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書名:GS
章名:氷室零一

話名:甘い媚薬


作:ひまうさ
公開日(更新日):2003.2.9
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:6974 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 5 枚
デフォルト名:東雲/春霞/ハルカ
1)
Valentine Day 2003
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p.1

 人波に逆らって廊下を歩く人影がある。彼女の名前は東雲春霞。3年氷室学級のエースと囁かれる、かなり優秀な学生である。大体の人物が学生食堂に歩いていくが、すれ違うたびに何人もの学生が振りかえる。それも男女問わず。

 歩くたびに揺れる髪は明るいピンクブラウンで、細く柔らかな印象を与える。肌は白く、伏せられた睫毛の下には茶色の瞳が控え目に覗いている。見る度に誰もが思うのは「はばたき学園の大和撫子」という異名だ。もっともそれを本人が耳にしたことはないが。

 立ち姿は背筋よく、腕を曲げて抱える日誌さえ、彼女の知性の証のように見えないこともない。

 さて、なぜ彼女が昼時に学生食堂と反対方向に歩いているのかというと、そちらのほうに職員室があるというただそれだけの理由である。受験真っ只中の彼女が学校に来るのもごくわずかだが、本日は三年生の登校日ということなので、久しぶりに見る姿に感歎のため息を洩らすものも少なくない。

 開け放たれた窓が一つ。少し暖かな春の陽射しと共にそこから鳥の声を運んでくるので、春霞は立ち止まる。鳥の声に惹かれたのかぁ優雅だなー、という声が背後を通り過ぎるのも忘れて、彼女の視線は別な物を捕らえていた。気づいたような気づかないようなそれにそっと口元だけ微笑み、また廊下をゆっくりと歩くのだった。

「氷室先生はいらっしゃいますか?」
 職員室には氷室の姿はない。これは春霞にとって、実は少しだけ予想済みである。

 三年の2月の登校日は14日、バレンタイン。むしろその為に登校日にしてあるといっても過言ではない。自由な校風の学園は、本日、高校最後のバレンタインへと賭ける少女で賑っている。職員室脇のチョコ受け付け箱でも入りきらないほどの色とりどりの包装品。どう見てもチョコではないと思われるものまではいっている。チョコはお茶受けになると言われてはいるものの、実は宛名の本人が拒否しなければ、きちんとその口に入るのだ。それを春霞が知っている理由はもちろん秘密である。

 次に校舎から外へ出る。風に潜む遅き春の気配に身をかすかに震わせ、春霞はある一角へと足を向けた。人のあまり立ち寄らない、あの場所へ。

「やっぱりここにいたんですね、せんせぇ?」
 上からのぞき込んで笑うと、眠そうな顔で二度三度と瞬きした後、氷室はおもむろに凝視してくる。僅かに緑みがかったペリドットの輝きが日の光を受けて、色を放つ。そうすると、普段の不機嫌で怖いイメージは崩れ去り、むしろ可愛らしいと表現する者の方が多いかもしれない。特に眼鏡を外している今は、年齢よりも幼く見えて、とても教師とは思えない。

「どうして職員室にいないんですか? 探しましたよ!!」
「何故、ここにいる。東雲」
 至極もっともな意見に、ニッコリと笑って座りこんだ。気を使ってか、氷室は上半身を起こす。上に掛けていた上着が滑り落ちる。

「今日が登校日だからですよ、氷室先生」
 どんな反応が返ってくるのかとおもいきや、驚いていた瞳が細められ、口の端がわずかに上がる。笑っているのだと、思う。

 どうして担任がそれを知らないのかというと、それは今日がバレンタインであるということも深く関係している。つまり氷室は理事長直々の命によって、一日だけ休暇なのである。理由は、春霞を理事長が気に入っているといえば充分だろう。その春霞は担任教師に淡い恋心を抱いている。誰にも知られてはいないが、もちろん氷室も春霞に関心を持っている。

「もうそんなに経ったか」
「私に逢えなくて寂しかったですか、せんせぇ?」
 ふざけて言うと、怒ったように何故と返ってくる。この三年間で氷室のことはよく見てきたから、どういうとどんな反応が返って来るかなんて簡単に予想がつく。

「それで、今日はもう帰るのだろう。東雲はどうしてここに来た?」
「理由がないと来ちゃいけませんか?」
「いや…」
 言葉がお互いに濁る。少し、沈黙が気まずい。

「せんせぇ、今日はバレンタインです」
「そうか」
「チョコを渡しに来ました」
 ザアッと風が空の色を吹きつけてくる。思わず目を閉じて髪を押さえ、ひとまずソレをやり過ごす。

 直前に、珍しく驚いている氷室の顔が見えた。

「毎年、毎年、君は…よく…」
 呆れているような笑いを前に俯かず、少し笑って返す。

「三年連続ですよ、先生。今年こそ、受けとってください。もう、最後なんですから…」
 2月はまだ良い。でも、あと半月で卒業だ。来年からは別の場所。ここでバレンタインを迎えることはない。

