…おいし?」
「一口でわかれってか?」
「じゃぁもう一口。あ~ん」
オレの料理なんてなんだったんやろ、て思うぐらい美味い。なんで今まで作ってくれへんかったんやろ。全部食い終わると、気持ちもホカホカ暖かくなって気分もだいぶようなってた。
「そーいや、今のって間接…」
「そろそろ窓閉めるね~」
わざとや、今のは。絶対。
窓とカーテンを閉めるだけやのに、春霞は窓辺に立って外を眺めとった。時折吹く風が髪を揺らして、オレンジ色に照らされた春霞の顔をあらわにする。もともとの色白のせいもあるんやと思うけど、それがものごっつ可愛くて、カメラなんかあったら取って額に入れておきたい衝動に駆られた。
「なんで開けたん?暑いやろ」
「だって、空気よどんでたよ。こんなんじゃ治る風邪も治らないって」
「せやけど…」
「暑いのは慣れてるし。それに、暑いのは夏なんだから当然だよ」
オレにはこのジメジメした湿気ばかりの暑さやけど、春霞には年中行事みたいなモンなんやろか。
「でも、この部屋にクーラーも空気清浄器もあるで?」
「まどか、暑いのダメ?」
「いつもなら別にな、いいんやけど…」
「あ!ごめん!!」
急いで春霞が窓を閉めて、クーラーを探しに走る。というか、リモコンここにあるんやけど。
「まぁちょっと落ちつけ」
「あーっ持ってるんならいってよーっ」
そのリモコンを取ろうと飛びついてきた春霞を、オレはようやく捕まえた。
「や、ちょっ、はなして~っ」
「自分、なに焦っとるのん?」
「別に焦ってなんか…っ」
なにを思ったのか、春霞は急に落ち着いて布団の脇に座りなおした。顔は上がらず、うつむいている。
「ご、ごめん」
「何あやまっとんの」
「あの…まどかに水かけたの、うちの弟、みたいで」
なんや急にしょんぼりされると調子狂うわ。でも、そうかアレは春霞の弟やったんか。すんなり納得できるっちゅーのもどうかとおもうが、まぁ正体がわからんよりはイイか。
「たーっぷりお仕置きしといたから、その、ごめんね?」
「や、いいて。別にそないなことせんでも…」
顔全部で泣きそうにいわれたら、オレ、許すしかないやん。
「…姉弟喧嘩でもしたんか?」
うつむいたまま、春霞は首を振った。儚げってなぁ、今の春霞みたいんをゆうんやろな。このまま霧か霞かになって、消えてってしまいそうやった。そんで、なんとなく抱き寄せていた。
「オレは全然怒ってへんから、許してやり。尽、ゆうたか。弟もきっと春霞みたいにしょんぼりしてるんと違うか?」
ここにその弟がいなくて助かったわ。よう似てるからな、この姉弟は。
「だったら、良かったんだけど…」
深い深~いため息が聞こえた。
「懲りてないんだよね、尽のヤツ」
「じゃぁ春霞がそないに落ち込むことないやん!」
腕の中で驚く声が響く。
「あの日はちょうど暑うて死にそーやったから、オレもちょうど良かったんよ」
「で、でも、風邪ひかせちゃったし…」
春霞は見かけよりずっと心配性や。オレはだから、いつも笑っていてやることにしてる。
「風邪はほら、オレが勝手にひいたんや。そしたら…見舞いに来てくれるかもて、期待してな」
小さく吹き出す声がして、上げられた顔にはホンマの笑顔がうかんでいた。
「もう、調子いーんだからっ」
それでも、オレは春霞がこうして笑ろてくれるなら、それでエエんよ。この笑顔を見るためやったら、なんだって出来る気がしてるのは決して幻覚なんかでなく、絶対に実現させるチカラの源となる。
オレと春霞は二人でしばらく寄り添っておった。穏やかな空気に包まれて、現実なんてどこにいってしまったかと考えてしまう。でも、たまにはこんなんもエエかな。隣におる自分の好きな女が、同じように自分を好きでいてくれるゆーんは、奇跡に近いとか誰かがゆうてた。
「みんながねー」
誰よりも近い場所から、少し眠そうに言葉が紡ぎ出されてくる。
「お見舞いに持ってけって」
その寄りかかる重さが段々増えてくるのは、気のせいか現実か。
「何をや?」
「…一升瓶。ちなみに店長の秘蔵だってさ」
大きく吸い込んだ息で身体をうんと伸ばして、春霞は立ち上がる。
「さぁっすが、店長やな」
ん?
「オレが風邪引いてるて、どうして知ってんのや?」
春霞は満面の笑みで振りかえった。
「自分で連絡したじゃない!」
と軽やかな笑い声をたてる。
「じゃ、あたし、片付けたら帰るね」
なんや、腑に落ちんのはオレだけか?
