手を拭いてくれた後、しょーじろーは開いた手で、アタシの頭を軽く撫でてくれた。それは「よくできました」の時と同じに優しいから、アタシは思わず頬っぺたが緩んでしまう。
「先に玄関で靴を履いててくださいね」
僕もすぐにいきますから、と台所に向かうしょーじろーの背中を最後まで見送らずに、アタシは廊下へ出るドアの丸い取っ手を回して押した。
「うん?」
動かない。さっきは開いたのにどうしてだろうと首を捻る。
力が足りなかったのかもしれない、ともう一度やってみたけど動かない。取っ手の回す方向が違うのかと思って、右に回したり左に回したりしているうちに、混乱が大きくなってゆく。
このドアは開くんだっけ、と思ってしまったのは、タローちゃんに聞いた「開かずのドア」の話を思い出したからだ。
アタシはあまり家の中を歩き回ってないから知らないのだけど、この家には開かずのドアがいくつかあって、時々獣の呻き声やニンゲンの大人の男の啜り泣きが聞こえるらしい。
アタシはまだ聞いたことはないのだけど、話してくれた時の大きな吠え声を思い出して、びくりと身体が固まってしまう。
息を止めて、掴んでいたドアの取っ手から手を離すと、鈍い黄金色が部屋に差し込む光を弾いて返してくる。
「トラちゃん、どうしました?」
後ろからかけられた柔らかな声に、アタシはどんな顔で振り返ったんだろう。泣きたいというより、恐怖に怯えていたと思う。だって、ホントのホントにタローちゃんのお話は怖かったんだから。
しょーじろーは少しだけアタシをじっと見つめてから、おもむろに腕を伸ばして近づいてきた。抱きしめて、安心させてくれると思ったアタシを軽くしょーじろーが押し退ける。
なんで、と疑問を浮かべるアタシの前で、しょーじろーは静かにドアを引いた。
「…」
「時間ないですからね、早めに玄関で靴を履いていてください。靴は用意してありますから、茶色の革靴ですからね」
しょーじろーがドアを開けてから何か言ってたけど、アタシはそれどころじゃなかった。ぱちぱちと瞬きして、そういえばこっちの部屋からは引くんだったと気がつく。
「あー」
「急いでくださいね」
軽い力でしょーじろーに部屋から追い出されたアタシは、あー、とまた息を吐く。すぐに台所のドアは閉まってしまったので、アタシはドアを正面にして、左右を順番に見る。右にいくと洗面所があって、アタシの部屋はさらに奥だ。それで、滅多にいかないのが左の通路。
淡い影に捕われた四角い通路は、奥にしょーじろーよりも大きい変な模様に削られた明るい茶色の木のドアがある。ドアの上の方には誰も開けない白い光りを取り込む小さな窓があるから、その辺りだけ家の中なのに明るい。
今まで、外に出ていいのはしょーじろーとの散歩だけだった。でも、これからは毎日出られるんだと考えるだけで嬉しくて、いつもの散歩とはまた違った嬉しい気持ちで、アタシは左の通路へ足を踏み出した。
この一歩毎に、
喜んでくれるかな。
そこまで考えたところで玄関にたどり着く。ちょっとした段差で座ったアタシは二つのピカピカに磨かれた靴を見つけた。黒い堅そうな靴の隣にチョコレート色の美味しそうな靴が並んでる。持ち上げて、鼻に近付けると、全然甘いチョコの匂いがしないから、アタシは首を傾げた。
見た目は美味しそうだけど、臭いは美味しそうじゃないや。でも、ホントは美味しいかもしれないし。あ、そういえば、さっき言ってた靴がこれかもしれない。
空洞にアタシの後ろ足を入れると、ぺったりと足に嵌まる、変な感触。でも、アタシはこれに似た感覚を知ってる。しょーじろーとお散歩に行く時に履くスニーカーっていうのだ。あれと違う点をあげれば、こっちはごつごつと固くて、ちょっと重くて、脱げやすそうってことだ。
玄関から腰をあげて、立ち上がる。少しだけ歩いてみたら、やっぱりかぱかぱと脱げそうだ。
これより、スニーカーのがいーなー、と玄関の壁際の木の棚を見る。ここに入っているのは知ってるけど、しょーじろーは「茶色の靴」を履いてなさいって言ってたし、スニーカーは桃色と空色とお日様色の斑だ。きっと、あっちにしたら動きやすいけど、学校に行くのは中止になるかもしれないから、我慢我慢。
落ち着かない気持ちを抑えて、アタシはさっきと同じく玄関に座った。足を揃えて伸ばして、動き出したい両手を玄関の段差にひっかけて、キョロキョロと玄関を見回す。
真新しいものがあるわけでないので、視線はどれだけ巡っても目の前に戻る。あの向こうはとうとう、外の世界。
想うだけで心臓がどくどくと痛いくらいに鳴り響くので、両手で飛び出さないように抑える。