 それでも、泣かないでおこうと思う。涙は卑怯な武器だから。そんなものをつかわなくても、きっと大丈夫だと信じたいから。

「東雲」
「はい」
「…職員一同からのお返しはないぞ」
「そんなものは期待していません」
 こんなときに、どうしてそういうふざけたことを真面目に返すんだろう。そういう人だとは知っていたけど。

「受けとるか受けとらないかが知りたいだけです」
 また沈黙。緊張で、心臓がどこかへいってしまいそうだ。どうしよう。受けとってもらえなかったら。これが、本当に最後だ。

「受け取らなかった場合はどうするつもりだ」
「…自分で食べます」
 せっかく自分で作ったのに、受けとってもらえなかった気持ちを他の誰かに渡すなんてできないから。この想いのすべてを自分で飲み込んでしまおう。

 三年間好きだったことは、後悔していないから。後悔しないから。



p.2

「貸しなさい」
 沈黙を破って、ため息と共に吐き出した言葉に心臓が音をたてて止まりそうになった。

「え?」
「少し、味を見る」
 目線を外して、乱暴に奪いとった包みを無造作に解いていく。それを春霞はどこか遠くの出来事のように見ていた。

「手作りか…」
 感歎のような声。毎年のことだけど、自分でもよく頑張っていると思う。

「作るのは、その、大変だっただろう?」
「……はい」
 でも、まさか明方に作る予定だったのを思い出したとはいえないので、少し自分で寂しい苦笑が漏れた。

 一つ目が口に入る。先生の口の動きと喉を通るまでをじっと見て、待った。

 時間がやけにゆっくりと流れている気がする。氷室と一緒にいる時間は好きだが、こういう待ち時間はやはり苦しい。目の前でテストの採点でもされているようだ。

「これは…」
「な、なんですか?」
 なにか不都合なものでもあっただろうか。自分でも一つ摘んでみる。口の中には品のよいさっぱりとした甘さが広がる。かすかに苦い。

「酒を、使っているのか?」
「え?」
 記憶を思い返してみる。材料にお酒なんて入ってはいなかったような。

 そういえば、隠し味と称して尽が勝手になにかをしていなかっただろうか…。

「いや、咎めているわけではない。むしろ、とても…その、美味い」
 視線が反らされる。氷室の白い頬がわずかに朱を帯び、その手がしゅるりとネクタイを解く。

「せ、せんせぇ?」
「東雲、先に帰りなさい。私は少しここで頭を冷やしたほうが…」
 軽く頭を振る先生の額に手を伸ばそうとすると、振り払われる。その手がとても熱を持っている。

「風邪じゃないんですか? こんなところで寝てたからですよ。早く保健室へ行きましょう!!」
「いいから、放っておきなさい。君は早く帰るんだ…っ」
 なんだかわからないけど、苦しそうだ。何をいれたんだ、尽。

「でも…」
「少し眠れば、醒める」
 一度は立ち上がったものの、春霞はまた元の場所に座り直した。

「東雲」
「わかりました。保健室に行かない代りに、私がここにいます。先生に倒れられたら、困るんです」
 しかも私のあげたチョコのせいでなんて。

「帰りなさい」
「いいえ。いさせてください」
「東雲」
 困ったような声なのに、いつも以上に色がある。よく見ると目も潤んでいるし、こんな姿、誰にも見せられない。

「どうして…君は優秀な生徒だ。今の時期に風邪を引かれては困る」
「いいんです」
「帰らないのなら、理由を言いなさい」
 諦めた声で、そのまままた後ろに倒れこむ。やっぱり、今は特に教師にみえない。長い睫毛が潤んだ目元を隠す。

「理由、聞きたいんですか?」
「それ相応の理由でなければ帰りなさい」
 でなければ…とかなんとか小さく呟く声の後半は聞き取れなかった。ほとんど寝言のような状態になっているらしかった。

「理由があれば、残っていてもいいんですね?」
 返事は、なかった。代りに静かな寝息が聞こえてくる。正直、助かった。

「理由は、あなたが好きだからです。零一さん」
 風に吹き消されるほどの小さな声で呟いて、寝ている氷室の瞼にそっと口唇を落した。

 瞼から、落ちて、頬、唇に落ちる寸前で、正気に返る。

(わ、私、何を…!?)
 この時の氷室の変調も、春霞の大胆な行動も、すべては尽の入れた隠し味のせいだとわかるのは、卒業してからのことである。



★ensaka_illust30g.jpg★遠坂アキラ★

あとがき

バレンタイン絵を見てまわっている時にみつけたものから。
遠坂さんのバレンタインフリー絵からですv
あの場面にもってこうとして失敗している辺り、まだまだですね。私も。
でも、書いててすごく楽しかったです。
尽が入れた隠し味の入手経路が日比谷(妹)だったらどうしよう(笑。


タイトルがなかなか決まらなくて、遠坂さんにもご助力いただきました。
ありがとうございました♪
流石に『よくあるバレンタインのヒトコマ』じゃないですからね。
そうそう頻繁に媚薬盛られちゃたまりません。


完成:2003/02/09