春霞の出ていった戸を見つめていると、流しに水の流れる音が聞こえてきた。
「…まぁエエか」
台所に誰か立ってるなんて、何年ぶりやろ。
好きな女が自分と一緒にいてくれて、好きな女が自分のために料理してくれて、好きな女が自分に手ずから食わせてくれる。これ以上の贅沢が他にあるやろか。
――そばにいて欲しいたったひとり――
親父にとってのお袋もそうやったんかな。そうやったらエエな。
「まどかー、起きてるー? …あらら、寝ちゃった」
枕を抱きしめて眠っているまどかの顔は、とても穏やかだ。外でカッコつけてる姿でなく、自分だけに見せてくれる素のまどか。
座って、跳ね上げられた掛け布団をかけなおしてやる。ここで名前なんて呼ばれたら、帰りたくなくなってしまうかもしれない。このまま、こうしてまどかが起きるまで待っていたい。そう考えても、自分にそんな度胸がないことはわかってるので、自嘲気味な微笑が浮かんでくるのを抑えられない。
こんなに好きなのに、どうして私怖がっているんだろ。こんなに好きなのに、何を一体怖がっているんだろう。
まどかは、決して私の嫌がることはしない。だから、私から進まなきゃ何も動かないのに。
勇気が出るまで、どうか私を嫌いにならないでね。
「今日のところは、帰ろう」
微かに、まどかの右の眉が動いた。気のせいかな。
「…お父さんと何の話したか、聞き忘れちゃったな」
今度は全く微動だにしない。まどか、起きてるのかな。
「いつもの就職の話じゃなかったなら、何の話かな」
う~ん、やっぱりさっきの気のせいかな。
「…明日、また来るね」
また、眉がピクリと動く。狸寝入りかも。でも、単にイヤな夢でも見てるのかも。それも明日。
「おやすみ、まどか」
今寝ていても、起きていても好都合。私の身長でまどかにかがんでキスなんて、そうそう機会がないもん。
――まどかの風邪、もらってくね。
玄関の閉まる音を聞いてから、オレは口を押えて起きあがった。
「…やっぱ、ずるいわ。自分」
帰るというのをおぼろげに聞いていた。でも、まさか寝込みを襲われるとは予想できなかった。今、熱が上がるのは絶対春霞のせいやで。
「こんなんオレのキャラとちゃうで…」
これじゃタダの純情な男やんか。口唇に微かに残る感触が、堪えきれない気持ちを溢れさせる。オレが、どれだけ我慢してるか知らずにこーゆーんをするんか。ずるいで、ホンマに。
遊びのキスならなんぼでもしてきたけど、本気の女からのささやかなキスてのは気分がイイとか、そんなん違うな。アレや、アレ。初めてキスした時の、めっちゃ動悸が止まらなくなるヤツ。
「イマドキ、小学生でもならんて…」
なにやっとんのや、オレは。
春霞はいつもオレに、一番大切なことを教えてくれる。忘れかけていた大切な気持ちも全部、取り戻させてくれる。それにオレが返してやれることはなんやろ。これ以上、借りが増えんうちに親父んトコに行ったはずやのに、そっちはそっちではぐらかされるし。
「春霞のヤツ、気にしとったんやな」
アイツはいつも人の心配ばかりや。それでも、不思議と信用されている気はする。
「親父と話しても、いつも面白くないで」
先日の会話を思い出して、自然と顔が強張る。
内容はいつも同じ。ところが、今回は少しだけ違った。春霞とのことを切り出そうとしたとき、向こうから仕掛けてきた。
「まだ、家を継ぐ気にならんか」
「始めから無いて、ゆーとるやろ」
普段それほど笑わないヤツがニコニコと愛想ふりまくから、不気味やった。そして、出てきたのが大量の見合い写真。
「オレは…っ、オレは春霞以外とは一緒にならん!!」
ただキレイでカワイイだけやったら、ごまんとおる。でも、オレの隣にいてほしいんはたったひとりや。
どうして、親父にはそれがわからんのや。
まだまだ昔のように戻るんは難しいもんやな。オレはオレで、親父は親父で譲れないもんが多すぎるんやろ。
またケンカしたゆうたら、春霞は哀しむやろか。その原因が自分やて知ったら、一体どーするんかな。
「…明日は、バイトにいかんとな」
これ以上、春霞に心配させたら、寝こんでしまうやろからな。
あぁでも、そしたらオレが見舞いに行けばイイか。弟は簡単に上げてくれるだろうしな♪
ごめんなさいぃぃぃっ!!途中、主人公になってしまいました。
だって、まどかだけでってセリフも中身もムズカシ(やかましぃ)
私のまどかはいつでも主人公本位です。もうそれさえ伝われば。
ごめんよ、J(仮)。仮想敵がなんだか尽になってしまったよ。
だって、理事長の攻略してないからっ!セリフが出てこないんだよ!!
まどかが見舞いに行っても尽がすんなり上げてくれるとは思えないな。
ガンバレ、まどか♪
(2002/08/15)