六ヶ月も会ってないけど、アタシは
「トラ、いい子にしてたか~?」
アタシに会いに来るとまず抱き上げてくれて、わしゃわしゃと撫でられるのは気持ちよくて、持ってきてくれるご飯はとっても美味しかった。
アタシを呼ぶ優しい声を、ずっと聞いてない。
「
寂しくて泣きそうにあげた声に応えて、ぴんぽーんとのどかな音がした。これはお客さんがきた合図だと、しょーじろーが言ってた。
ちょうど、
「
ドアに駆け寄って、丸い取っ手をがちゃがちゃと目茶苦茶に動かす。どうやって動かしたらドアが開くのか考える時間さえも惜しくて、とにかく早く会いたくて。
「
会いたい。早く会いたいのに、どうして開いてくれないの。
がちゃがちゃと耳障りに鳴るだけで一向に開いてくれないドアは、唐突に向こう側ーー外へと開けられた。当然、外へ転がり出たアタシは一回転して起き上がろうとしたんだけど、あまりの光の眩しさにぎゅっと閉じた目の上に握った拳を振り上げて、身体を小さく丸める。
「眩しっ」
だけどそこに
「くくくっ、何してんだよ、トラ坊」
特徴的な澄んだ低音に、自然と気持ちが沈む。聞き慣れた声は
「タローちゃん…っ」
違うということが単純に悲しい。そこにいると思ったのに、違うというのが泣きたくなるぐらい悲しい。もうそこにいないとわかったら、目を開ける気も起きない。
落胆するアタシの頭を覆う大きな手が、軽く二回撫でる。
「ほら、いつまでもんなとこで座ってんな。せっかく制服着たんだろうが」
慌てて立ち上がり、両手でパタパタとスカートの汚れを払ったら、あっさりと落ちて安堵した。
「ほら、後ろ残ってるぞ」
大きい影に引き寄せられたかと思うと、お尻を強めに叩かれて、びっくりして目を見開く。見開いても目の前にはタローちゃんの黒っぽい上着の布地しか見えない。
「いたいよ、タローちゃんっ」
「あ? こんぐれぇなんでもないだろうが。ほら、もうとれたぞ」
引き寄せられた時よりゆっくりと離され、今日始めて顔を合わせたタローちゃんはニヤニヤと意地悪な笑顔をしてた。
タローちゃんは大きいけれど、目が小さくて、ちょっと可愛く見えることがある。以前にそういったら、ごつんと拳が頭に落とされたから、アタシは口には出さずにその少し可愛らしいタローちゃんを見上げる。しょーじろーとは違って、短く刈られた毛は金色で、遠目に見ると髪が無いみたいに見えるって、そう言って怒られてたのはしょーじろーよりも小さいマサちゃんだ。小さいって言っても、アタシよりは一応大きい。マサちゃんはたまにうちに遊びに来て、アタシと遊んでくれるニンゲンの男の子だ。
タローちゃんの大きな手がアタシの頭をわしわしと撫でるので、アタシは反射的に両目を閉じてそれを迎えてた。
「夕べはよく眠れたか?」
首を縦に大きく振って頷くと、タローちゃんはにかりと大きな口の両端を大きくあげて、白い歯をみせて笑った。タローちゃんはアタシが猫だったことは知らない。しょーじろーが引き取ったカワイソウな女の子だと思ってるらしい。
「なんでタローちゃんがいるの?」
タローちゃんはしょーじろーとおんなじ仕事をしている人だから、しょーじろーがお休みの日でないと来ないはずだ。
「なんでって、キヌさんから聞いてねぇのか?」
アタシが首を右に傾けると、タローちゃんの両方の眉毛が困った時と同じに下がった。キヌさん、というのはしょーじろーのことだけど、何か言ってただろうかとアタシは首を捻る。
「トラ坊は今日、編入試験受けるだろ」
「へんにゅーしけん?」
試験という意味はわかるけど、へんにゅう、て何だろう。ぐにぐにの辺ーー円の問題だろうか。だったら、アタシは得意だ。しょーじろーがスウガクを教えてくれたから。
アタシの思考を留めるように、頭の上の手がぐぐいと力を入れて、アタシを押さえ込む。
「本当はトリさんがおまえの担当なんだが、ちと今面倒なことになってるからな。俺が代理で来たんだよ。まあ、聞いてなくてもいいか」
手を外そうと躍起になってたアタシは、不意にふわりと体が宙に浮き上がった。違う、タローちゃんが荷物みたいにアタシを担ぎ上げたんだ。
りりりりん。
不意に頭の後ろで思い出したように鈴が鳴く。同時に玄関からしょーじろーが慌てて出てきた。
「トラちゃんっ?」
今までに見たこともないぐらい慌ててて、さっきまでの冷たい感じはどこにもなくて。
だけど、タローちゃんの姿を認めて、しょーじろーはほっと息を吐く。
「君でしたか、
「くくくっ、なぁに慌ててやがんだ、キヌさん」
しょーじろーは少し罰が悪そうに視線をそらした。
「トラちゃんを先に連れていってください、九影君。僕は後から行きますから」
そういうと、あっさりとしょーじろーは家にひっこんで玄関を閉めてしまって。あんまりな様子にアタシはまた首を捻る。タローちゃんはアタシを担いだまま、体を震わせ、笑っていた。
アタシは何もわからないまま、さっきまでとは反対に首を捻る。
「タローちゃん、なんで笑ってる?」
「くくくっ、なんだ、トラ坊は分からないのか」
わからないって何だろうと、目で問うとタローちゃんは担いでたアタシをゆっくりと地面に降ろした。それから、やっぱり上から押さえつけるみたいにわしゃわしゃとアタシの頭を撫でる。
「さっきのはお前に何かあったんじゃないかって、心配して出てきたんじゃねぇか。くくくっ、あんなキヌさんは滅多にみれねぇぞ」
心配って、そうなのだろうか。だって、しょーじろーがアタシを心配したところなんて、今まで一度も見たことない。だって、しょーじろーは本当はアタシのことーー。
さっきと同じ悪い考えに辿り着いてしまいそうで、アタシはふるふると頭を振って、予感を振り払った。タローちゃんがそういうなら、そうなのかもしれないし、しょーじろーが面と向かってアタシに「キライ」だなんて言ったことはないんだから。
それにもし嫌われているのだとしても、アタシにはしょーじろーの魔法が必要だ。しょーじろーの魔法がなかったら、アタシはもとのネコに戻ってしまって、
「ねえ、タローちゃん。しょーじろーも一緒に行くんだよね? なんで中に戻っちゃったの?」
アタシが出かけるときにしょーじろーがいないことなんてなかった。なにかあったら困るからって、アタシはしょーじろーがいないときに出歩かないようにしてた。だから、学校だって一緒に行くものだと勝手に思っていた。
どうして、とアタシが問いかけると、タローちゃんはすごく困った顔をしてて。それから屈んでアタシと目線を合わせて、しかたないなぁって笑った。
「キヌさんとおまえが一緒に行ってもいいが、そうすっとたぶんトラ坊は草薙といるチャンスが減るぞ」
「え?」
「っと、草薙じゃわからねぇか。おまえ、
タローちゃんが言う意味は良く分からないけど、それは嫌だ。
「やだ」
そうだろうと肯くタローちゃんに畳み掛ける。
「でも、しょーじろーといられないのも嫌だよ」
タローちゃんは少しこまった様子で私から視線を逸らし、大きな掌をアタシの頭にのせた。
「おまえ、そりゃ贅沢ってもんだ。…そうでなくても草薙は教師を嫌ってるってのに」
後半の呟きが聞こえなくて聞き返したら、なんでもないと返される。気にはなるけど、それよりもしょーじろーのことが優先だ。
癒しが欲しい~
某ゲットマンの中の人が変わってから、ここはすっごい荒れてるなぁ
写真じゃなく、イラストでグランプリ決めたらいいのに……
久しぶりで、忘れられたかな……
みんノベは1pageにテーマをあとひとつで一段落です。
RingRingRingは推敲中。
うさ耳会長は自重。
来週には落ち着いて創作活動に移れます♪
(2009/06/25 20:40)
最初は月ごとにイベント書こうと思ってたんだけどな
真面目に下書きしたら、無理でした~
さて、登校しますか。
(2009/07/01 21:14)
登校はまだ無理でした~
もう少しで外にでられます。
来月には引越が決まりました。
忙しくて趣味の時間が減る~
でも通勤中はキープ。代わりにゲームの時間がなくなる(ノ_・。)
どれかひとつしか選べないなんて
本当にいつになったら登校するのか(笑)
(2009/07/06)
何か久々に書く気がします
自分の日記から掘り起こすって、どうなの。
みんノベの公開、8/3て発表ありましたね。
書き方忘れたかも
(2009/07/22 20:04)
明日にはみんノベ公開っていうけど、あの状態で公開は無謀な気がします
せめてトップのランキングを直しなよ。……まさか、気づいてないのかな
みんノベ始まるまでにと思ったけど、既に手遅れっていう(笑)
ざっくり創作なので、これは日記で続行します。
みんノベ版はもっと描写とエピソードが無駄に満載です(え
(2009/08/05 20:16)
わからなくなったので、みんノベの「アデュラリア」を限定公開にしました。いろいろと思うところありまして。練り直してきます。
とりま、トラでも書いていきますか。
玄関を閉めた後のしょーじろーとか書きたい……!
でも、せっかくここまでトラの一人称で書いてたのが台なしになるから、かけない……~
(2009/8/18)
公開
(2009/09/05)
公開
(2009/09/06)
ファイル統合
(2012/09/26)